精神科の待合室で観察し想像する。同じ光景を観ても同じに観ていない。─支援者の想像力を脳科学で解剖する
私はグループホームでサービス管理責任者を務めているアラフォーだ。
日々、精神疾患や発達障害、知的障害がある利用者と共に生活を支援している。
その支援の一つに通院の同行がある。主治医に近況を報告して処方をもらう。毎月のことだし、複数人いるから月に何回も病院を通う。
精神科は今や、薄暗く少し怖いイメージとはかけ離れた明るくクリーンな病院が多い。
そして待合所には、老若男女。本当に多様な人たちが集まっている。昨今は若い人も多く見られるようになったし、10代や小さな子供の姿も時には目に入る。
精神科の待合所は、その人たちの人生を垣間見れる一瞬がある。
身なり。声のトーン。動き。間。
私は職業柄か、観察しながら勝手に想像してしまう。
あの人はどんな人生を歩んできたのか。何がしんどくて、今日ここに来たのか。
この想像力は、支援者にとって大事な要素だと思っている。では想像力とは何なのか。どうすればスキルとして磨けるのか。今回はそれを考えてみたい。
1. 想像力とは何か─脳科学の答え
まず想像力を脳科学の言葉で表すと、メンタライジングという概念に近い。
メンタライジングとは、他者の心の状態を推測する能力だ。「あの人は今どう感じているか」「なぜそういう行動をとったのか」を、相手の立場から考える力のことだ。別名「心の理論」とも呼ばれる。
この能力を担っている脳の部位が、デフォルトモードネットワーク(DMN)だ。DMNは脳が「何もしていない」ときに活性化するネットワークで、自己参照的な思考・過去の振り返り・他者の気持ちの推測を担っている。
待合所でぼんやり人を観察しながら「あの人はどんな人生を歩んできたのか」と想像しているとき、私の脳ではDMNが活発に動いている。
そしてこのメンタライジングの能力は、発達障害(特にASD)の方では弱くなりやすいことが研究で示されている。
共感力や協調性が乏しいのはこの為だろう。
支援者として利用者を理解しようとするとき、まさにこのメンタライジングが機能していなければ、支援は「作業」になってしまう。
2. 共感と想像力は違う
ここで一つ、大切な区別をしたい。
共感と想像力は違う。
共感は「感じること」だ。相手の痛みを自分の痛みとして受け取る。感情が移る。
想像力は「考えること」だ。相手の状況を頭の中で再現する。感情とは少し距離を置いている。
脳科学的に言えば、共感には感情を処理する部位が関与する。想像力にはDMNや前頭前野が関与する。
感受性が高い人は必要以上に情報を受け取ってしまう。そして心の疲労が蓄積される人もいる。しかし細かな表情や声のトーンをしっかり観察するには必要だ。
また想像力は制御できる。
「この人はこう感じているかもしれない」という仮説として扱えるからだ。
支援者に必要なのは、共感の感受性を持ちながら、想像力で距離を保つことだ。
感じすぎず、でも想像し続ける。そのバランスが、長く現場に立ち続けるための鍵になる。
3. 観察がなければ、想像は始まらない
では想像力はどこから始まるのか。
そう、観察だ。
待合所で私が見ているのは、言葉ではない。
身なりが整っているかどうか。声のトーンが高いか低いか。動きがゆっくりか、せわしないか。視線がどこに向いているか。誰かと一緒に来ているか、一人か。
これらの非言語情報が、想像の素材になる。
ミラーニューロンという神経細胞がある。他者の行動を見るとき、まるで自分が同じ行動をしているかのように脳内で反応する。「見る」という行為が、脳の中では疑似体験として処理される。
つまり観察すること自体が、相手を「感じる」第一歩になっている。
支援の現場でも同じだ。利用者の表情・声・動きを丁寧に観察することが、「この人は今どういう状態か」という想像の起点になる。
観察の質が、想像の質を決める。
4. 想像力はスキルとして育てられるか
想像力は生まれつきの才能ではない。育てられるものだ。
具体的に3つの方法を届けたい。
一つ目は「意図的に観察する習慣を持つ」こと。
日常の中で「この人は今どういう状態か」を意識的に考える。電車の中でも、コンビニでも、待合所でも。観察を習慣にすることで、脳のメンタライジング回路が鍛えられていく。
二つ目は「他者の立場を言語化する練習をする」こと。
観察したことを頭の中だけで終わらせず、言葉にしてみる。「あの人は緊張しているように見える。なぜだろう」「あの声のトーンは不安を隠しているのかもしれない」。言語化することで、想像が仮説として扱えるようになる。
三つ目は「AIとの対話でメタ認知を磨く」こと。
自分の観察と想像をAIに話してみる。「今日の利用者がこういう様子だったが、どう見えるか」とフラットな立場で返してもらう。自分の想像が偏っていないか、別の視点はないか。この対話が、想像力の精度を上げていく。これはあくまでレッテル貼りする思考の修正に近いだろう。
5. 想像力の限界と倫理
最後に、大事なことを言っておきたい。
想像は仮説に過ぎない。
待合所で誰かを観察して「この人はこういう人だ」と決めつけることは、想像力ではない。それはレッテルを貼ることだ。
「観察して想像する」と「レッテルを貼る」の違いは何か。
仮説として持ち続けるか、事実として固定するかの違いだ。
「この人は今、不安を感じているかもしれない」は仮説だ。「この人は不安な人だ」は決めつけだ。
支援において想像力は必要なスキルになる。でもその想像が「決めつけ」になった瞬間、支援の質は下がる。
常に「かもしれない」という余白を持つこと。観察と想像を更新し続けること。
それが支援者の想像力の倫理だと思っている。
おわりに─待合所の人たちの人生を想いながら
今日も精神科の待合所に、様々な人が集まっている。
10代の子が一人で来ている。お母さんらしき人と並んで座っている中年の男性がいる。スマホを見ながら順番を待っている若い女性がいる。
それぞれに人生がある。それぞれの物語がある。
私はその物語を全部知ることはできない。でも想像することはできる。
その想像が、利用者への関わりを少し豊かにしてくれる。言葉の裏を読む力になる。沈黙の意味を受け取る力になる。
支援者の想像力は、技術ではなく在り方だ。
観察して、想像して、仮説として持ち続ける。その姿勢が、利用者の「見えない部分」に触れる唯一の方法だと思っている。
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日々お疲れ様です。今日も穏やかに過ごせますように。
凪象太
最後に私自身のプロフィールやnoteへの想いを興味があればご覧下さい。
また私が救われた福祉×心理学×脳科学をワークに落とし込んだ
心理学の実践編を記事にしています。また18年の現場経験から生まれた現場人間への処方箋でもあります。
・人間関係でモヤモヤが頭の中ぐるぐるしてしまう
・仕事は好きだけどもう心も体も限界
・どうしてあの一言でモヤモヤ引きずってしまうのだろう
・何から変えたら前に進めるんだろ
現状を打破し、人生を好転させるための一歩としてご活用ください。有料記事ではありますが、現場で使える道具としても書いています、明日を変えるための確かな意識改革へとつながるのであれば幸いです。
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