ふるえが止まらないのは、寒い廊下のせいだけじゃなかった。
ことしの2月、健康診断でオプションをつけた。
腹部エコー検査。いつも通りのヤツだった。
そのいつもの腹部エコーで、ひっかかった。
「精密検査が必要ですね。できれば、ご家族とご一緒に」
ご家族とご一緒に、である。
この言い回しには、独特の重さがある。歯医者で「ご家族と」とは言われない。心房細動の治療でアブレーション手術を受ける時もそんなことはなかった。まして健康診断ごときで「ご家族と」と言われると、それはもう、ただごとではないことは誰だってわかる。
精密検査の日。医師の見立ては、こうだった。
右の腎臓に、がんの疑いがある。
良性の可能性もあるが、診断精度をあげるために、MRIと造影CT検査をやりましょう。
というわけで、さっそく造影CTである。
CT室の前の廊下で、順番を待っていた。
寒い。
とにかく寒い。ふるえが止まらない。
もともと僕の体温は35℃台で、どちらかといえば低い方だ。それにも増して、寒くて仕方がない。
妻が背中や腕をさすってくれる。ありがたい。ありがたいのだが、それでも、ふるえは止まらない。
そこで、気づいてしまった。
これは、寒さからだけではない。もっと奥のほう、腹の底というか、心の底というか、そのあたりから、じわじわ湧いてくるふるえだ。
そりゃ、そうだ。
今日、僕は「がんのプレ告知」を受けたようなものなのだから。
日本人の2人に1人はがんになる。早期発見なら、不治の病ではない。
そんなことは、頭ではとっくに知っている。
知っているのだが、いざ自分の番がまわってくると、頭で知っていることなど、なんの役にも立たない。わけのわからない怯えが、体をカタカタと鳴らすのだ。
日を変えてMRIも受けた。そして、最終的な所見を聞く日が来た。
やはり、腎がんの可能性が濃厚、とのことだった。
濃いに厚いと書いて濃厚。味わいが濃厚なのは大いに結構だが、がんの疑いが濃厚なのは、ちと分が悪い。
画像を見せてもらう。
腎臓から、ちょこんと出っ張った影。大きさは3、4センチ。
ちょこん、である。
こんな、ちょこんとしたものが、と思う。
この病院では手術ができないため、静岡がんセンターへの紹介状を書いてもらうことになった。
画像をにらみながら、医師がにこやかかつおだやかに話してくれたことを今でも覚えている。
もし、これががんだとすると、去年の腹部エコーでは、小さすぎて見つけるのは難しかったでしょう。
逆に来年の受診では、がんが成長して少し手遅れになっていたかもしれません。
毎年受けたからこそ、このタイミングで見つかったんです。
もちろん、がんになったのは、喜べることではありません。
でも、今、見つかったことは、ある意味で幸運だったとも言えるんですよ。
アンラッキーで、ラッキー。この矛盾が妙に腑に落ちる。
初期の腎がんは、ほぼ無症状だ。
痛くもない。だるくもない。なんともない。
がん細胞というのは、たった1個から始まるらしい。それが何年も前から、時には十年以上も前から、こっそり分裂を繰り返し、じわじわ仲間を増やしていく。誰にも気づかれずに。
腰が痛い、血尿が出る、そういう症状が出るころには、もう、かなり大きくなっているし、転移のリスクも上がっている。
つまり、腹の中では、この何年か、なんの断りもなく、悪党どもの基礎工事が着々と進んでいたわけだ。無症状という、いちばんタチの悪いやり口で。
ならば、そいつらもろとも外へ放り出すしかない。
そう思えば、腹も決まる。
いや、腹が決まったというより、腹が減った。
どうせ人生、限りがある。だったら今のうちに、旨いものを喰っておこう。
そう思い立って、午後、その足で伊東まで車を飛ばした。キンメダイである。


煮付けが運ばれてくる。湯気の向こうで、目玉がこちらを見ている。
箸をつける。旨い。目のまわりのゼラチンと脂なんざ憎らしいほど、旨い。
調子に乗って、どんぶり飯を三杯も喰ってしまった。
こうなれば、とことんやるのだ。
腹がふくれたら、そのまま河津まで足を延ばした。夜桜見物である。

ライトアップされた河津桜が、寒空にぼうっと浮かんでいる。
見上げていると、また、ふるえてきた。
なに、今度のは、ただの寒さだ。
この寒さでふるえるぶんには、いっこうにかまわないのである。
今回の教訓
健康診断は毎年受けておけ。
この話は続くのである。
