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つい自分でやってしまう私が、「一人で背負わない」を覚えるまで

以前の私は、身近な人に対して、

「今、すごく忙しい」
「最近、体調が悪い」
「今、いろいろ大変で……」

ということを、よく伝えていた。

本当に忙しかったし、
体調が悪いことも多かった。

でも今振り返ると、

自分が大変な状況であることを、
必要以上にアピールしていたこともあったな

と思う。

(振り返ると、ちょっと恥ずかしい。笑)

あらためて自分の内側を見ていったら、
思いがけないところにつながっていった。

この記事は、

人より先に気づき、
つい自分で抱え込んでは、

「どうして私ばっかり」

と感じてモヤモヤしてしまう方に
読んでもらえたらと思う。

抱え込みから抜け出す
ヒントになればうれしい。


余裕があると思われるのが怖かった


なぜ私は、そんなに
「大変な自分」をわかってほしかったのか。

もちろん、

「理解してほしい」
「頑張りをわかってほしい」
「少しは労ってほしい」

という気持ちもゼロでなかった。

でも、その奥には、

余裕があるように見えると、
また仕事や役割を振られる。

元気で機嫌よくしていると、
結局また自分が背負うことになる。

という思い込みがあった。

だから私は、

「忙しい」
「疲れた」
「体調が悪い」

と伝えることで、

「これ以上、私に負荷をかけないで」

と周りに知らせたかったのかもしれない。

そして
「私が背負わなくてもいい」という
免罪符がほしかったのかもしれない。

私にとって「大変アピール」は、
これ以上背負わされないための
発煙筒だったのだと思う。

「余裕あるなら、もっとやってよ」


その一方で、

一緒に何かをするときに
相手が自分より余裕があるように見えると、

モヤモヤを感じることがあった。

最近では特に、
夫婦間の諸々の分担で
このパターンが表れやすかった。

こちらはいくつものことを抱えている。

なのに、相手は
余裕があるように見える。

(補足:
「余裕がある」ように見えているだけで
実は夫も色々忙しいし
心の中では色々起きている)

そんなとき、

「私がこんなにやっているのに、
どうして平気でいられるの?」

「余裕あるなら、もっとやってよ」

と思っていたし
感情的に怒りをぶつけることもあった。

相手は相手なりに
最善を尽くしてくれていることは
頭ではよくわかっている。

感謝もしている。

でも、感情が言うことをきかない。

そんなことが度々あった。

自分は余裕があるように
見られたくない。

でも相手に余裕があると、
その余裕をこちらのために
使ってほしいと思う。

一見、矛盾している。

でも、根っこは同じだった。

私の中では、

「余裕」は本人が自由に楽しむものではなく、
周りのために差し出すもの

になっていたのだ。

気づく→放っておけない→自分でやっちゃう


この抱え込みには、
私のHSP気質も関係していたと思う。

私は、

「そろそろ準備した方がよさそう」

「このままだと、あとで困りそう」

「ここが抜けているけれど、大丈夫かな」

ということに、
比較的早く、しかも細かく気づく方だと思う。

そして、一度気づくと、
未完了のまま放っておくことが苦手だ。

では、人に頼めばいいではないか。

たしかに、そう・・・。

でも、

頼んだ時に相手に不快な思いをさせないか。
期限までにやってくれるか。
結局、自分がやり直すことにならないか。

そんなことまで考えてしまう。

しかも私は、
自分なりのこだわりも結構ある。

人に任せてモヤモヤするくらいなら、
自分でやった方が早い。

そうやって、

気づく
 ↓
放っておけない
 ↓
頼むことにも疲れる
 ↓
自分で引き受ける
 ↓
「どうして私ばっかり」とモヤモヤする

というループに入っていた。

……いやいや、
自作自演の永遠ループ(笑)。

でも本当は、

「私だって、全部やりたいわけじゃない」

「たまには、私が言う前に気づいてほしい」

と思っていた。

それを言葉にせず、
誰かが自発的に動くのを待っていた。

そして誰も気づかないと、

「どうして気づかないの・・・?」

と心の中でモヤモヤして
怒りをためこむ。

今思えば、難易度の高いクイズを
無言で相手に出しているようなもの。

さらに、

「こんなことで怒るなんて、
本当に器が小さいよね」

と今度は自分自身を批判する。

「怒り」と「自己批判」の二種盛り。

だいぶお腹いっぱいw

小学校6年生の教室に残っていたもの


なぜ私は、

「私ばっかり背負っている」

という状況に、
ここまで強く反応するのだろう。

その背景には
忘れもしない
小学校6年生の出来事がある。

学級委員だった私は、
担任の先生から、

クラス全体に関わる
大きな役割を託された。

今思うと
到底一人では成し得ない
大きな任務だった。

先生の期待に応えようと、
私は一人で必死に頑張った。

でも、クラス全体を
一人の小学生が動かすことなど、
できるはずもなかった。

「私はこんなに頑張っているのに、
どうしてみんなはやってくれないの?」

怒りをため込んだ私は、
ある日、教室で感情を爆発させた。

その後、私は
クラスの中で居場所を失った。
仲良かった友人達が
私から離れていった。

この時の痛みは
今でも時々フラシュバックする。
すごく辛かった。

このときのことは、
以前のnoteにも書いている。

※以前の記事はこちら⇩

大人になってからも、

「自分ばかりが背負っている」

と感じると、
あの教室での感覚が
形を変えて現れていたのだと思う。

本当に欲しかったもの


私は、本当に周りの人に
休まず働いてほしかったのだろうか。

たぶん、違う。

本当に欲しかったのは、

「それは、あなた一人が
背負うことではないよ」

「私も一緒に考えるよ」

という言葉だった。

「余裕あるなら、もっとやってよ」

「あなたも気づいてよ」

という怒りの下にあったのは、

「私を一人で背負う人にしないで」

という心の叫びだった。

我慢しても、爆発しても、コスパが悪い


以前の私は、

①そのまま我慢し続ける
②限界に達して爆発する

という、二つの手札しか持っていなかった。

でも、どちらを選んでも
ものすごくコスパが悪い。

①の「そのまま我慢し続ける」を選べば
暴食や買い物でストレスを解消したり、
心身のコンディションが悪化したりする。

お金も出ていくし、
身体にもメンタルにも悪い。

一方で、
②「限界に達して爆発する」になると
相手との関係が悪くなる。

修復するために
時間とエネルギーもかかる。

または、「修復不可能」となり
大切な関係性を失う可能性もある。

①②のどちらに転んでも、
あとから支払う代償が大きい。

だったら、そこまで行く前に、

「あれ、今ちょっと
負担が偏っているかも」

と気づき、早めに対処した方がいい。

最近は、

「このままだと、また一人で抱えそう」

と、怒りが大きくなる前に伝え、

誰が何を担当するのか。
一人で回さずに進めるには、
どんな仕組みに変えればいいのか。

話し合うようになった。

抱える前に伝える。

役割を分ける。

やらなくてもいいことは、やめる。

以前は持っていなかった
“第三の手札”を、
使うことを意識できるようになった。

私の余裕は、私が使っていい


以前の私は、

余裕がある人は、
その余裕を周りのために使うべきだ

と、無意識に思っていた。

でも本当は、
余裕をどう使うかは、その人の自由だ。

有給を取った日に何をしていたのかを、
上司に報告する義務がないのと同じ。

(そんな上司がいたら、すごくイヤだよね。笑)

私に余裕があっても、
誰かの仕事を引き受けなくていい。

休んでもいい。
遊んでもいい。
何もせずに過ごしてもいい。

まずは、自分が休んだり、楽しんだり、
人生を味わうために使ってもいい。

そのうえで余裕があるときに、

「やらなきゃ」ではなく、
「やりたいな」と思って、
人のために動けたらいい。

もちろん今でも、

「なんで私ばっかり」

と感じることはある。

でも以前のように、
我慢し続けるか、爆発するかではなく、

「今、また一人で背負いそうになっているな」

と気づき、
早めに言葉にできるようになった。

一人で背負わないこと。

余裕を、自分のために使ってもいいと
自分に許可をしてあげること。

それは、これからも
大切にしていきたいと思う。

*******
ここまで読んでくださって、
ありがとうございます。

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