庵野秀明は、監督のスイッチが入ると性格が悪くなるタイプ?
今回は、<ブルーカラーとホワイトカラー>というのをテーマにして書いてみたいと思う。
ブルーカラー・・肉体労働従事者、現場担当
ホワイトカラー・・知的労働従事者、管理職

大体のお仕事というのは、こういうブルカラー/ホワイトカラーの連携により成立してるものであり、たとえばアニメ制作の現場でいうと
・監督➾ホワイトカラー
・原画担当、声優など➾ブルーカラー
といえると思います。
いや、実際はそうじゃなくて
・監督➾ブルーカラー
・プロデューサー➾ホワイトカラー
の方が正しいよ、という意見もあるだろうが(確かにその方が正しいかも)ただ今回は便宜上、監督=ホワイトカラーという前提の方で話を進めさせてもらいますね。
で、こういうのは実写映画の現場にも同様の構図があり、
・監督➾ホワイトカラー(使う立場)
・撮影班、美術班、俳優など➾ブルーカラー(使われる立場)
という構図があるわけです。
まぁ、ようするにブルーカラーとは「専門の技能をもった職人たち」という感じかな。
ただ、このへんがやや特殊な形態になってるのが「特撮映画」だといわれていて、たとえば、この名作映画↓↓を皆さんもご存じですよね?
「ゴジラ」監督:本多猪四郎(1954年)

はい、これ普通に捉えれば「本多猪四郎の作品」なんだが、でも一部の特撮マニアはそうじゃなくて「円谷英二の作品」でしょ、と言いたいと思う。
ちなみにだが、この作品において円谷英二(円谷プロ創業者)は特技監督を務めており、これを受けてきっと多くの人が「特技監督ってのは監督の下のポジションだろ?」と考えちゃうだろうけど、いやいや、実はそうじゃないのさ。
東映特撮においては、監督(本多)と特技監督(円谷)の間に上下の関係はなく、実のところ両者は全く対等な立場なんですよ。

「えぇっ?それって一体どういう組織体系?」と思うだろうが、おそらくは
本多猪四郎➾ドラマ班のトップ
円谷英二➾特撮班のトップ
という2TOP体制だったのかと推測されます。
じゃ、仮に本多さんと円谷さんの意見が対立したらどうすんの?ということになりますよね。
・・はい、そこでバランス調整するのがこの人↓↓です。
東宝プロデューサー:田中友幸

どうも昭和「ゴジラ」シリーズというのは、田中、本多、円谷という絶妙なトライアングルの均衡によって成立していたものらしい。
で、「また何でこんな特殊な2TOP体制にしたの?」と不思議に感じる人も多いでしょうが、そうねぇ、そこは確かに私もよく分からないけど、思うに円谷さんという人が単に「強かった」のでは?
あと、本多さんという人が「めっちゃいい人」だったらしくて、円谷さんに気持ちよく仕事してもらう為、敢えて一歩引いたのでは?
1954年「ゴジラ」監督:本多猪四郎

1965年「怪獣大戦争」監督:本多猪四郎

はい、上の画をご覧ください。
これは「ゴジラ」シリーズの1954年版と1965年版だが、ともに本多猪四郎監督作品である。
なのに、作風が僅か十余年で完全にブレちゃってるのよ・・。
1954年では名優・志村喬の重厚なお芝居で見せてたのが、1965年になると当時流行してたギャグ「イヤミのシェー」をゴジラがやるという軽妙なノリに変貌してるわけさ。
同じ本多猪四郎作品なのに・・。

聞けば、こういうのは全部、円谷班サイドのアドリブだったらしいね。
で、おそらく本多さんも円谷班の仕事には口出しをしない不文律があったんでしょう。
昭和「ゴジラ」が途中からどんどん怪獣プロレス化していったのは、「特撮映画はコドモたちを喜ばせてナンボだ」とする円谷イズムの顕れだったともいわれています。
で、こういったドラマ班⇔特撮班の意識のギャップは何も昭和だけの話じゃなく、平成に入ってからも相変わらずありました。
平成「ゴジラ」シリーズ
大森一樹(脚本)vs川北紘一(特技監督)


平成「ガメラ」シリーズ
金子修介(監督)vs樋口真嗣(特技監督)


はい、上記のふたつは「確執があった」と噂されてた例ですね。
相変わらず特撮の撮影現場は昭和伝統の2TOP体制が維持されてるようで、そこには「ドラマをやりたい派」と「アクションをやりたい派」がいるわけですわ。
たとえば平成「ゴジラ」シリーズとか、ほぼ川北紘一氏の天下だったらしいですよ。
田中友幸プロデューサーが年老いてしまい、もう誰も川北さんを抑えられる人はいなかったらしい。
ゆえに、平成「ゴジラ」は妙にバトルシーンが充実してるんだが・・(笑)。

じゃ、ここ最近の特撮現場事情はどうなのか?

これが不思議なことに、ここ最近の「ゴジラ」は
東宝伝統の2TOP体制ではなく、1TOP体制に変化してきてます!
まず、最も理想形を体現してるのは山崎貴監督ですよね。
この人はもともと「ミニチュアを作ってた職人」で、正真正銘ブルーカラー出身なんですよ。
そのくせ、脚本書けるわCG作れるわのマルチな才があり、現場のどの班も全部を押さえられる人なんだという。
つまり、本多的なことも円谷的なことも両方をできる稀有な才能であって、この人がいれば2TOP体制をとる必然性は特にないらしい。
そして庵野さんの方は、<総監督:庵野秀明 監督/特技監督:樋口真嗣>というクレジットになってるから少しややこしいが、これは「総監督」という立場の1TOP体制なんですよ。
樋口さんは実質的に舎弟(?)みたいなもんですから。

で、以前にNHKのドキュメンタリーで庵野さんの撮影現場を収録したやつがあったんだが、あれを見た人は「庵野さんって現場では完全に独裁者や!」という悪印象を持ったと思うのね。
だけどさ、よく考えればあれも少し不自然な話なのよ。
だって、庵野さんの人柄を直接知る人は皆「めっちゃ穏やか」と異口同音に言うんだから。
・・で、私も最初は「変なスイッチ入ったのかな」程度に考えてたんだが、いや、待てよ、あれはひょっとして「彼なりの戦略」だったのでは?というふうに最近は考えるようになってきましてね。

というのも庵野さんは昔、平成「ガメラ」の撮影現場にメイキングビデオを作る役でずっと密着してたことがあるんですよ。
ゆえに、彼はその現場での金子vs樋口の険悪な空気をよ~く知ってる人であり、ある意味、その時の空気が彼にとっては「特撮映画」の原点だったんじゃないかな、と。
で、今度は自分がそういう映画の監督をやるにあたり、さてどうしようか、と。
ひとつは、あの2TOP体制の弊害を何とかせねばならんし、特技監督は樋口に任せるからまぁいいとして、しかし現場の職人を全て気心知れたスタッフで揃えるのも実質的には無理な現状、これ大丈夫かいな、と。
ああいうプロの職人たちは「あぁ、またアニメの人が何も分かってないくせに監督やるんだねww」と絶対ナメてくるだろうし、俺や樋口でそういう人たちを制御できるのか・・?という心配は絶対あったと思うのさ。

こういうのは、以前に北野武が言ってたんだよね。
初めて監督をやった時、明らかに周りの職人たちが「お笑い芸人風情がw」と自分のことをナメた空気を放ってきたという。
で、そんな彼も今じゃ名匠とされるまでになったんだが、そうなるまでは色々と現場で苦労があったらしい。
やはりポイントは「いかに職人たちをコントロールできるようになるか」なんですよ。
で、私思ったんだが、あのドキュメンタリーで見た庵野さんの横暴っぷりは<戦略>だったんじゃないかな、と。
たとえばだが、庵野さんと樋口さんの間で「俺が独裁者っぽく無理難題言うから、お前は困ったフリをして職人さんたちの輪の中に入って、うまいこと最終的にはお前の味方につけろ」という取り決めがあった、とかね(笑)。

そうだなぁ、こういうのは実をいうとアニメの制作現場にも似たようなものがあって、たとえば昭和のセル画時代においては「絵コンテを無視し、独自解釈の画を描いてくる天才肌のアニメーター」は結構たくさんいたわけですよ。
その代表的な例が、やっぱ彼ですよね↓↓
レジェンドアニメーター:金田伊功


で、昭和のオタクたちは皆こぞって金田さんに憧れたわけだが、そんな彼が90年代後半ぐらいから業界でほとんど存在感が無くなってしまったわけよね。
その直接的原因を作ったといえるのは、コレ↓↓なのかな、と。
1994年「押井守METHODS演出ノート」発刊


はい、アニメ業界に「レイアウトシステム」を広く普及させたマニュアル書「METHODS」の発刊が1994年だったんですよ。
ここから、この「METHODS」で示された押井方式が業界のスタンダードとなり、今じゃどのスタジオでもこれを採用しています。
じゃ、この方式における最大のキモは一体何かというと
監督による作品のレイアウト一元管理
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原画マン(職人)のアドリブを許容しない
⇓⇓⇓
つまり、金田伊功的な仕事を許容しない

ということですね。
昭和「ゴジラ」でいうと「シェー」的なのは許容せず、あくまで本多さんの意向に沿って作品を作りましょう、という感じ。
つまりアニメ界は、いまや完全な<1TOP体制>なんですよ。
「マラドーナは監督の言うこと聞かんが、でも点を取ってるからなぁ・・」というのに対し、「いや、監督の言うこと聞かんのならマラドーナはたとえ点を取っていようとも代表に召集しません」とするのがイマ流である。

・・昭和に比べ、世知辛い世の中になってしまった?
いや、私は時代の流れの必然だと思いますけどね?
とにかく、時代の流れは2TOPや3TOPでなく、1TOP体制の方にキテるんですよ。
ブルーカラーは、あくまでホワイトカラーが出す指示の範囲内で仕事をして下さい、と。
こっちに無断で、現場の勝手な独自判断はやめてね、と。
よく考えりゃ、めっちゃ普通の話だわw

