【食の歴史】とんかつ 誕生物語
明治28年の東京・銀座。洋食店「煉瓦亭」の厨房は、すさまじい熱気に包まれていた。 店主の木田元次郎(きだ もとじろう)は、フライパンで豚肉をバターで炒め焼きにするポークカツレツの注文に追われ、額の汗をぬぐう。
そこへ、毎日のように通う常連の書生、進(すすむ)が、お腹をすかせた様子でカウンターに座った。
「木田さん、今日もいつものポークカツレツを……あ、いや、やっぱり少し時間がかかるかい? 最近、お店がすごく繁盛しているから」
元次郎は苦笑いしながら、フライパンの前に立ち尽くした。
「いやぁ、進くん。ありがたいことなんだが、実は大問題が起きていてね。日清戦争が始まってからというもの、若い料理人たちがみんな兵隊に引っ張られちまって、厨房が圧倒的に人手不足なんだ。このカツレツは、肉を薄く叩いて、細かいパン粉をつけて、フライパンにつきっきりでバターでじっくり焼かなきゃならん。これじゃあ、たくさんのお客さんを待たせちまうんだよ……」
進は厨房の様子を見て、ふと気づいた。
「なるほど、つきっきりで焼くから時間がかかるのですね。……だったら、隣の天ぷら屋さんみたいに、大きな鍋の油にドボンと放り込んで揚げてしまったらどうですか?」
元次郎は一瞬目を見開いたが、すぐにニヤリと不敵に笑った。
「進くん、実は俺も今、まったく同じことを考えていたところさ!」
元次郎は、手元にあった厚切りの豚肉を一切れ掲げた。
「西洋のコートレット(カツレツ)は、元々はビーフ(牛肉)やヴィール(仔牛肉)を薄くして、少量のバターでソテーするものだ。だが、俺たち日本人は、やっぱり分厚いお肉をガブッと贅沢に食べたいだろ? でも、厚い肉をフライパンで焼いたら、中まで火が通る前に表面のパン粉が真っ黒に焦げちまう。……だったら、肉を厚く切って、天ぷらのように大量の油でディープフライ(深揚げ)にすればいい!」
「厚切り肉を、天ぷらのように揚げる……! それは豪快ですね!」
「それだけじゃない。衣も変える。西洋風のサラサラした細かいパン粉じゃ、油を吸いすぎてギトギトになっちまう。だから、食パンをあえて粗く削った生パン粉を使うのさ。これを160度の油でじっくり揚げると、中の肉汁をギュッと閉じ込めたまま、外はサックサクの軽い食感に仕上がるんだ」
元次郎はさっそく、厚切りの豚肉に小麦粉、卵、そして粗い生パン粉をたっぷりとまとわせ、天ぷら鍋の熱い油の中へ投入した。
シュワアアアア……! と、天ぷらよりも重厚で香ばしい音が店内に響き渡る。
「さらにだ、進くん。これまでの洋食は、パンに合わせるために温かい温野菜を添えていたが、あれも手間がかかる。そこで、うちでは今日から、包丁で細かく刻んだ生のキャベツの千切りを山盛りに添えることにした。これなら一瞬で用意できるし、口の中の油っぽさをサッパリ消してくれる」
やがて、きつね色に揚がった見事な「ポークカツレツ」がまな板に上げられた。包丁を入れると、サクッ、ジュワッと小気味よい音が響く。
元次郎はそれを皿に盛り、山盛りの千切りキャベツを添えて、進の前に差し出した。
「さあ食べてみてくれ! ナイフとフォークじゃなく、最初から包丁で切り分けてあるから、箸で食べられる。お皿の端のウェスターソース(ウスターソース)をつけて、洋食屋だけど、あつあつの白米の御飯と一緒に掻き込むんだ!」
進は箸で分厚い一切れを持ち上げ、ソースをつけて口に運んだ。 サクサクの衣が弾けた瞬間、中から肉汁があふれ出す。それをすかさず、お茶碗の白いご飯で追いかけた。
「……!! 木田さん、これは美味い! フライパンで焼いたカツレツとは、完全に別物だ! 天ぷらのサクサク感と、お肉のジューシーさが最高に調和している。しかも、ご飯にめちゃくちゃ合います!」
「だろ? 西洋の『カツレツ』と、日本の『天ぷらの技術(揚げる)』、『キャベツの千切り』、『米食文化』。これらが合体して生まれた、これが俺たちの洋食さ!」
元次郎は嬉しそうに腕を組んだ。のちにこの煉瓦亭のポークカツレツが、昭和に入ってから「とんかつ」という名前で全国に広がり、日本の国民食となっていくのだった。
