人生が壊れかけた62歳、家族のために僕が選んだ生き方 第二章
その弌
警備員という仕事が教えてくれたこと
第1話 話だけ聞いてみよう。
がんの治療が終われば、以前と同じように仕事が戻ってくる。
どこかで、そう思っていた。
実際には違った。
予定の連絡は入る。
「来月から始まります。」
「日程が決まりました。」
そんな話は届く。
ところが、その予定が延期になる。
また延期になる。
そして、そのまま消えてしまう。
そんなことが少しずつ増えていった。
元請け会社の仕事自体が減っているのか。
それとも、下請けをつなぎ止めておくための仮予定なのか。
本当の理由は今でもわからない。
ただ一つ言えるのは、以前のように仕事が安定して入る状況ではなくなっていたということだ。
私は考えるようになった。
このまま待ち続けていていいのだろうか。
長年お世話になってきた会社への恩返しは、もう十分に果たしたのではないか。
もちろん、本業を辞めるつもりはなかった。
本業はこれからも続けたい。
ただ、空いた日をそのまま不安な気持ちで過ごすのではなく、何かできることはないかと考えていた。
そんな頃だった。
消防団の定例会で、副団長の奥さんから声を掛けられた。
彼女は私の中学校時代の一年先輩でもある。
さらに、母がお世話になっている介護老人保健施設で働いており、母のことや私の生活のこともよく知っていた。
子どもの教育費。
母の介護費用。
がんを経験して減ってしまった収入。
そんな話をしていた時だった。
「主人がお世話になってる会社、人が足りないって聞いてるよ。やってみる?」
その一言が、すべての始まりだった。
紹介されたのは警備会社だった。
正直に言えば、最初は抵抗があった。
私は解体や建設、設備メンテナンスの現場で長く仕事をしてきた。
その中で、警備員が心ない言葉を掛けられたり、雑に扱われたりする場面を何度も見てきた。
だから、自分がその仕事をする姿は想像できなかった。
返事はすぐにはできなかった。
それでも、副団長の奥さんは無理に勧めることはしなかった。
「とりあえず、面接だけでも行ってみたら?」
その言葉に背中を押された。
消防団の上司から聞いていた仕事内容も、私が思い描いていた警備とは少し違っていた。
巡回。
駐輪場の整理。
放置自転車への対応。
施設内での入構管理。
慣れればゲートの操作や受付対応もあるという。
道路で旗を持って立つ仕事ではない。
工事現場でもない。
施設内だから、知り合いに会う心配もほとんどない。
「それなら、自分にもできるかもしれない。」
そう思えた。
面接へ向かう時、私が考えていたのは一つだけだった。
話だけ聞いてみよう。
まだ働くと決めたわけではない。
警備員になろうと思ったわけでもない。
ただ、少しでも収入を増やし、今の生活を守る方法があるのなら、その可能性だけは確かめてみたかった。
振り返ってみると、あの日の一歩は求人広告が運んできたものではなかった。
消防団で築いてきた信頼。
母を通じて続いていた縁。
困った時に声を掛けてくれた人。
そのすべてが重なって、私を面接会場へ向かわせた。
人生は、思いがけないところで動き始める。
人生は、自分一人の力だけでは動かない。
誰かの何気ない一言が、人生の方向を変えることがある。
その始まりは、一本の求人情報ではなく、一人の「やってみる?」という言葉だった。
今回の一言
縁は、探すものではなく、積み重ねた先で巡ってくる。
