お天道様(おてんとうさま)ってなんだろう
ー本記事は、シリーズ「お天道様の思想」の第1回ですー
1.「お天道様」の記憶
「お天道様(おてんとうさま)」という言葉が気になり出して、数年が経つ。
いつ、どうして気になり出したのか覚えていないけれど、おそらく自分なりに子育てをしていて、どこかで「お天道様が見ているよ」という感覚を子どもに伝えたくなったのだと思う。残念ながら、平成生まれの子どもたちには、この言葉はほとんど伝わらなかった。「お天道様?何それ?スピリチュアル?」みたいな、反応だった。
それも仕方がない。この「お天道様」という言葉は、いまや死語に近い、古き日本の言葉になってしまった。おそらく太平洋戦争という歴史の深い傷の中で、この言葉は危険なものと見なされ、影を潜めていった。それは私たちにとって必要な作業であっただろう。
私自身の記憶を辿れば、どこかで誰かに、「お天道様が見ているよ」と言われたような気がしている。亡き祖父であろうか。やさしく叱られた古い記憶の中にこの言葉があり、同時に、その当時の私もまた、「お天道様ってなんだろう」と考えて、答えが見つからなかったように思う。
2.お天道様と日本の倫理
調べてみれば、この「お天道様」という言葉は、儒教とも、仏教とも、アマテラス、とも出てくる。あらゆる思想をごっちゃにして、かつての日本では、台所や畑で、もしくは子育ての場で、日常的に使われていた。
「お天道様の恵み」
「お天道様に顔向けできない」
それは、ただ「太陽」「お日さま」「宇宙」という意味を超えて、古代から日本人を支えてきた、目に見えない、父性とも母性ともつかない、ふわっとした倫理観。
戦後80年。教育の場で、ビジネスの場で、政治の場で、「道徳」や「モラル」を再考する必要性が語られ始めるこの令和という時代において、私たちがかつて体で感じていたこの言葉を、考え直してみるのもいいんじゃないかと思う。

3.書道と東洋思想から
私は、東京の池上という場所で小さな書道教室を営んでいる。書道は、中国と日本3000年の文字と向き合う作業。その果てしない学びの過程においては自ずと、仏教・儒教・老荘・和歌といった思想に向き合わされる。
この度、中国古代 周王朝の「大盂鼎」を書くことに決めた。この時代は、「天」の思想が生まれた時代であり、その思想は孔子という人を受けて、現代の私たちへと流れ込んでくる。
「お天道様」とは何か。
書に臨みながら、子育てに悩み、生徒さんたちと語らい、呼吸を深めながら、日常に生きた思想としての「お天道様」について、ゆっくりのんびり、考えていくことにする。
エッセイとして、ゆっくり続けていけたらいいなぁ。応援してくださるとうれしいです。
〜第2回へ続く〜
これまでの考察を踏まえ、現代の教育現場や職場における『規律と個性』をどう両立するかをまとめた、シリーズ第6回(主体性と倫理観はどう育つのか)を公開しました。
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