【エッセイ】雨の日は雨を、死の日は死を
「自分のものさしを持とう」
あるいは、そのものさしをゆるく持とう。
心のありようを説く「禅」的なマインドフルネスな記事で見かけた。
これは自分自身の心を守るために、大変有用だと思う。
以下は、それを読んでの個人的な思考、思想ね。ただ、お遍路を終えて、般若心経、禅、仏教、「空」の概念に触れ、本を読み、瞑想した末に導き出した結論。
ものさしを持たないのが一番。
そもそも比較しない。
拘らない。
執着しない。
ただ、比較を捨てたとして、物事の「良し悪し」はきっとある。
絶対値として。相対的な良し悪しではなく。
そして、日々を「良し」として理解すること。
今日も絶対値とし「好日」と肯定すること。
それが私が考える「日日是好日」です。
前にも書きましたが、「今日は晴れで佳い日だ」「今日は雨で佳い日だ」
というマインドセット。
昨日に比べてどう、とか言うとダルくなる。
「いや、イタリアは地中海性気候(Cs)でもっと快適だ」とか言う人も出てくる。
もちろん、それは理想論であって、絶対値として、そりゃ毎日好日とは言えないよ。
じゃあ、ど素人が考えたものじゃなくて、ちゃんとされた方の抜粋。
日日是好日
これは、唐代の禅僧である雲門文偃うんもんぶんえん和尚の有名な言葉です。その語の通りに読めば、「毎日は、良い日である。」という意味です。
しかし、私達が生きている日々の中には、楽しい日もあれば、悲しい日もあります。それが全て良い日とはどういうことなのでしょうか。
例えば、雨の日。
一般的に雨の日は、天気の悪い日と言われます。確かに雨で洗濯物が干せない、服が濡れる等、雨で困ることが多いと思います。
しかし一方で、雨は私達の飲み水になり、作物を育てる天の恵みでもあります。
同じ雨でも受け取り方一つで良くもなり悪くもなる。私達の思う良し悪しは、簡単に別物になってしまう脆弱(ぜいじゃく)なものです。ここでいう「好日」とはそういうことでは決してありません。
そのような自分中心に置く都合に振り回されずに、今あるこの一瞬一瞬を大切に生きていく。雨の日も晴れの日も、悲しい日も楽しい日も、その日々の一日一日が自分の一生の中のかけがえのない一日なのです。
この言葉には「今この瞬間を生きる」いう禅の生き方が込められています。
雨の日には雨の一時を、晴れの日には晴れの一時を存分に感じ、受け入れる。それはたとえ楽しい日でも悲しい日でも同じことです。悲しい時には思いっきり泣いて、楽しい時には腹の底から笑う。
それが日日是好日ということなのです。
〈福田 智彰〉
ふむふむ。
分かりみ。
そしてもう一つ抜粋。
良寛和尚という方は、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候」という言葉を残されました。つまり、「災難や死を恐れるのではなく、あるがままに受け入れよ」と説かれたのです。
どんな災難が起こっても、素直に受け入れられる心。たとえ師匠が目の前で不慮の事故で亡くなっても、静かに手を合わせられる心。並大抵の覚悟ではこの境地に至ることはできません。しかしこの心を自覚してこそ、この覚悟を伴ってこそ、「日々是好日」と言えるのではないでしょうか。
読んでいただいたか分からないですが、父の葬儀の際にも触れた、ネイティブアメリカンの詩。
a good day to die
これと非常に近しいマインドだと思う。
そもそも「生」と「死」の境界を絶対とせず、生にすら執着しない。
それは決して、死ねっていう意味ではなく、むしろ逆で、どうせいつか必ず死ぬんだし。
死をそんなに特別視することはなく、同様に生もまた。
日日是好日
毎日が死ぬのに良い日
そんな風に、毎日を生きていけたら良いと思うのです。
Yes, today is a very good day to die.
(ご参考)父の葬儀のすべらない話
