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なぜMystiqueだったのか。―インザメガチャーチと辿るROIROM史

2026年7月19日。
横浜アリーナの重い扉を押し開けて外に出たとき、私は震えていた。

間違いなく最高だった。
圧巻のエンターテインメントだった。

なのに、ものすごく動揺していた。
「え?え?え?私は何を見た?嘘でしょ嘘でしょ」
「人外、人外だった。ショーだった。完璧なショーだった」
「スクリーンの向こう側の人になっちゃった……」

当時の荒ぶりを表すThreads

嬉しいのに、幸せなのに、
怖い、寂しい。
この感情はいったい何なのだろう。

その正体を知りたくて、現代アイドル論、ファンマーケティング、宗教論、そして朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』等、古今東西の文献を読み漁った。

有識者たちが提示するさまざまなフレームワークを借りることで、ようやく自分の感情を少しずつ言語化できるようになった。一ヶ月かかった。

そして同時に、なぜ彼らが「Mystique」という言葉を選んだのかも、突然、腑に落ちた。

これは、二万席分の一のオタク記録。
2026年夏の、読書感想文。

現代アイドル論やファンマーケティングという補助線を引きながら、あの日、私が見たものを自分なりに解釈して、書き記してみたい。


第1章 はじめての「推し」


タイプロで、彗星のように現れた二人。

すごい歌。すごいダンスですごいビジュ(575)

どうして、これほどまでの逸材が今まで見つからなかったんだろう。
今までどこにいたの?何して暮らしていたの?
え、中国?…そりゃ、目が届かないわけだ。今まで見つけてあげられなくてごめんね。やっと会えたね。

だから、二人がオーディションで脱落したときは、本当に辛かった。
こんなにすごいのに。こんなにも美しくて、優しいのに。
ここで終わってしまうの?もう会えないの?

「アイドルになりたい」、「スーパースターになりたい」。あんなにも覚悟が決まってるのに。

そんな悲しいことがあってたまるか。

彼らの願いが全部叶ってほしい。
思い描いている大きな夢、すべてが叶ってほしい。願いは、日に日に膨らんだ。

その感情を「推し」というならば、私にとって初めての「推し」は、本多大夢と浜川路己だった。

オタクチャクラが開いた瞬間に見たのがこの二人だったから、もう理屈ではない。
鴨のヒナが、最初に見たものを親だと信じてついていくように、
「推すと決めたから、推す。」
そんなシンプルな、半ば責任感のようなコミットメントで動いていった。

その「推し」が本当に世に出てきた。
華やかにメジャーデビューを果たし、鮮やかにに万箱ステージへ駆け上がっていった。そのすべてをリアルタイムで見届けた。

いったい、世の「推し活」をしている人の何%が、こんな奇跡を最前列で目撃できるのだろう。

本当に幸せだった。
もう、それだけで十分だった。

でも、ROIROMはその先を見せてきた。それが、美しく壮大な、「神話創生」の物語だった。


第2章 ストーリーの転換


社会現象にまでなった大型オーディション。
オーディションという特殊な環境では、むき出しであればあるほど人の心を動かしやすい。

努力。悔しさ。涙。挫折。
すべてをさらけ出す姿は共感を呼ぶ。「この子は報われてほしい」その願いに、過去の自分の救済まで重ねて。

だからこそ、「脱落からの復活」は、最初のファンを生み出すにはこれ以上ないほど強い。

しかし、エモは甘美な罠でもある。
過去の物語を繰り返せばいつかは消費し尽くされる。「挫折」という文脈は、「負けた側」がつきまとい輪が大きくなりにくい。

だからROIROMは、「一度世界から姿を消したのは、最強の2人として復活するため」と、脱落を神話創生のプロローグに転換した。

本当にすごいのは、その壮大なコンセプトを本多大夢と浜川路己が本当にやってのけたこと。

どれだけ壮大で美しい設定を作っても、それを「たしかに」と思わせられなければ寒い。

彼等は唯一無二のビジュアルとスキルでコンセプトを喰らい、現実のものにしてしまった。


一度は巨大なシステムの外側に置かれた二人が「ろい(ROI)」と「ひろむ(ROM)」、二人の名前を編み込み、他になにも入れさせない覚悟をもって再度現れたこと。

マイノリティがマイノリティであることを捨てず、その武器を持ったまま巨大市場に立ち向かうジャイアントキリング。

二人で一つ。右翼と左翼を分け合いながら息を合わせて飛ぼうとしていること。
まるでイカロスのように、その身を焦がそうとも飛ぶのを諦めないこと。

その勇気と、同時に孕む危うさ。
そして逆転劇のロマンティシズムに溺れた。

溺れ、たゆたううちに辿り着いたのが、横浜アリーナだった。


第3章 神話のその先へ


ホクホクしながら横アリに着いたのに、そこにいたのはもう次のフェーズに行こうとする二人だった。

ー神話(Myth)から、神秘(Mystique)へ。

その象徴がキービジュアルにも据えられたトランプだった。

映像の中で、二人は危うげにトランプゲームに興じている。
ところが後日の配信で、
「あれはババ抜きです」「え、僕はポーカーをしてたんだけど」

つまり、ゲームの種類なんて何でもよかったのだ。

欲しかったのは、「手札を隠したまま、何かのゲームに興じる二人」と、「その二人を見つめる観客」という構図。

観客は手札は見えない。何を考えているのか分からない。次に出すのが何かも分からない。

それは、すべてをさらけ出すことでファンを味方につけていった創世記からの卒業。そして、全てを見せない神秘で完璧なショーマンROIROMへのフェーズアップの瞬間だったのだ。


第4章 究極のファンマーケティング


現代の推し活市場は、ファンを単なる消費者ではなく楽屋裏側の共同生産者として巻き込む「ファンマーケティング」手法が主流だ。

明確なロールモデルが喪失した現代、「自分の選んだ推しが売れた」という事実は自分のセンスと選択があっていた証左となり、強い自己肯定感を生む。

100万人の薄いファンより、ストーリーに共鳴した1万人の濃いファンを作ること。それが現代アイドル理論における勝ちパターンとされているのだ。

でもROIROMの場合、それがもっと根本的なところから始まっている。そもそも、「ROIROM」という名前自体がファンが付けた愛称だから。

ファンの声の先にROIROMが生まれ、それに応えるように彼らはファンへの想いを歌ってきた。何度も、何度も。全ての曲で。

ファンマーケティングという言葉が盛んに語られる今でも、ここまでファンを物語のど真ん中に置いたアイドルはそう多くないのではないか。

(ちなみに、初回B盤のジャケット。鏡のある楽屋の真ん中に置かれた「空席」は、ファンのために用意された席説も、私はかなり好きだ。)

私はいつの間にか、物語の中で特等席に座っていることを自然と受け入れていた。

だからこそ、横アリで起きた変化が寂しかった。

天性のショーマン気質だったロイが大型犬のように特大ファンサをしようとも、完全覚醒した圧倒的なスター性はもう隠しきれなかったことが。

天性のリアルなメロ男だった大夢が、完璧なショーマンとして冷静に舞台を制する覚悟の顔が。
もう隠しようがなかった。

しかし、走り出したショービズはもう止められない。
同じ場所で同じステップを踏み続けることをエンタメ界は許してくれないから。
ROIROMは神話すらも踏み台にしてその先へ行ってしまった。


天界に進む一方で、『ロイロム鉄道』のように地上で泥臭くお茶の間を魅了する二面性。
その気圧差を乗りこなしながらどこまでも高く遠くに行ってほしい。

それこそが本物のスターだから。

─私の原初のコミットメント「推すと決めたから、推す。」は
「本物だから。彼らの音楽を見たいから、推す。」に変化した。

2026年、夏。
永い永いドーパミン中毒の旅が、新たに始まろうとしてる。


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