読めば「漢文」がちょっと好きになる
漢文って、いったい何なんだろう。
もし最初にこの話を聞いていたら、漢文はもっと好きになっていたかもしれない
「漢文。」
そう聞いて、あなたは何を思い浮かべますか。
難しい漢字。
返り点。
レ点。
送り仮名。
テスト。
受験勉強。
「苦手だったな。」
そんな思い出が浮かんだ人もいるかもしれません。
実は、私もその一人でした。
教科書を開くたびに、
「どうしてこんな読み方をするんだろう。」
「何のために勉強するんだろう。」
そう思っていました。
漢文は、好きな教科ではありませんでした。
受験が終われば、きっと一生読まない。
本気でそう思っていました。
でも、大人になってから気づいたことがあります。
私は、漢文が嫌いだったのではありません。
漢文の本当の面白さを、まだ知らなかっただけだったのです。
もし、あのころの私に会えるなら、最初にこう伝えます。
「漢文は、暗記する教科じゃないよ。」
「昔の人が未来へ残してくれた、たくさんの言葉なんだ。」
そう聞いていたら、私はもっと早く漢文を好きになっていたと思います。
漢文とは、「昔の中国で書かれた文章」のこと
まず、一番大切なことからお話しします。
漢文とは、昔の中国で書かれた文章のことです。
「えっ、それだけ?」
そう思った人もいるかもしれません。
でも、その「文章」の中には、本当にいろいろなものがあります。
歴史を書いた文章。
旅の記録。
美しい景色を詠んだ詩。
友人への手紙。
家族を思う言葉。
国を治めるための考え。
人としてどう生きるかを語った教え。
恋しい人への思いをつづった作品。
今でいう日記のような記録もあります。
私たちのまわりにも、小説や新聞、手紙や日記がありますよね。
それと同じように、昔の中国でも、さまざまな文章が書かれていました。
つまり、漢文とは一冊の本ではありません。
昔の人が残してくれた「言葉の世界」なのです。
昔の人から届いたメッセージ
想像してみてください。
もし、二千年以上前に生きた人が、
「未来の人に、これだけは伝えたい。」
そう思って言葉を書き残してくれたとしたら。
その言葉を、今の私たちが読むことができる。
少し不思議だと思いませんか。
もちろん、すべての漢文が未来の人のために書かれたわけではありません。
歴史を記録するために書かれた文章もあります。
政治について書かれた文章もあります。
詩や物語もあります。
それでも、それらが大切に受け継がれてきたからこそ、私たちは昔の人が何を考え、何を大切にしていたのかを知ることができます。
だから私は、漢文を読むことは、
昔の人から届いたメッセージを受け取ること
に少し似ていると思っています。
なぜ、二千年以上も読み継がれているの?
世の中には、たくさんの本があります。
大人気になっても、何十年かすると読まれなくなる本もあります。
でも、漢文の中には、二千年以上もの間、読み継がれてきたものがあります。
なぜでしょう。
理由は一つではありません。
歴史的な価値があるから残った文章もあります。
美しい表現だから愛され続けた作品もあります。
そして、人としてどう生きるかを考えるヒントがあると、多くの人が感じてきた文章もあります。
時代は変わります。
暮らしも変わります。
けれど、人は今も昔も、
迷い、
悩み、
笑い、
誰かを大切に思いながら生きています。
だからこそ、昔の言葉が、今の私たちの心にも届くことがあるのでしょう。
聞いたことがある先生は?
ここで、一人の先生を紹介します。
名前は、孔子。
一度は耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。
学校で聞いた人。
テレビで聞いた人。
本で見かけた人。
これから先、どこかで名前を耳にする人もいるでしょう。
孔子先生は、約二千五百年前に生きた思想家・教育者として知られています。
そして、その言葉は今も世界中で読み継がれています。
ほかにも、
孟子。
老子。
荘子。
そんな先生たちがいます。
先生ごとに考え方は少しずつ違います。
だから面白いのです。
ある先生は、
「学ぶことの喜び」
を教えてくれます。
ある先生は、
「人を思いやる心」
について語ります。
またある先生は、
「頑張りすぎなくてもいい。」
と肩の力を抜かせてくれます。
どの先生も、
「こうしなさい。」
と命令しているというより、
「こんな考え方もあるよ。」
と静かに語りかけてくれるようです。
私は、漢文を「知恵の泉」と思う
山の奥にある泉を思い浮かべてください。
透き通った水が、静かに湧き続けています。
そこへ来た人は、自分に必要な分だけ水をくみます。
全部飲む必要はありません。
一杯で十分なこともあります。
漢文も、それによく似ています。
人生に迷ったとき。
失敗して落ち込んだとき。
人との関係に悩んだとき。
そのとき必要な言葉を、一つだけ持ち帰ればいい。
だから私は、漢文を「知恵の泉」と呼びたいのです。
少しだけ、泉の水を飲んでみよう
ここまで読んでくださったあなたに、
知恵の泉から、ほんの一滴だけお届けします。
今日の先生は、孔子先生です。
漢文
学而時習之、不亦説乎
現代語訳の一例
学んだことを繰り返し実践し、身につけることは、とても嬉しいことではありませんか。
どうでしょう。
「勉強しなさい。」
と言われているようには感じません。
「できるようになる喜びを味わおう。」
そんな優しい励ましのようにも読めます。
もう一つ。
漢文
己所不欲、勿施於人
現代語訳の一例
自分がされて嫌なことは、人にもしないようにしよう。
短い言葉ですが、学校でも、家庭でも、仕事でも、大切にしたいと思える人は多いのではないでしょうか。
最後に、もう一滴。
漢文
知之者不如好之者、好之者不如楽之者
現代語訳の一例
知っている人は、好きな人にはかなわない。好きな人は、楽しんでいる人にはかなわない。
私は、この言葉を読むたびに思います。
勉強も、仕事も、趣味も。
楽しみながら続ける人は、本当に強いのだと。
もちろん、受け止め方は人それぞれです。
だからこそ、この言葉は二千年以上もの間、多くの人に読み返されてきたのでしょう。
先生に会いに行く旅
どうでしょう。
漢文は、少しだけ身近になりましたか。
実は、今日読んだ三つの言葉は、広い知恵の泉の、ほんの一滴にすぎません。
泉の奥には、まだ数え切れないほどの言葉が眠っています。
この本では、その泉を巡りながら、たくさんの先生に会いに行きます。
最初の先生は、孔子先生。
次は、孔子先生の教えを受け継ぎながら、
「人は、生まれたときから優しい心を持っているのだろうか。」
という問いを、一生かけて考え続けた先生です。
その名は、孟子先生。
では、一緒に次の教室へ行ってみましょう。
先生は、もうあなたを待っています。
