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私が少数派でいる理由


1. なぜ少数派であるのか

気づいたら、私は色々なことで少数派になっていることが多いと感じています。

具体的に言えば、医師として糖質制限食という食事療法を推進する立場をとっていること、

オンライン診療を専門に扱うクリニックの医師として開業していること、

HPVワクチン薬害訴訟において原告側が勝訴すべきだと考えて、医師の立場で支援活動をしていること、

そして最も少数派と言っても過言ではないのは、「主体的医療」という従来医療の捉え方とは異なる医療の考えを広めようとしていること、です。

他にも、細かいところも合わせると、私がやっていることの多くに「少数派」の要素があります。

しかし、私の中の「少数派」の要素のどれひとつとして、

「少数派になろうと思ってなった(選んだ)」と言えるようなものはないと私は思っています。

気づけば「少数派になっていた」のです。


俗に「逆張り(ぎゃくばり)」という言葉がありますが、

あれは元々、投資の世界で生まれた言葉ですが、

多くの人が買っているときに売り、売っているときに買う戦略の意味で、そこには「狙って少数派の方を選ぶ」というニュアンスがあると思います。

ですが、それさえタイミングを外すと大損害につながるハイリスクな戦略でもあるわけで、

一般的に言えば、「少数派」はなりたくてなるようなものではないはずです。

「少数派」になれば「多数派」でいれば感じることのできる集団にいることの安心感は感じられにくくなりますし、

場合によっては、多数派の人達から奇異な目で見られたり、

意図しないところでコミュニケーションを行う上での障壁となってしまったり、

ひどい場合は、誹謗中傷を投げかけられるようなことにもつながってしまうこともあるでしょう。

そんな状況に追いやられるというのに、なぜ、少数派を選んでいるのでしょうか。

あるいは意図して選んでいなかったとしても、少数派であると自覚しつつも、なぜ少数派であることをやめようと思わないのでしょうか。

その理由は多数派の立場からは感じることは難しいかもしれませんが、

そこまでして少数派にこだわり続けることには何らかの価値があるのではないかと感じてほしいのが正直なところです。


2. わざわざ少数派を選ぶ理由

もちろん、人種や国籍、性の在り方など、自分が選んで少数派になったわけではない属性に関しては話は変わってくるかもしれませんが、

自らが選ぶことのできる事柄に対して、「少数派」をわざわざ選んでいるのだとしたら、そこにはどんな理由があると考えられるでしょうか

ひとつは「多数の人が気づいていない価値があるから」ということが考えられるかもしれません。

先ほどの「逆張り」などはまさにそういうことの現れなのでしょう。

先見の明があるとも言えるかもしれませんし、

沈みゆく船のような状況を見通していて、自分だけ助かろうとしているのであれば、狡猾な態度とも言えるかもしれません。

ただ、もうひとつの理由として考えられるのが、

多数の人が間違った道を進んでいるから」というものです。

多くの人は多数派に属することが間違っているとはまず思いません。

それがゆえに「多数派」が形成されているとも言えるのだと思いますが、

赤信号みんなで渡れば怖くない」という状況も十分あり得ます。

つまり、多くの人が本当は大きな危険を犯していることに気づかずに、

みんながやっているから」という理由でその行為を続けてしまっているのだとしたら、

そしてその構造に気づき、何とかしてその状況を食い止めたいと願っているのだとしたら、

その人が「少数派」をわざわざ選んでいることに、異なる意味を帯びてくるのではないでしょうか


3. それでも少数派をやめないワケ

ものごとの善悪というものは立場によって大きく変わります。

誰かにとっての善が、別の誰かにとっての悪となることはおおいにあり得ることでしょう。

ですので、絶対的な「善」を振りかざして主張をすることは、基本的に避けるべき行為だとは思います。

どんなに「善」だと思ったとしても、頭の隅に「もしかしたら自分は間違っているかもしれない」という可能性は残しておくべきだとも思います。

ただ、中にはおそらくほとんどの人にとって「悪」だと同意してもらえることもあると思っています。

それは「特定の誰かの利益のために無関係の人が殺される」ということです。

もしそれを意図的にやっている人間がいたとしたら、誰もが「極悪人」だと思ってしかるべきだと思いますし、

世界広しといえど、そのような行為を「善」だと思える人間は、実際に利益を享受しているその特定の人物だけであることに異論を挟む人はいないでしょう。

ただそんな「極悪人」とまではいかずとも、

気づかないうちにその構造に手を貸してしまっているという人はもっと多いかもしれません。

要は「だまされた人がだます側に回っている」ということです。

ましてやそれに「自分は良いことをやっている」という正義感をともなってしまうと、歯止めが効かなくなってしまいます

特定の人物の利益のために無関係の人が殺されるという非道な行為は

「知らなかったから」「自分はだまされていたから」という理由で許されてしかるべきでしょうか

そして「人を殺す」という行為の手前にある行為が、「人を傷つける」という行為です。

もしあなたが、特定の人物のために無関係の人々がどんどん傷つけられている構造があることに気づいてしまったら、

あなたは何を感じ、どう行動するでしょうか。

その構造を食い止めようと全力を尽くしている過程の中で、

あなたがもし「少数派」になっていたとしたら、あなたは「少数派」であることをやめるでしょうか。

「少数派」は、なろうとしてなるものではないと私は思います。

多数派を含めた人間にとって「大事なものを守ろうとしている」という側面がある、ということを知ってもらいたいです。

少なくとも私は、そのような気持ちで今、少数派と言われる人生を生きています。


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