私見:日本キリスト教史研究の思想的意義 第一回
日本キリスト教史という歴史の瓦礫の山の中に入ることは、即物的には日本における現在のキリスト教の状況がいかに生成してきたかを調べることであり、間接的には日本のキリスト教の意義と価値を将来に向けて考察することを暗示している。学術論文の対象となるのは前者だが、ここは学術論文の場ではないので自由に大胆に後者について語ってみたい。
1. 前提としての日本人キリスト者の生の尊重
まず前提として留意すべき点は日本キリスト教史の諸事象を歴史的な宗教現象として客観的に把握する作業が基礎として必要だということである。というのは日本キリスト教史の場合、研究者が現在の地平でもって過去の宗教現象を裁くことが行われがちだからである。具体的には、天皇制と戦争に協力したか否かという視点と西欧のオーソドックスな神学から逸脱しているか否かという視点の二つである。前者に関しては、これまでの日本キリスト教史研究の倫理的な動機づけとなってきたテーマであり、その成果には一定の評価がなされてしかるべきである。特に、キリスト教とネーションというテーマを探求する際にはそうした先行研究はうってつけの素材となる。しかし、このテーマで日本キリスト教史を見ると、一部の無教会の指導者といった例外を除いて大半のキリスト者や教会が脱落してしまい、歴史の瓦礫のなかから屑拾いをする意義自体がなくなってしまう。一部の例外的な抵抗者の生ばかりがクローズアップされ、その他の生が不可視化されてしまうのである。後者に関しては、確かに、和魂洋才の名の下に西欧近代思想の好都合な一部だけを切り取って移植した近代日本の状況に対し、まったく異なる西欧の「正統」を提示することで批判的に切り込めるという利点がある。しかし、キリスト教を歴史現象としてみれば、西欧の「正統」もまたキリスト教のヴァリエーションの一つでしかないのに、それを絶対としてしまうきらいがある。むろん、神学者は「正統」なるキリスト教こそが真の客観的なキリスト教だというだろう。しかし、それは神学者の主観が客観だと信じているにすぎない。例えば、カトリックの岩下壮一はカトリシズムこそが真の客観だと主張して無教会をはじめとするプロテスタンティズムを主観主義だと批判したが、東方正教会からすればカトリックもまた異端の一つでしかないという事実を考えると、岩下の言う客観もまた岩下の主観が客観だと信じていたにすぎないことがわかる。(注1)結局、何かの神学を「正統」として評価基準に据えることは党派的な不毛な争いになり、やはり歴史の瓦礫のなかから屑拾いをする意義が薄れてしまうのである。
重要なのは、現実に存在した日本人キリスト者をつとめて事実性でもって客観的に理解しようとすることである。テクストや活動の記録など、事実として存在するものに客観的に表現された日本人キリスト者の生をできるだけ内在的に解釈し理解する。この基礎的な作業に何度も立ち返り、歴史の瓦礫から日本人キリスト者の生を、あたかも彫刻のような確固たる形で取り出してくること。日本キリスト教史の思想的営みは過去な日本人キリスト者の生を経験的事実として尊重し、その理解に立脚して営まれなくてはならない。これが肝要である。
2. 日本、近代、そしてキリスト教の交差
日本人キリスト者の生の探求に先立ち、その生を構成する諸要素や構造を考えなくてはならない。いわば、日本キリスト教史を問う適切に問うための予備的考察が必要である。
私見では、日本人キリスト者の生が3つの地平が交差するところで営まれていたことに着目する必要がある。それは日本、近代、そしてキリスト教である。昔大学で講義をしていた頃によく学生に指摘して驚かれていたことだが、王政復古の大号令(1867年)から第二次世界大戦の無条件降伏(1945年)まで、計算するとたった78年しかない。たった78年で日本は急激な近代化およびその破滅までを経験したのだ。日本人キリスト者の生はそのなかで営まれていた。となると、その信仰的営為や思索も近代日本の現実のなかでキリスト教が日本や近代と交差する形で営まれていたはずである。重要なポイントは、日本も近代もキリスト教も、単純な一枚岩ではなく、内部に多を含んだ複雑な構造を有していることである。例えば、2つのJ(Jesus and Japan)で有名な内村鑑三は日本を新興の多民族国家として表象していた。ならば、内村の日本へのコミットメントを論じるには、まず内村が日本という多民族国家のどこに定位して日本社会を分析していたのか、またその分析結果に対してどんなキリスト教思想でもって立ち向かおうとしていたのかが問われなくてはならない。実際にこの観点から彼のジャーナリスト時代のテクストを分析すると、内村が一貫して明治政府を薩摩と長州の藩閥政府と見なしており、さらに自らを戊辰戦争の敗者である東北地方に定位させて明治政府や日本社会に批判的に対峙していたことがわかる。そこには彼のキリスト教思想も交差していた。ならば、今内村の社会思想を考えることは、東北の視点から日本社会をみるという課題に大きな示唆を与えるはずである。どんなキリスト教思想がそこに交差していたかを調べることもまた、現代日本においてキリスト者として社会にどのように対峙するかという課題に重要な示唆を与えるだろう。(注2)こうして、多くの人にとって内村鑑三という歴史の教科書の暗記事項でしかなかった人名が今を生きるわれわれにとって意義あるものとして輝き始める。日本キリスト教史はこうした瞬間を捉えるための学問ではないかと私は考えるのである。
注1:岩下壮一『カトリツクの信仰』ちくま学芸文庫、2015年
注2:例えば、内村の「東北伝道」というテクストが挙げられる。内村鑑三全集14巻を参照。
その二に続く。
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