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「副業はやめろ」と言われた講座が、今の仕事につながった――人生は、人との縁で思いがけず動き出す

前職時代のある日、社長に呼び出されました。

何を言われるのだろう。

少し嫌な予感を抱えながら、社長の前に座りました。

すると、社長はこう言いました。

「公開講座で講師をやっているらしいな。副業は禁止だ、辞めろ。」

ああ、そこに話がいったのか。

そう思いました。

当時、私は統計学の公開講座を日曜日に実施していました。

会社の仕事に穴をあけたわけではありません。

会社に迷惑をかけているつもりもありませんでした。

ただ、会社に特に報告していたわけでもありませんでした。

たぶん、誰かが社長か上司にチクったのでしょう。

その瞬間、心の中では、かなり悪態をついていました。

誰だよ、余計なことするのは。

バーカ。

暇人。

本業よりよっぽど社会的に価値のあることをやっているつもりなんだけどな。

しかも、会社に迷惑をかけているどころか、副業で培ったExcelのスキルは、本業でもかなり役に立っていました。

社内で困っている人をサポートすることもありました。

なんにもわかっていないんだよな、この社長。

就業規則も確認しました。

副業について、特に明確にダメとは書かれていませんでした。

だから余計に、納得がいかなかったのだと思います。

副業をあきらめるくらいなら、その百万年前に本業を捨てる。

もう、ごみを捨てるように、ポイッと。

こんなイメージが、自分の中ではかなりはっきりありました。

それくらい、教える仕事は自分に合っている。

これは自分の仕事だ。

その感覚が、かなりはっきりありました。

その統計学の公開講座にたどり着くまでには、少し長い回り道がありました。

もともと私は、先生になりたかった人間でした。

20代のころ、会社で働きながら通信課程で教職科目を履修し、教員免許も取りました。

でも当時は、事実上、新卒で先生になる時代でした。

私学教員の募集も、20代前半が中心。

社会人経験のある人間が、教員として広く受け入れられている時代ではありませんでした。

会社員時代の私には、絶対に押されたくない地雷ボタンがありました。

「先生になれなかったくせに」

もしそんなことを言われたら、その瞬間、大噴火していたと思います。

それくらい、「教える仕事」は、自分の中でずっとくすぶっていたものだったのです。

だから、統計学の公開講座は、ただの副業ではありませんでした。

ようやく自分の中の何かが、形になり始めていた。

そんな感覚がありました。

きっかけは、数学でした。

もともと、算数は得意でした。

でも、高校に入って、数学がいつの間にか苦手科目になっていました。

得意だったはずのものが、苦手なものに変わってしまった。

そのことに、どこか引っかかりがありました。

このまま苦手なままにしておきたくない。

高校レベルくらいの数学を、もう少しちゃんと学び直してみたい。

そんな気持ちが、ずっと自分の中にあったのです。

そこで社会人になってから、「大人が数学を学ぶ塾」の門をたたきました。

すると、その塾から「算数を教えてくれないか」と声をかけられます。

数学を学び直しに行ったはずなのに、気づけば教える側にも立っていました。

生徒でもあり、先生でもある。

少し不思議な立場でした。

算数を教えるようになったことで、会社の外で「教える仕事」に少しずつ関わるようになります。

そんな流れの中で、その塾から、当時ブームになっていた統計学を学んで、教える側になってほしいと頼まれました。

正直、最初は統計学がさっぱりわかりませんでした。

統計学の数式を見るたびに、ひるんでいました。

それでも、頼まれたからにはやるしかありません。

数学に苦手意識があったので、必死こいて勉強しました。

でも、少しずつ分かってきたんです。

統計学の一番基礎の、平均だのバラツキだのというお話に、こむずかしい数学の知識はまったく必要ない。

そうわかると、統計学を教えることも、少しずつ怖くなくなっていきました。

そして、統計学も個別で教えるようになり、やがて集団講座も担当するようになります。

講座に参加してくれた人が「あ、そういうことか!」とわかる瞬間を見るのが、うれしかった。

自分が苦労してわかったことを、少しでもわかりやすく伝えたい。

教えているときの自分には、どこか自然な感じがありました。

会社員として働いている自分よりも、無理をしていない。

背伸びをしているわけでもない。

自分の中にあったいろいろな経験が、教える仕事の中で少しずつつながっていく感じがありました。

そんな時期に、かつての社労士試験の受験仲間との飲み会がありました。

その場で私は、統計学入門の講義を受け持っている話をしました。

すると、受験仲間の一人で、今の私の大学で働いている方が、私の講座に興味を示してくれたんです。

その方が、実際に私の講義を受けに来てくれることになりました。

そこから、思いがけない話につながっていきます。

「うちの大学でも、統計学の講座をやってみないか」と、その方から声をかけていただいたんです。

今振り返ると、そこが私の大学でのキャリアの始まりでした。

前職の社長に「副業はやめろ」と言われた、まさにその講座。

私が手放すつもりはないと決めていた、その講座が、大学で教える仕事への入口になったのです。

しかも、その入口を開いてくれたのは、社労士試験の受験仲間でした。

私にとって、社労士合格は最初からきれいな目標だったわけではありません。

就職活動がうまくいかず、何かひとつ自分の力で手に入れたいと思って始めた勉強でした。

でも、希望していた人事部ではなく、配属されたのは経理でした。

しかも、配属初日に社労士試験の本試験を受けるための有休を申し出たところ、上司から一言で断られました。

「ダメだ」

怒りはありました。

でも、そのときの私は、本気で合格をつかみ取ろうとしていたわけではありませんでした。

その数年後、失恋でボロボロになったことをきっかけに、私はもう一度、社労士試験に本気で向き合うことになります。

崩れた自分をどうにかしたくて、社労士試験にしがみついた。

そんな試験でした。

でも、その試験を通じて、私は受験仲間と出会いました。

その中の一人が、ずっと後になって、私を大学で教える仕事へつないでくれたのです。

会社員をしながら、副業のような形で大学で統計学を教える。

二足のわらじのような時期でした。

でも、教えているときの自分には、やはり自分らしい自然な感じがありました。

経理の仕事。

簿記の勉強。

社労士試験。

数学。

統計学。

個別指導。

社会人講座。

ばらばらに見えていたものが、教える仕事の中で少しずつ一本につながっていきました。

その後、私は会社員を卒業することになります。

統計学の公開講座を担当してから1年半ほど経ったころ、大学から専任教員の話をいただきました。

そこから、今の仕事につながっています。

こう書くと、最初からその道を目指して進んできた人のように見えるかもしれません。

でも、実際はまったく違います。

就職活動がうまくいかなかった悔しさ。

社労士試験を受けられなかった怒り。

失恋でボロボロになった痛み。

苦手意識のあった数学にもう一度向き合ったこと。

頼まれてから、ひるみながらも統計学を学んだこと。

そして、「副業はやめろ」と言われても、教える仕事を手放さなかったこと。

どれも、当時は今につながるとは思っていませんでした。

受験仲間がいた。

その人が私の講座に興味を持ってくれた。

実際に足を運んでくれた。

大学の講座につなげてくれた。

たったそれだけと言えば、それだけです。

でも、その「たったそれだけ」が、人生の流れを変えることがあります。

社労士試験に本気で向き合っていたころ、そんな未来はまったく見えていませんでした。

彼女に振られて会計学校でボロボロ泣いていた若いころの自分に、

「その失恋をバネにして本気で向き合った社労士受験が、いつか大学で教える仕事につながるよ」

と言っても、きっと信じなかったと思います。

人生は本当に、あとからしか意味がわからない。

そして、あとから意味を持つものの多くは、人との縁や、自分が手放さなかったものなのかもしれません。

最近、私は少しだけ、その縁を返す側にもなってきました。

大学で教える仕事に興味を持っている人に、実際にその機会をつなぐことがあります。

かつて私が、人との縁で大学に紹介していただいたように。

今度は、自分がその縁を少しずつ渡していく。

そう考えると、これは恩返しというより、縁返しなのかもしれません。

人からいただいたご縁が、自分の人生を思いがけない場所へ運んでくれた。

今度は、自分も誰かのご縁の入口になれたらいい。

今は、そんなふうに思っています。

失恋でボロボロだったときのことはこちらの記事 ↓ に綴っています。

上司から社労士試験を拒否られたお話はこちら ↓ です。


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