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会計学校でボロボロ泣いていた私が、社労士試験に本気になった日

日商簿記2級の講義の真っ最中なのに、ボロボロ泣いていました。

講義がまったく頭に入ってこない。

涙で視界がかすれて、黒板の字もよく見えない。

理由は、失恋でした。

大学4年生の終わりごろから、付き合っていた彼女がいました。

就職してからも、しばらく付き合いは続いていました。

でも、社会人になってから、私の中には「こんなはずじゃない」が少しずつたまっていきました。

就職活動が、思うようにいかなかった。

結局、事実上、親のコネをたどるような形で就職することになりました。

もちろん、ありがたい話ではあります。

でも、当時の自分の中には、どこかで負けたような気持ちがありました。

自分の力で道を切り開いた感じがしない。
胸を張って「この会社に入りました」と言える感じもしない。
何かひとつ、自分の力で手に入れたい。

そんな思いから、私は大学4年生のころに社会保険労務士、いわゆる社労士の勉強を始めました。

社労士の勉強をしていれば、人事部で仕事ができるかもしれない。

人事や労務の知識があれば、会社の中で少しは自分の居場所を作れるかもしれない。

そんな期待もありました。

ところが、実際に配属されたのは人事部ではありませんでした。

経理でした。

あれ、社労士の勉強をしているのに経理なのか。

社会人生活は、そんな拍子抜けした気持ちから始まりました。

しかも配属初日、社労士試験の本試験を受けるための有休を申し出たところ、上司から一言で断られました。

「ダメだ」

理由も聞かれませんでした。
どれくらい勉強してきたのかも、確認されませんでした。

ただ、一言。

「ダメだ」

心の中では、はっきり「くそ課長」と思っていました。

希望していた人事部ではない。
社労士試験も受けられない。

自分の思っていた社会人生活とは、何かが違う。

そう思いながらも、毎日は普通に始まってしまいました。

それでも、仕事は容赦なく続きました。

配属された職場は、残業が多いところでした。

月の残業時間が、いちばん多いときで170時間くらいあったと思います。

毎日、会社に行く。

帰りは遅い。

疲れている。

気持ちにも余裕がない。

今思えば、体力だけでなく、気持ちの余白も削られていました。

就職活動で思うようにいかなかった悔しさ。
希望と違う配属になった拍子抜け。
社労士試験を受けられなかった怒り。
終わりの見えない残業へのしんどさ。

そんなものが、自分の中にたまっていました。

でも当時の私は、それを整理して言葉にする余裕なんてありませんでした。

ただ、不機嫌だったのだと思います。

不安定だったのだと思います。

そして、その重さを、彼女の前に持ち込んでいました。

会うたびに、会社の愚痴をこぼしていた気がします。

自分では、ただ聞いてほしかっただけだったのかもしれません。

でも、聞かされる側はたまったもんではなかったはずです。

彼女はまだ学生でした。

社会人になったばかりの私が、仕事のしんどさを抱えきれずに、彼女の前で吐き出していた。

今なら、少しわかります。

あれは、甘えだったのだと思います。

つらかったのは事実です。

でも、つらさをそのまま相手に預け続けると、相手の心にも重さが積もっていきます。

当時の私は、そこまで考えられていませんでした。

こんなはずじゃなかった。

たぶん、ずっとそう思っていました。

就職も。
配属も。
仕事も。
自分自身も。
そして、彼女との関係も。

少しずつ、何かがずれていきました。

初めてちょっとした喧嘩をしてしまいました。

そんな折、彼女は勉強していたドイツ語を磨くために、ドイツへ短期留学に行くことになりました。

初めて喧嘩をした直後だったのか、私たちの関係は少しぎくしゃくしていました。

でも、帰ってきたあとに別れることになるとは、まったく思っていませんでした。

ちょっとぎくしゃくしていた。

でも、また会えば元に戻る。

どこかで、そんなふうに思っていたのだと思います。

ところが、帰国した彼女を迎えに行ったとき、空気がまったく違いました。

空港で久しぶりに会った彼女の表情に笑顔はなく、能面のようでした。

私の知っている彼女とは、別人でした。

私に会っても、まったく嬉しそうではありませんでした。

成田エクスプレスに乗りました。

久しぶりに会えたはずなのに、うれしさよりも、距離のほうが先に伝わってきました。

彼女は、ほとんど私の顔を見ませんでした。

怒っているというより、もうこちらに心が向いていない。

それが、怒られるよりずっときつかった。

留学中に、彼女の中で何かが変わってしまったのだと思います。

私は、その変化にまったく追いつけませんでした。

ああ、これはもう戻らないのかもしれない。

そう思いました。

その後も、私は会社に行きました。

経理の仕事をしました。

会計学校にも通いました。

日商簿記2級の講義を受けていました。

でも、講義がまったく頭に入ってこない。

涙で視界がかすれて、黒板の字もよく見えない。

彼女を失ったことは、もちろんつらかった。

でも、それだけではなかった気がします。

たぶん私は、その出来事を通して、自分の未熟さを見せつけられていたのだと思います。

仕事がつらい。
思うようにいかない。
自分の居場所がわからない。
自分の人生が、自分の手から少しずつ離れていくような感じがする。

その苦しさを、自分で抱えきれませんでした。

そして、大切にしたいはずの人に、ぶつけてしまった。

その結果、相手の心が離れていった。

それが、ものすごく痛かったのだと思います。

失恋は、相手を失う痛みでもあります。

でも、それ以上に、自分の未熟さを突きつけられる痛みでもあるのかもしれません。

私は、彼女に振られたというより、自分の情けなさに打ちのめされていたのだと思います。

そのころ、置き去りにしていた社労士試験に、もう一度意識が向きました。

その瞬間、目の色が変わりました。

今振り返ると、そこが事実上の「合格」の瞬間だったのだと思います。

失恋の悲しさ。
悔しさ。
苦しさ。
自分への情けなさ。

そういうものを全部、社労士試験にぶつけました。

死ぬほど勉強しました。

いや、これで落ちたら死んでもいい。

それくらいのところまで、自分を追い込みました。

最初に社労士試験を受けようとしたとき、私はまだ本気ではありませんでした。

配属初日に有休を断られたときも、心の底から悔しがることはできませんでした。

自分でもわかっていたからです。

たぶん受けても、落ちていた。

合格できるところまで、自分を追い込んでいなかった。

でも、このときは違いました。

資格がほしいというより、崩れた自分をどうにかしたかったのだと思います。

このままでは嫌だ。
会社に流されるだけの自分でいたくない。
誰かに愚痴をこぼして、受け止めてもらえないと崩れてしまうような自分でいたくない。

その気持ちに追い立てられるように、私は勉強机に戻りました。

そこからの1年は、人生で一度しかないくらいの超本気でした。

ほぼ毎日、定時で会社を出て、社労士の専門学校に通いました。

仕事が終わったら、勉強する。

休日も勉強する。

年間で1500時間以上は勉強したと思います。

模試でも上位に入っていました。

本気の中の本気。

そこまで勉強したのだから、今から考えれば、まあ受かります。

油断さえしなければ。

当時の社労士試験は、楽な試験ではありませんでした。

ただ、今ほど難易度が高くなかった時代でもあります。

結果として、その年の社労士試験には合格しました。

点数も、まあまあの高得点でした。

もちろん、合格した瞬間はうれしかったです。

でも、今振り返ると、その合格そのものよりも大きかったのは、

「自分は、本気になればここまでやれるんだ」

と思えたことでした。

失恋があったから合格できた。

そんなふうに単純にまとめるつもりはありません。

人との別れを、美談にしすぎるのも違う気がします。

彼女には彼女の人生があり、私には私の未熟さがありました。

ただ、あの出来事がなければ、私は社労士試験に本気で戻ることはなかったかもしれません。

あのときの痛みは、できれば味わいたくなかったものです。

でも、その痛みが、自分を動かしたのも事実です。

人生には、きれいな動機だけで動けるときばかりではありません。

悔しさ。
情けなさ。
寂しさ。
自分への嫌悪感。

そういう、できれば人に見せたくない感情が、思いがけず自分を前に進めることがあります。

私にとって社労士試験に本気で向き合うきっかけは、まさにそういうものでした。

日商簿記2級の講義の真っ最中に、ボロボロ泣いていたあの日。

あのとき私は、失恋の痛みの中で、もう一度、自分を立て直そうとしていたのだと思います。

ただ、社労士資格が、何十年も後に大学で教える仕事につながるとは、このときは想像もしていませんでした。

社労士と大学で教える仕事とのつながりはこちらの記事 ↓ に綴りました。

社労士受験を上司に拒否られたお話はこちら ↓ です。


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