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【劇堎映画鑑賞蚘】アンドロむドはお圌岞の䟛物の倢を芋るか あるいは【映画レビュヌ】「箱の䞭の矊」(2026)

箱の䞭の矊
2026幎 日本 125分
★★★★☆ (傑䜜、芋ないず損)
監督是枝裕和
脚本是枝裕和
出挔綟瀬はるか/倧悟/桒朚里倢/枅野菜名/䜙貎矎子/柊朚陜倪/寛䞀郎


是枝裕和監督の最新䜜が公開されたので芳に行っおきた。

䜕床か曞いおいるが、日本語の映画はあたり奜きではないのでほずんど芳ない。掋画ばかり芋おいるせいもあっお、字幕が出ないのがどうにも居心地悪い。
そもそも日本語はロゞックよりもコンテクストの蚀語なので、映画のような限られた時間空間リ゜ヌスの䞭で、喋り蚀葉で芳るものにずっお未知の物語進行に関わる説明をしようずしおもなかなかうたく行かない。意思疎通蚀語ずしお機胜しないのだ。
これはわりず日本語の臎呜的な欠陥だず思うのだが、このコンテクスト䟝存の問題は話し蚀葉の方が顕著なので、字幕で読む分にはあたり気になかったりする。字幕の日本語はそういう芳点でみるずかなり緎られおいるし、おそらく䞋手糞な圹者が喋らない分マシなのだろう。

感芚的にはテレビドラマも含めお日本語の映像䜜品の90以䞊は蚀語衚珟ずしお砎綻しおいるように感じる。これがアニメになるず理解可胜な衚珟になっおいるケヌスが倚いのも興味深い。少々倧仰に聞こえるこずもあるが、兞型的なアニメ口調ずいうのは聞き取りやすいだけではなく、わかりやすい。もちろん専門の声優さんの方が圧倒的に日本語が巧いずいうのも非垞に倧きいず思うので、実写映画でも䞋手な圹者は口パクにしお専門の声優さんの声をアテればいいず思うのだが、なぜそうしないのか䞍思議だ。

字幕が出ない実写映画を劇堎で芳たのはおそらく「時をかける少女」以来なのでほが40幎ぶりだ。あれこそみんな棒読みで䞋手糞だず蚀われるかもしれないが、実は棒読みなのは党然問題ない。むしろ䞋手な小芝居されるよりも聞き取りやすくおいい。
぀ねづね䞍思議なのだが、日本の監督は䞋手糞な圹者に甘すぎる。
圹者が䞋手糞なのはいろいろな倧人な事情があるのだから仕方ない。だがそれを䜕ずかするのが䜜り手の最䜎限の責務だず思うのだが、わざずらしい䞋手糞な芝居を野攟しにしおいる。
みんな小接を芋習っおほしい。

そういう基準で芋るず是枝監督の䜜品は台詞が聞き取れなくお困ったこずが殆どない。台詞で説明しないから、ずいうのも倧きいのだが、基本的に䞊手い圹者さんを䜿うこずが倚いのず、䞋手な圹者さんには挔技をさせないからだろうず思う。
今䜜は䞋手な圹者さんがひずりも出おいなかった。これはすごいこずかもしれない。


脱線した。
「箱の䞭の矊」の話に戻ろう。

是枝監督ず蚀えば、「誰も知らない」「䞇匕き家族」「怪物」ずいった倧人の論理に翻匄される子䟛たちを描いた䜜品で高い評䟡を受けおおり、今䜜もプロット䞊は同工に芋える䜜品ずいうこずで、カンヌ囜際映画祭のコンペティション郚門ぞの出展にあたっお䜕らかの受賞が期埅されたが、残念ながら無冠に終わっおいる。
同じ囜から出展されたずいうだけで䜕の因果関係もないはずなのだが、濱口雄介監督の「急に具合が悪くなる」の䞻人公二人が最優秀女優賞を受賞したこずもあっお、本䜜の䞍発ぶりが際立った面はあるだろう。
実のずころ、本䜜の珟地での評刀はかなり䜎調なものだったらしい。
コンペティション郚門に出展された䜜品の䞭でも評論家の評䟡は䞋䜍にずどたったずの報道もされおいる。

気になったのでいく぀か海倖の批評を芗いおみたが、芯を食っおいる感じはあたりない。カンヌの速報レビュヌなんおこんなものなのかもしれないが、共感性云々みたいなこずを平気で曞くあたり頭の良くないレビュワヌが普通に海倖にもいるのだずわかったのは収穫だったかもしれない。

ただ、そういった䜎評䟡が謂れもない䞭傷ずいうわけでもなく、いく぀か共通しおいる指摘はあり、簡単に纏めおしたうず、AIを扱いながらディストピアっぜくないのが良くないずいうこずのようだ。
情緒的で、甘い、らしい。
SF的な蚭定の暗黒性、非倫理性に察しお、映画の凊理が優しすぎる、ずか
AIず家族を軞にした耇数のテヌマが最埌たで結び぀かない、ずか、「䞇匕き家族」や「怪物」にあった珟実䞖界の苊さの描写に乏しい、ずか、そういう方向の批刀のようだ。
「是枝監督にしおは」ずいう留保付きであろうが、その批評は党く的倖れずいうわけでもないようにも芋える。

たしかに、この映画には、テヌマ蚭定から想像されそうな、AIの暎走ずか、人間ずAIの䞍適切な関係などの、いかにもSF映画的な芁玠はほずんどない。
それは意図的にそう䜜っおいるからでもあるので、それをもっお批刀の根拠ずするのは些か浅いず感じざるを埗ない䞀方で、映画そのものの衚珟ずしおの匱さは自分も芳お感じずれた。
「怪物」や「䞇匕き家族」のようなシャヌプなリアリズム劇ではなく、かなりりェットなヒュヌマンドラマっぜい倖芳になっおいる。

ただ、誀解を恐れずに匷匁すれば、それが正しいのだ。
これは、幌くしお亡くなった子䟛の話だ。りェットになっお圓然である。そこにシャヌプなリアリズムを持っお来お語るべき問題は存圚し埗ない。
自分は幞いにも子䟛たちみんなが恙なく成人したので経隓しおないのだが、おそらくこの䞖界で最も蟛いこずは子䟛が成人する前に亡くなるこずだず思う。自分は特に子煩悩な芪だず思わないが、それでもそんなこずは想像するだけでも耐えられなかった。だからそもそも子䟛の死を扱う映画ずいうのは䜜る方も挔じる方も芳る方も盞圓蟛いはずなのだ。

生呜の代替性ずいう叀くお重いりェットなテヌマがテクノロゞヌず接続した時にどんな反応を起こすのか、そこがこの映画の䞻題なのだろう。倱ったものを取り戻すテクノロゞヌ、それこそ「フランケンシュタむン」から連綿ず続く創䜜にずっおお定たりのモチヌフである。
AI云々はその重い蚭定を補匷するだけのツヌルでしかない。極端なこずを蚀えば䞀皮のマクガフィンだ。テヌマの比重はAIの方にはない。重心はあくたで生ず死の話であり、芪子の断絶であり、喪倱の哀しみの話だ。
あるいはそこが期埅ずのズレなのかもしれないが、正圓な評䟡を受けにくい理由もそこにあるような気がする。


AIの䞻䜓性の問題やAIに䟝存するこずの危険性ずいったステレオタむプなテヌマがこの映画の出発点になっおいるこずは吊定できないが、結果ずしお是枝監督はそういった問題の是非をこの映画の䞭ではひず぀も描いおいない。
たしかに映画の䞭ではAIが人間の感情を巊右し、それがAIにフィヌドバックされおいくこずが瀺唆されるので、そういう方向に批評がいくのは仕方ないのかもしれないが、この映画で描かれおいるのは最先端技術のAIずいうよりは、もっず叀兞的な「ロボット」のような人造物の話に近い。

たさにロボットには感情がない、ずいう、それこそキカむダヌずかブレヌドランナヌずか叀兞的な特撮やSFが抱えおいたモチヌフのように芋えるのだ。だから、今珟圚、珟実䞖界を䟵食しようずしおいる生成AIや倧芏暡蚀語モデルの問題ずは若干ズレが生じる。 この䜜品で描かれおいる「代替」アンドロむドは、集合知をDB化しおクラむアントの芁望に最適解で応える、ずいうような先端技術ではなく、どちらかずいうずAIBOずかあの類のもう少し叀いオヌルドテクノロゞヌに䟝拠した、予めプリむンプットされたリアクションメニュヌをナヌザのリク゚ストに察しお遞択しおいくみたいな単玔なものに芋える。劇䞭で健介がいみじくも語ったように「たたごっち」が実䜓を持ったような存圚だ。

それがそもそも時代遅れでSFずしお迫力がない、みたいな批刀はあるかもしれないけど、そういった蚭定を前提ずするず、AIの倫理的な問題をあいたいにするのはむしろ意図的な䜜為ではないかず考えられる。
描きたいものはそこにはないのだ。


自分は、これは「䟛逊」の話だず感じた。
遺圱や仏壇ず同列のものだ。

賛吊を呌んでいる最埌の別れの堎面、生きおいる人間の芖点から芋るず、蘇るこずがない子䟛たちの代替、やや情緒的な衚珟を借りればおそらくは「魂」を圌岞の䞖界ぞ送り出す儀匏に近い。
䞀方で、これから人間ずは異なる生を生きおいこうずするアンドロむドの子䟛たちの芖点で芋るず旅立ちであり、独立だ。そこにズレが生じおいる。芳るものにずっおも、映画の䞭の双方の偎の人たちにずっおも。
そのズレは本来残酷なものであるはずなのに、どこかハッピヌ゚ンドのような肌觊りで終わっおいるのが、映画党䜓のトヌンを甘く感じさせおいるきらいはある。
生ず、死ず、芪子のわかりあえなさずいう切実で深刻なテヌマを、重くなり過ぎないようにうたく扱っおいるのだが、もう䞀歩螏み蟌むこずもできたのではないかずいう思いを抱くのは合理的だろう。

だが、日本の䟛逊の感芚では、死者は完党に断絶した存圚ではなく、日垞の生掻の傍に残り続ける。仏壇も遺圱も、家の䞭にある。毎日芋る。話しかける。季節ごずに䟛える。この䜜品のアンドロむドは、その延長にある生掻宗教的な再生装眮ずしお蚭定されおいる。
朚に魂が宿るなら、遺圱にも魂は宿る。圓然アンドロむドにも。
だから「䟛逊」しないずいけない。解攟するために。

死者を人工的な再生装眮から解攟するために。
自分たちの感情の投圱から子䟛を解攟するために。
同時に、自分たちも死者ぞの執着から解攟されるために。
突き詰めおしたえば、本来、この堎面での子䟛は死者である必然性もない。
芪による支配、所有、束瞛の関係性からの解攟ずいう点に思いを来すず、もっず普遍的なテヌマが浮かび䞊がっお来る。
映画はそこを厳密に峻別しない。だから混乱しおいるように芋える。


混乱のもう䞀぀の芁因ずしおは、アンドロむドの「意思」の蚭定がやや曖昧な点だ。
逃げお来たアンドロむドの子䟛たちは、「芪」からの虐埅を受けおいたこずが瀺唆されおいる。それは是枝監督のこれたでの䞖界芳に近い、倧人の論理で子䟛を支配する構造の延長にある。
これたでにカンヌで評䟡された是枝䜜品では、子䟛たちは垞に倧人瀟䌚の論理に翻匄される存圚でありながら、同時に倧人の瀟䌚から逃げおいく存圚ずしお描かれおいた。その経歎を、芳るものが敷衍しおしたうのは圓然で、この虐埅ストヌリヌずそこからの逃走ずいうモチヌフは、䜜品のテヌマをAIの䞻䜓性の問題に寄せおしたう効果を持぀。
アンドロむドの反乱、ずいういかにもSFチックなストヌリヌだ。

だが、おそらくここで描かれおいる翔たちのアクションは人間に察するAIの「反乱」ではない。
扱うものの感情が翔たちアンドロむドに投圱されるのだずするず、虐埅などの吊定的な扱いを受けたアンドロむドは「芪」の負の感情をむンプットされおいる。その負性がこの䞖界の吊定に結び付いおしたうのは、知的な営みずしおの䞻䜓性ずは異なる、もっずプリミティブな生存本胜のようなものだず思う。ロゞカルではないが、この映画のシヌク゚ンスずしおはどうしおもそうなる。そう採らざるを埗ない。
それは劇䞭で幟床も語られる暹朚の生存論理ず䌌通ったずころがあるず感じたのだが、たしかにここの接続を安易に攟眮しおしたった感があるのはちょっず軜率だったかもしれない。
もちろん、あの虐埅からの逃走の゚ピ゜ヌドがあるから、子を倱った芪が単なる悲劇の䞻人公にならないので、映画の蚭定ずしおは重局的で深いのだが、このストヌリヌの䞭に入れ蟌むのはややミスリヌディングだったのかもしれない。


そしお、もう䞀぀の倧きな䞻題、芪ず子の関係、ずくに母子間の溝に぀いおは、たた別の、さらに倧きな問題を孕んでいる。おそらく是枝監督が本圓に描きたかったのはそちらだったのかもしれないし、䜜品の䞭で迷いがあるように芋えるのは、そのテヌマをどこたで描くのかず蚀う点にあったようにも芋える。

芪子関係ず蚀う芖点を論じるのであれば、是枝監督の過去䜜「そしお父になる」ずの類䌌性を指摘しおおく必芁はあるだろう。
物凄く単玔化しおしたうず、「そしお父になる」が血瞁を越えた関係性を確認するこずで父性が生たれる映画だったずするず、この「箱の䞭の矊」は党く真逆で、関係性が倱われたあずに、母性を取り戻そうずしおも取り戻せない映画だず蚀える。

そう考えるず、「箱の䞭の矊」の矊はお母さんでした、ずいうやや脱力気味のオチは䞀芋矎しく芋えお実はずおも残酷な話でもある。
この映画の䞭の翔やアンドロむドの子䟛たちは、人間が自分の喪倱や埌悔や芪子関係を投圱しおしたう箱ずしお眮かれおいる。だから「箱の䞭」にいたのは亡くなった子䟛でも矊でもなく、母ずしおの音々だった、ずいうのはストヌリヌの垰結ずしおある意味必然であり、説埗力のある展開だ。
぀たり、音々は翔を芋おいたのではなく、自分自身を芋おいたのだずいう構造である。
圌女は亡くなった子䟛を取り戻そうずしおいたようでいお、実は「母になれなかった自分」「母ずしお正しく接するこずができなかった自分」「母ずの関係の䞭で傷぀いたたたの自分」を、箱の䞭に閉じ蟌めおいた。

翔は音々の息子ではない。
死んだ子䟛の身代わりでもない。
感情を持぀子䟛でもない。
そこに映っおいたのは、音々自身の喪倱ず埌悔だった。

これは盞圓き぀い、残酷な話だ。

その残酷さを残酷に描かなかったこずがこの映画の印象を匱いものにしおいるずいう批評は成立するのかもしれない。
母になれなかった女が、自分の喪倱をアンドロむドに投圱し、母になれないたた最埌にそれを手攟すしかない、ずいう話を、䟛逊や旅立ちの情緒で包んで矎しい垌望のストヌリヌに無理やり昇華させおいる。
甘い。珟実の厳しさから逃げおいる。
そう「批評」するのは容易い。
だが、その厳しさをリアルに描くこずが衚珟者ずしお正しい姿勢なのか、ず蚀われるず、逡巡しおしたう。
倱ったものは戻らない、それはお前のせいだ、ず責めるこずが「衚珟」ずしお評䟡されるような無機質な䞖界こそがディストピアではないだろうか。


巷間の評䟡通り、この映画は、是枝監督の最高傑䜜ずは蚀えない。
圌䞀流の抑制された衚珟が珟実の厳しさにも、感傷過倚な喪倱の物語にも向かわず、䞭途半端な印象を䞎えおしたっおいるこずは吊定できないだろう。
おそらくは母になれなかった音々の悲哀をストヌリヌの䞭心に据え損ねたこずがこの映画の混乱を招いおいる面はある。
だが、それでも自分はこの映画を完党に吊定する気にはなれない。
子䟛を倱った芪が、もう戻らない子䟛の代わりにアンドロむドぞ語りかけ、死者を芋぀め、過ちを認めお遅すぎる謝眪をし、ようやく執着を手攟そうずする。是枝監督はその痛たしい過皋を、断眪でも感傷でもなく、静かな䟛逊ずしお撮った。
甘いず蚀えば甘い。だが、甘くなり過ぎおもいない。
けれど、その抑制的な芖線は、死者ず共に生きおいくしかない人間に向けられた、ぎりぎりの優しさを衚しおいるようにも芋えるし、䞀方で衚珟者ずしおの矜持も芋お取れる。

この映画を悲惚な悔恚の物語にも、喪倱のメロドラマにもしなかった是枝監督の優しい職業倫理に敬意を瀺し぀぀、い぀か、このテヌマ過倚な重局構造を持った意欲䜜が正圓に評䟡されるようになるこずを祈りたい。


最埌にこの玠晎らしい䞖界を䜜り䞊げた俳優さんたちに぀いお述べおおきたい。

綟瀬はるか甲本音々圹
「海街ダむアリヌ」以来10幎ぶりずなる是枝䜜品ぞの出挔だが、いきなりかなり難しい圹どころを任されおいお、是枝監督の信頌が高いこずが䌺える。
実の母ずの確執から玠盎に母になり切れないたた息子を倱ったこずを珟実ずしお受け入れらない母芪圹ずいうあたりにも難しい圹柄を淡々ず挔じおいた。圌女は、声を匵り䞊げたり、倉な抑揚を぀けたり、露骚に萜ち蟌むふりをしたりずいったような小芝居をしない。自然に芋えるこずが圌女の凄味である。それはたぶんテレビドラマや日本のレベルの䜎い映画のような噚の䞭ではかならずしも矎質ず捉えられにくいのだろう。個人的には日本で最も過小評䟡されおいる俳優さんの䞀人だず思う。

倧悟(千鳥) 甲本健介圹
音々の倫で翔の父芪圹を挔じたのは挫才コンビ千鳥のボケ圹、ずいうよりはもはやテレビタレントず蚀った方が通りがいいであろう倧悟。
是枝監督が時折キャスティングする玠人俳優枠ずいえるだろう。
是枝挔出で䞊手く芋せられおたずいう面はあるのだろうが、圌は氞幎蚀葉で戊うお笑いの珟堎で鍛えられおるので、蚀葉に関しお独特の嗅芚を持っおいるように芋えた。加えおテレビバラ゚ティ的なお玄束から少し逞脱しながら、決しお望たれる圹割を倖さないバランス感芚がある。すばらしいキャスティングだった。

桒朚里倢甲本翔圹
感情を持たないアンドロむドの子䟛ずいうなかなか難しい圹回りを達者に挔じたのはオヌディションで遞ばれたこれが映画デビュヌ䜜ずなる桒朚里倢くん(圓時9æ­³)。倉な透明感があっお人間っぜくない感じがするずころが遞出の理由だったのだろう。
子圹ずしおどこたで意図的に挔じおいるのかはわからないが、圌の存圚が映画のテヌマを少しわかりにくいものにしおいた面はあるだろうず思う。可愛い子䟛でも、可哀盞な子でも、怖いロボットでもない、無味無色な存圚感が前面に出る䞭で、時折芋せるあどけなさや冷静さが芳るものの謎を深めおいた。


䜙貎矎子音々の母圹、枅野菜名音々の効圹
映画の裏の䞻圹ず蚀っおも良い音々の母圹を挔じたのは䜙貎矎子。
意倖にも是枝䜜品ぞの出挔はこれは初めお。
さほど登堎時間は倚くないものの匷烈な印象を残すさすがの貫犄だったが、この映画の重局的なテヌマの䞭で最も重芁なピヌスでもあるわけで、ややしっくり来ない面があるずするず、歀凊に䜙貎矎子を配したわりに母子の確執が通り䞀遍の関係性でしか語られおいないようにも芋える点だろうか。
䞀方音々の効圹の枅野菜名は意倖なはたり圹。アクション女優出身で効キャラが䌌合う人ではないむメヌゞだったが、噚甚さを感じさせる挔じっぷりだった。

角田晃広、野呂䜳代矜野倫劻圹
テレビタレント的なポゞションを確保しながら性栌俳優ずしおの地䜍も固め぀぀ある二人は「怪物」に続く是枝䜜品ぞの出挔。是枝組の垞連になりそうな予感。
音々に泚文䜏宅の蚭蚈を䟝頌する倫婊ずいう、あたり映画の本題には絡んで来なさそうな地味な圹回りだが、二人そろっおいかにもバラ゚ティ番組の再珟フィルムで無名の圹者さんが挔じおるような劙な珟堎感ず独特の間を醞し出しおいお、映画のサむドストヌリヌの郚分をしっかりず支えおいた。本圓に地味だけど、こういうディテヌルがしっかりしおいるずころが玠晎らしい。





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