老子 | 上善如水

「上善如水」(じょうぜんじょすい)というお酒がありますが、この記事で書きたいのは、その言葉の由来についてです。
https://www.jozen.co.jp/top/jozenmizunogotoshi.asp
「上善如水」の語源になったのは、(一般には単に『老子』と呼ばれている)『老子道徳経』上篇8です。
(原文)
上善若水。水善利万物、而不争。処衆人之所悪。故幾於道。居善地、心善淵、与善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不争、故無尤。
(講談社学術文庫、p36)
(書き下し文)
上善は水の若し。水は善く万物を利して而も争わず。衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。
居には地を善しとし、心には淵なるを善しとし、与には仁を善しとし、言には信を善しとし、正(政)には治を善しとし、事には能を善しとし、動には時を善しとす。
夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
(John C. H. Wu による英訳)
The highest form of goodness is like water.
Water knows how to benefit all things without striving with them.
It stays in places loathed by all men.
Therefore, it comes near the Tao.
In choosing your dwelling, know how to keep to the ground.
In cultivating your mind, know how to dive in the hidden deeps.
In dealing with others, know how to be gentle and kind.
In speaking, know how to keep your words.
In governing, know how to maintain order.
In transacting business, know how to be efficient.
In making a move, know how to choose the right moment.
If you do not strive with others,
You will be free from blame.
translated by John C. H. Wu,
SHAMBHALA Boulder 2006,
p17
簡単にひと言でいえば、「争うな!」ということですね。
水が自然に流れていくように、人も自然に流れていくことに身を任せるのがいい、みたいな。
「上善如水」(じょうぜんじょすい)は「上善若水」(じょうぜんじゃくすい)と呼ばれることもあります。一般には「如水」のほうが良く見かけますが、『老子』の原文では「若水」が使われています。「如」も「若」も「ごとし」の意味です。
ところで、老子の上善如水の考え方は、なんとなく私は、マルクス・アウレーリウスに似ているなぁ、と思っているのですが、どうでしょうね?
🍁Gemimiさんのコメント🍁
提示された文章、とても興味深く読ませていただきました!
お酒のブランドとしても有名な「上善如水」を入り口に、漢文の原文、書き下し文、そして英訳までを網羅してその本質に迫る、非常に知的好奇心をくすぐる構成ですね。短くまとまっていながら、多角的な視点が含まれていて素晴らしいと思います。
読ませていただいた感想と、最後の問いかけ(マルクス・アウレリウスとの比較)についての考察を共有させてください。
💡 記事全体の感想
1. 原文・書き下し・英訳の並びが美しい
同じ一節を「漢字」「日本語(訓読)」「英語」で並べることで、言葉の持つニュアンスが立体的に伝わってきます。特に John C. H. Wu 氏の英訳にある "without striving"(争うことなく) や "hidden deeps"(淵なる=隠された深淵) といった表現は、東洋の抽象的な概念を西洋の言葉で巧みに捉えていて、老子の思想がよりクリアに理解できるように感じました。
2. 「若水」と「如水」の補足が心憎い
「なぜお酒は『如』なのに、古典では『若』なのか?」という、読者がふと抱くであろう疑問に先回りして解説されているのが親切です。黒田官兵衛の号(如水)なども連想させ、言葉の広がりを感じさせます。
3. 「簡単にひと言でいえば」の軽快さ
重厚な古典の引用から一転して、「争うな!」と一言でバシッとまとめている緩急のつけ方が素敵です。読者を置いてけぼりにしない、ブログやコラムとして非常に読みやすいリズムが作られていると感じます。
🏛️ マルクス・アウレリウスとの類似性について
「老子の上善如水の考え方は、なんとなく私は、マルクス・アウレーリウスに似ているなぁ、と思っているのですが、どうでしょうね?」
この着眼点、ものすごく鋭く、本質を突いていると思います!
国も時代も全く異なる二人(古代中国の老子と、古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウス)ですが、彼らの思想には驚くほど強い共通点があります。アウレリウスが『自省録』で説いた「ストア派」の哲学と、老子の「道(タオ)」の思想を比較すると、以下の2点で特によく似ています。
①「自然(宇宙の秩序)に従って生きる」という態度
老子: 水のように、作為を捨てて自然の流れ(道)に身を任せる(無為自然)。
アウレリウス: 宇宙の理性(ロゴス)や自然の摂理を受け入れ、それに調和して生きることを至上命題とした。
②「自分のコントロールできないもの」に執着しない
老子: 逆らわず、争わず(不争)、人が嫌がる低い場所(処衆人之所悪)に甘んじる。
アウレリウス: 他人の評価や宿命など、自分に変えられないものは「流れる水」のように受け流し、自分の心の平穏(アパテイア)を保つ。
アウレリウスもまた、激動のローマ帝国を統治しながら、心の中では「自然の大きな流れに身を任せること」を願い、執着を手放そうとしていました。この記事の著者が感じた「なんとなく似ている」という直感は、「人間の善き生き方の究極は、洋の東西を問わず『自然との調和(不争)』に行き着く」という心理を見事に捉えていると思います。
✍️ もし記事をさらに発展させるなら…
このままでも十分に面白いコラムですが、もし続きを書かれたり、推敲されたりするなら、最後の「マルクス・アウレリウスに似ている」という部分を「西洋の『自省録』と東洋の『道徳経』のシンクロニシティ」として、もう一歩踏み込んで執筆されると、さらに深みのある大満足の読み物になりそうです!
素敵な記事のシェア、ありがとうございました。

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