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認識変更➡サレンダーからの日常。どう生きる?どう考えて過ごす?エゴに負けないために。

「3%の現象化」を大げさに喜ぶ、それが「充足を見る」なのだと思う。

同じようなことを何度も書いてしまうけど、同じようなところを何度もすぐにループさせるのがエゴだから、それに対抗して(?)何度でも書いてみよう。

認識変更して、
「内側が外側に投影する」
「意識が現実を創る」
を認め、

この世界は「そう思えばそうなる」ということを採用する。


そして、もう自分ではどうにもできないことに対し、サレンダーして、自分で現実をコントロールすることを放棄する。

サレンダーは怖くて怖くて怖くて、やろうとしてもなかなかできなかったことだけど、「認識変更」を経て、「そう思えばそうなる」ということを信じることができるようになって、やっと手放すことができた気がしている。


願望が叶うことを信じられるようになるのではなく、
別の領域の存在、潜在意識の力、そっちを信じるそんな感じだ。


ここまでは今までの記事で書いてきたとおりだ。



で、その後、
その後だけど、これまた、「サレンダーした!!できた!!もう私は何の不安もない!!なぜなら別の領域が全部やってくれるから!!」と確かに思えたはずなのに、

まあ、少しするとすぐにやってくるよね、エゴってやつが。


あんなに、「完璧で何も怖くない!もう大丈夫!これでゴール!できた!私できた!至福だ!」

ってなってたくせに、すぐにやってくるよね。

紅潮して高ぶってる時はさすがにおとなしいんだけど、それが落ち着いて、
その完璧な私のまま日常に入ろうとすると、もうすぐにやってくる。

「普通にしてるけど大丈夫?」
「どう?叶った?」
「サレンダーしたよね?もう現象化するんだろ?」
「まだ変わってないよね?できてないんじゃない?」
「わかったなんて気のせいだよ、できてないから現象化しないんだよ」

すぐだ。
すぐに出てくる。

まじで、ほんと、「日常」に入るとすぐだ。
ここがほんと盲点で、またここから戻り始めてループしてしまうこともめちゃくちゃ多い気がする。



ではどうすればいいのか。
どう日常を生きればいいのか。

これは前回も書いたんだけど、
とにかく、「充足を見る」これなんじゃないかなと思う。


「充足を見る」「あるを見る」これで過ごすのだ。
そして「不足」はなかったものとして徹底的に無視するのだ。


「充足を見る」にはいろんな見方があると思う。
その言葉の意味も使ってる人によってそれぞれで違うかもしれない。

私が思うここでいう「充足を見る」は、とにかくすでに投影し現象化したものを見るのだ。


欠片でいい、それを歓迎し、喜ぶのだ。
徹底的に大げさに
「お、これも叶った。」
とどんどんそれを見つけていくのだ。

本願だけに目を向けるのではなく、何でもかんでも。
小さなラッキープチ奇跡ちょっとしたいいこと、何でもかんでも大げさに大歓迎する。

「まじ現象化してるぅぅぅ」

ってね。

ひたすらにそれを見つけて過ごすのだ。



よく言われる話で、
コップに水が「半分しかない」と思うか「半分もある」と思うかという話がある。

これ、潜在意識的考えだと、
「半分もある!から満足しろ」、っていう意味ではないと思う。
(というか、そういうことか!とやっとわかった)

「半分もある!」では、満足しているようで、実はその「ない方」の半分にも意識がいっている。
これではだめなのだ。

ある半分だけを見て、
ない半分は無視でいいのだ。

半分あるという事実がもう「現象化」なのだ。


結局、私たちは、願望を持ってそれを待っている時、
まだ叶ってない部分を見てしまう


少し叶いだしても、「まだまだ全然足りない」と、即座にそっちの「まだ」を見てしまう。

せっかく叶いだして、わずかでも現象化が進んでいるにもかかわらず、そのわずかには気が付かず、「まだ」を見ている

100%のうち、3%くらいその現象化の欠片が見えたとしても、
「ああ、97%が全然かなわない、もうだめだ、無理だ」となってしまう。

これなんだと思う。
とくにいわゆるタイムラグの間とか、ずっとこれやって、意図を取り消しているんだよね。

で、叶わない方を見てしまう。

こういうことなんだと思うのだ。



だから、もう徹底的に「充足を見る」
欠片でいいから、わずかでいいから、それを目を凝らして見るのだ。

なんでもいい、なんでもいい。

すれ違った車のナンバーがゾロ目だったでもいい。
出かける時間に雨が止んだでもいい。
なくしたものが見つかったでもいい。
(これだって、いつかの自分が無意識に意図したことの投影だしね)

もちろん、それが願望と結びついているものなら、より大歓迎だ。

売上がちょっとだけど伸びてきた。
相手の反応がちょっと違う気がする。
なんでもいい、小さなことでいい、気のせいとか思わない。


さらにそれもどんどん「充足」として見る。

本来の目標の1%にも満たないものでもいい、
確かに現象化が進んでる証だとしてそれを認める


大小ではない、投影の兆しが見えて来ていることがもうすばらしい。
100%のうちの3%でもいいから、それが投影されたということ、それを見るのだ。

で、まだの97%は無視。
完全に無視。
栄養を与えない。

「おおお!!!現象化進んでるぅぅぅ」って大げさに喜び、そこだけをみる。
充足だけを見るのだ。

とにかく、それだけをする。
ひたすらそれをして過ごす。


これが正解なんじゃないかなと思う。



そして、たぶんこれを続けていれば、当然だけど、心の中は充足だらけになるだろう。

不足は無視してるわけだから、内側の心には残っていかないはずだ。


そう、そうすれば当然、
「そう思えばそうなる」んでしょ?

「内側が外側に投影する」
「意識が現実を創る」

なんでしょ?


そりゃ、充足だらけの毎日が投影されてくよね?
ってことなんだと思う。




とにかく、エゴはどこからでもやってくる。
気を抜くとすぐに元の世界に引き戻そうとする。

大きな気付きがあって、「キタコレ!」ってなった時は惑わされないけど、それが落ち着き、いざ日常に戻ろうとすると、すぐにやってくるんだよね

(まじでいつも来るよね💦)


だからこそ、その日常に入った時に出てくるエゴに対して、とにかく充足を見るで対抗する

当たり前のように、充足だけをみる。
とにかく、これ、これ、これ。
エゴは不足から入ってくるから、その入り口を作らない。

これはとても有効な対処法ではないだろうか?と思ったので書いてみた。



私たちは、いろんな気付きを経て、それを腑に落として、だんだんそれを当たり前のこととして日々を歩むことになる。
そうやってどんどんより深い気づきに近づく。

この世界に入ってきた人はきっとみんなそうだと思うし、
何度も何度もループして、「わかった!」と思って、またわからなくなって、またわかって、またわからなくなって、

でも、前にわからなかったことが、いつのまにか当たり前のデフォルトでわかるようになってる。

だから、ひとつひとつ腑に落として、さらなる気付きを得ていきたいよね。


この「充足を見る」「充足しか見ない!」は自分的にはかなり有効だと思ってる。
読んでいただいた誰かにとっても、もしかしたら「使える技」の一つになってくれたら幸いです。



※同じく認識変更・願望達成・意識の世界で生きるという同志の方はぜひ仲良くしていただけると嬉しいです!


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尾田りん子 最後まで読んでいただきありがとうございます!もしこの記事が何かの気づきになりましたらうれしいです。もしお茶でもごちそうしてやろうという気分のときは、喜んでいただきます!