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歩くことは、一番身近な禅だった。忙しい毎日に取り入れたい「歩行禅」という習慣

最近、息子と一緒に散歩をすることがあります。

目的地があるわけではありません。

夕方の少し涼しくなった道を歩きながら、学校であったことを聞いたり、道端に咲く草花を眺めたり。

ほんの30分ほどの時間です。

けれど、不思議なことに、家へ帰る頃には心も体もすっきりしているのです。

「今日は何かいいことがあったのかな。」

そう思うくらい、気持ちが軽くなっています。

以前の私は、「散歩は運動のためにするもの」だと思っていました。

歩数を気にしたり、早く歩こうとしたり。

効率よく運動することばかり考えていたのです。

でも、禅には「歩行禅(きんひん)」という考え方があります。

座って瞑想するだけが禅ではありません。

歩くことそのものを修行にする。

一歩一歩を丁寧に味わいながら、今この瞬間に心を向ける。

それが歩行禅です。

私たちは歩きながらも、頭の中では別のことを考えています。

明日の仕事。

夕飯の献立。

子どもの予定。

スマートフォンの通知。

気づけば、体は歩いていても、心はどこか遠くへ行ってしまっています。

だから疲れるのかもしれません。

体だけでなく、心まで休む時間がないからです。

息子と歩くときは、不思議と違いました。

「あ、この花きれい。」

「セミが鳴いてるね。」

「今日は風が気持ちいい。」

そんな何気ない会話をしながら歩いていると、未来の心配も、過去の後悔も、少しだけ静かになります。

歩いているのは同じ道なのに、見える景色が違って見えるのです。

禅では、「今ここ」を大切にします。

今吸っている空気。

足の裏が地面に触れる感覚。

鳥の声。

風の音。

呼吸。

それらをただ感じるだけでいい。

難しいことは何もありません。

だから歩行禅は、誰でも今日から始められる禅なのです。

現代は、情報があふれる時代です。

立ち止まる暇もなく、新しいニュースやSNSの投稿が流れ続けます。

AIは膨大な情報を処理できます。

でも、人間に必要なのは、情報を増やすことだけではありません。

「今ここ」に戻る時間ではないでしょうか。

歩くという、ごく当たり前の動作の中に、その時間があります。

最近、息子との散歩が楽しみになりました。

運動のためでもありません。

健康のためだけでもありません。

歩くことで、心まで整っていく感覚があるからです。

もしかすると、昔の人が歩くことを大切にしてきたのは、体を鍛えるためだけではなく、心を整えるためでもあったのかもしれません。

今日も私は、一歩ずつ歩きます。

急がず、比べず、ただ足の裏で大地を感じながら。

歩くことは、一番身近な禅。

忙しい毎日の中にも、「今ここ」に帰る道は、いつも足元にあるのだと思います。


今回の記事を書く中で、思い出した本があります。
特別なことをしなくても、目の前の時間を丁寧に味わうことで、日常が少し豊かになることを教えてくれる良本です。

➡︎日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫 新潮文庫)

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