なぜ、どの世代も「会社」を信じないのか──行動分析で読み解く"不信"の正体
目次
募集から15分で、枠は埋まった
「お前の代わりはいくらでもいる」と言われた世代
質問できないから、倉庫に潜って調べた
「就社」をやめ、「就職」を選んだ
世代が違うのではない。同じ不信に適応しただけだ
信頼は、どちらが先に差し出すか
1. 募集から15分で、枠は埋まった
ある会社で、早期退職を募ったときのことだ。
募集を開始してから、わずか15分で、枠が埋まった。
その光景は忘れられない。日頃、面談では「この会社で頑張りたい」「まだやり残したことがある」と言っていた人たちが、いざ出口が開いた瞬間、われ先にと手を挙げた。
口では何と言っていても、皆、辞めたかったのだ。
この出来事は、一つの事実を突きつけてくる。社員と会社の間には、口に出されない不信が、静かに、しかし深く溜まっている。普段は建前で覆われている。けれど、ふとした拍子に、それが数字となって表に出る。
この不信は、どこから来たのか。そして、なぜ世代によって、その表れ方が違うのか。行動分析の視点で、辿ってみたい。
2. 「お前の代わりはいくらでもいる」と言われた世代
わたしは就職氷河期世代の、ほぼど真ん中だ。
当時の職場の空気を、今でも覚えている。
「お前の代わりはいくらでもいる」。
これは、実際に言われた言葉だ。脅しでも比喩でもなく、日常の中で、当たり前のように告げられた。
行動分析の視点で、この一言が何をしたかを考えてみる。
この言葉は、「お前はいつでも替えが利く存在だ」というメッセージだ。つまり、会社は「お前を守らない」という随伴性を、最初にはっきりと提示した。頑張っても、貢献しても、その安全は保証されない。代わりはいくらでもいるのだから。
人は、提示された随伴性に適応する。
「会社は自分を守らない」と学習した人間が、どう動くか。会社に身を預けることをやめる。会社への忠誠を、合理的な範囲に留める。これは冷淡さではない。突きつけられた現実への、まっとうな適応だ。
氷河期世代が「会社を信じない」傾向を持つとしたら、それはその世代の性格ではない。「お前の代わりはいくらでもいる」という随伴性を、最初に浴びせられた世代だからだ。
3. 質問できないから、倉庫に潜って調べた
もう一つ、当時の体験を書いておきたい。
分からないことがあって、先輩に質問する。返ってくるのは、「ググれ」「自分で考えろ」だった。
質問するという行動が、罰を受ける。「そんなことも分からないのか」という空気。突き放される感触。質問するたびに、嫌な思いをする。
すると、どうなるか。
質問しなくなる。
わたしは、倉庫に潜った。過去の書類を引っ張り出し、似た案件がないかを探し、手探りで仕事を進めた。誰にも聞かず、自力で答えを探す方が、質問して嫌な思いをするより、ずっとましだったからだ。
これは、前に書いた新入社員の記事と、まったく同じ構造だ。質問という行動が消去され、罰せられると、人は質問しなくなる。そして一人で抱え込む。改善を試みた人が報われずに損をする——先日書いた「やったもん負け」の構造も、根は同じだ。良かれと思った行動が罰せられれば、人はやがてその行動をやめる。
ここで言いたいのは、当時の先輩を責めることではない。先輩たちもまた、余裕がなかった。自分の仕事で手一杯で、人に教える時間も心の余白もなかった。彼らもまた、厳しい随伴性の中にいた。
誰も悪意を持っていない。ただ、そういう構造があった。
4. 「就社」をやめ、「就職」を選んだ
こうした環境に置かれた氷河期世代は、ある一つの結論にたどり着いた。
「就社」ではなく、「就職」だ。
会社に属するのではなく、職に就く。特定の会社に人生を預けるのではなく、いつでも外に行けるように、自分の市場価値を磨き続ける。
わたしの周りにも、この意識を持つ人が多かった。スキルを身につける。資格を取る。社外に人脈を作る。「この会社がダメでも、自分は生きていける」という状態を、各自が必死に準備していた。
これは、当時の社会の空気とも結びついていた。自己責任論だ。「自分の身は自分で守れ」「努力しない者が悪い」という価値観が、世の中に広く行き渡っていた。
行動分析で見れば、これも適応だ。会社が守ってくれないなら、自分で自分を守るしかない。「いつでも外に行ける自分」を作る行動には、雇用不安からの解放という強化子が随伴している。だから、その行動が選ばれた。
会社への不信は、こうして一つの世代の標準装備になった。
5. 世代が違うのではない。同じ不信に適応しただけだ
ここで、世代間ギャップの話に戻りたい。
「氷河期世代は会社にしがみつく」「Z世代はすぐ辞める」「ゆとり世代は打たれ弱い」。世代論は、こうした違いを強調する。そして、世代同士が互いを理解できない、と語られる。
けれど、行動分析の視点で見ると、別の景色が見える。
これは世代の違いではない。同じ一つの不信に、それぞれの形で適応した結果だ。
氷河期世代は、「お前の代わりはいくらでもいる」と直接言われた。だから「いつでも外に行ける自分」を準備することで適応した。
そして、その氷河期世代が、親になり、上司になった。彼らの「会社は守ってくれない」という前提は、下の世代に受け継がれた。Z世代は、生まれたときから「会社に人生を預けるのは危険だ」という空気を吸って育っている。
だからZ世代の「合わなければ辞める」「自分を大切にする」は、氷河期世代の「就社ではなく就職」の、進化形にすぎない。根は同じだ。会社を信じていない。
早期退職の枠が15分で埋まったのも、同じ構造だ。世代を超えて、社員は会社を信じきれていない。普段は建前で隠れているその不信が、出口が開いた瞬間に、一斉に表面化した。
世代で人を分けて、互いを「理解できない」と語るのは、たやすい。けれど本当の問題は、世代の断絶ではない。会社が、長い時間をかけて、社員の信頼を裏切り続けてきた——その構造の方だ。
6. 信頼は、どちらが先に差し出すか
では、どうすればいいのか。
社員に「もっと会社を信じろ」と言っても、無駄だ。不信は、随伴性の結果として生まれている。言葉で「信じろ」と命じても、随伴性が変わらなければ、不信は消えない。
変えるべきは、随伴性だ。
「お前の代わりはいくらでもいる」と言ってきた会社が、「あなたが必要だ」と態度で示す。改善に協力した人を切らない。質問を罰しない。早期退職に手を挙げる前に、本音を言える場を作る。
一つひとつは小さい。けれど、「この会社は、今度こそ自分を守るかもしれない」という経験が積み重なったとき、不信は少しずつ薄れていく。
ここで、難しい現実がある。信頼は、裏切られた側からは差し出しにくい。一度「代わりはいくらでもいる」と言われた人間が、自分から会社を信じにいくのは、リスクが高すぎる。
だとすれば、先に信頼を差し出すべきは、会社の側だ。
「あなたを守る」と、言葉だけでなく、随伴性で示す。守られた経験が一つ生まれるたびに、社員はほんの少し、会社を信じられるようになる。
世代論で人を分けても、何も変わらない。変わるのは、信頼を生む構造を、会社が先に作ったときだ。
変えるべきは、人ではない。いつだって、構造の方だ。
明日から試せること: もしあなたが部下を持つ立場なら、「代わりはいる」と思わせる言動を、一つやめてみてください。「あなたにお願いしたい」と名指しで頼む。それだけで、相手が会社を見る目は、少し変わります。
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こうぞう もとJTCサラリーマン いま研究者(経営学部)
