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日本人なら押さえておくべき、民俗学系アニメ

6月も下旬に差し掛かってきたので、ざくっと2026年春クールのアニメ群を総括させてもらうと、結構レベル高いクールだったな、と。

いや、まだクールが締まったわけでもないのでこんな話は少し早いにせよ、ひとつ別格だな~と個人的に感じたのはコレ↓↓

「黄泉のツガイ」

これは稀代のエンターテイナー・荒川弘先生の才能に改めて感服させられるとともに、その名伴侶というべきBONESの仕事の丁寧さにも感服させられました。

そして、もうひとつ、個人的に「ある意味、春クールに最も爪痕を残した」と感じてるのが、暁佳奈先生のこの作品↓↓

「春夏秋冬代行者」

こっちは「黄泉のツガイ」に比べれば明らかに万人ウケしないものにせよ、ただ「エグい」という一点でそのインパクトはクール最凶でした。
この作品のせいで4月以降、毎週どれほど気分が⤵⤵となったことか・・。

とにかく、この2作品はどちらも作者が<洋➾和>という変換を図ったものであって、荒川先生は「鋼の錬金術師」から「黄泉のツガイ」へ、暁先生は「ヴァイオレットエヴァーガーデン」から「春夏秋冬代行者」へという風に敢えてベクトルを<>に寄せてきたね。
こういうシンクロこそ、今のトレンドの顕れと解釈すべきものなんだろう。

「黄泉のツガイ」

で、こういうのは表現の中のひとつの定型であり、その意味合いは欧州風の「剣と魔法のファンタジー」と比べても、さほど大差はない。
ただし、私はこういう<和>モノは2種類に大別できると考えていて、その2種というのは下記のカテゴライズになるのね。

①まずエンタメありきで、その表現のパターンとして<和>を選択した

②まず<和>がありきで、その表現のパターンとしてエンタメを選択した

・・はい、この2つの違い、お分かりいただけます?

あまりご理解いただけないだろうことも覚悟で私はこれ書いてるわけだが、まぁぶっちゃけのところ、大体のパターンほとんどが①だよ。
「黄泉のツガイ」も「春夏秋冬代行者」もそうだし、あるいは「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」もしかり。
「NARUTO」や「BLEACH」や「銀魂」にしても同じく。

「鬼滅の刃」

じゃ、②にはどんな作品があるのか?ということだが、その代表的なところを挙げるなら、この3つかな、と↓↓

「ゲゲゲの鬼太郎」

「夏目友人帳」

「蟲師」

えっ?①と②の違いが分からないんですけど?という人もいるでしょうし、それはそれで構いません。
着地は②にしてもしっかりエンタメだし、そこに差はないんだから。

ただひとつ違いをいうなら、軸足に民俗学が入ってるかどうかということ。
そのへん突き詰めれば、やっぱコレ↓↓なんですよ。

柳田国夫「遠野物語」

柳田国男(1875年~1962年)

「遠野物語」、お読みになったことあります?
読んでないという人は、映画化もされてるのでそっちでも別にいいんだが、やはり日本人である以上、柳田国男はマストだと思う。

柳田先生はエンタメ畑でなくあくまで民俗学という学術体系の人とはいえ、ただエンタメ畑の方で柳田先生の影響を受けてる人はかなり多いのは事実である。
それは「ゲゲゲ」の水木しげる先生を筆頭に、あと諸星大二郎先生/星野之宣先生あたりもそうだろう。
小説分野になるとそれがさらに多く、荒俣宏先生、京極夏彦先生、西尾維新先生もそっち分野だといっていい。
だから、「物語」シリーズなんかも実は根っこが②なんだよね。

「物語」シリーズ

で、こういう②の系譜の作品に大体共通していえるのは、作中で「名前」の由来について、ああでもないこうでもないと長々述べるくだりが挿入されてたりするものなのさ。
これぞ、まさに「柳田民俗学」でしょ?
というか、こういうのは<和>モノ特有の「サイン」であり、<洋>モノの場合だと、こういうくだりはほとんど出てきませんから。

で、この②の系統の中で、個人的にだが久々に「キタ~!」といえるアニメがこの作品でした↓↓

「出禁のモグラ」原作:江口夏実(2025年)

原作は今年に小学館漫画賞受賞

これ、オンエア当時はさほど注目されてなかったような気もするが、しかし個人的には、近年リリースされた②系統作品群の中でも明らかに傑出してたといっていい秀作だと思う。

で、この作者の江口夏実先生は、なぜか京極夏彦先生に結構可愛がられてるらしい。
なんでまた漫画家が小説家に可愛がられるんだ?と不思議に思うかもしれんが、そもそも京極先生って自ら「水木しげるの弟子」を公言してるほどの人ですからね(笑)。
このへん界隈の人たちって、意外と小説/漫画の垣根が低いんですよ。

京極夏彦

で、私がこの「出禁のモグラ」を見ててまず感心したのは、設定の作り方である。
私も、大学生の頃には素人の拙い遊びとはいえ物語を作ったり監督をしたりした経験が一応あって、今でもコンテンツを見る際には「作り手の狙い」をどうしても気にして見ちゃうクセがあるのね。

で、江口先生の場合は主人公設定がとてもユニークなのさ。

主人公:モグラ・・謎の人物(ヒトではない?)

語り部:真木栗顕・・大学生、民俗学専攻

ヒロイン:桐原八重子・・大学生、民俗学専攻

サブ:猫附梗史郎・・高校生、祓い屋

サブ:猫附藤史郎・・大学教授(民俗学)、祓い屋、梗史郎の父

サブ:犬飼詩魚・・高校生(梗史郎の後輩)、筋肉担当

で、どう考えてもこのキャストの設定はエンタメのセオリーからズレてるんですよね。
たとえば、これが集英社・少年ジャンプ連載漫画なら100%間違いなく猫附梗史郎を主人公に設定するはずである。
だって、「高校生の祓い屋」というのはそれだけで作劇にエンタメ性が担保されるじゃん?

というか、この物語は霊を祓ったりする系のプロットなんだが、実は上記のメンバーの中で霊を祓えるのは猫附梗史郎と猫附藤史郎の2人だけなのよ。なのに、その肝心の2人が両方「サブ」って・・(笑)。

じゃ、主人公は誰に設定されてるのかというと、モグラという謎キャラ。
彼の正体は最終話でようやく明かされたが、実は元カミ様(神名はオオカムヅミノユミ)、今はあの世に出禁を食らってるという(ゆえに現世で数百年以上生きてるらしい)堕天使的存在。

ただ、語り部はこのモグラではなく大学生・真木くんであり、この民俗学を専攻する冴えない大学生が「謎の元カミ様」と「祓い屋の猫附親子」の両者を第三者的な位置から観測していくような舞台構造になってまして・・。

で、この特殊な構造を敢えて作ってるからこそ、この物語はよくありがちな「悪霊退治モノ」になり得ないんです。
・・いや、エンタメ視点ではそっちの方がウケるんだろうが、なんせ語り部が民俗学専攻の大学生だけに、彼は常に客観的に、モグラや猫附親子の動向を民俗学的視点をもって俯瞰するわけだね。

でもさ、この設定がホントよく効いてるのよ。
終始一貫、真木くんなりの「オタク」っぽい目線で物語を語ってくれるからひとつひとつ分かりやすいし、何より軸がエンタメ側に振られすぎない分、語りに一定の<知性>が担保されてるのがいいんだわ。

で、基本は民俗学的なウンチクがこれでもかというほど詰まった知的な作品なんだが、一方できっちり<バカ>の方も押さえてるのが江口先生の凄い所で、サブヒロインの犬飼詩魚は「霊や祟りを筋肉で克服する」というバカ系キャラで笑った(笑)。

おそらく、少年ジャンプなら<主人公/梗史郎・ヒロイン/詩魚>に設定して知性を犠牲にしようともエンタメの方に振るんだろうなぁ・・と思いながら私は見てました。

でさ、本作は真木栗顕とか猫附梗史郎とか犬飼詩魚とか、普通っぽい名前が出てこないでしょ?
こういうのは、こっち系のカテゴリーのいわば不文律なんだよね。
たとえば西尾維新(阿良々木暦や戦場ヶ原ひたぎ)や京極夏彦(中禅寺秋彦や榎木津礼二郎)にしてもそうじゃん。
必ず「名」に意味を込めるのがこっち系の流儀である。

で、主人公のモグラは百暗桃弓木(もぐらももゆき)という名を名乗ってるわけだが、その元の名(神名)は前述の通り

オオカムヅミノユミ

で、この名は古事記に出てくる意富加牟豆美命(オオカムヅミノミコト)というカミ様と無関係ではないだろう。

意富加牟豆美命

さすがにモグラ=意富加牟豆美命というムチャな設定ではないとは思うが、このへんの設定の開示もまた今後楽しみである。

とにかく「出禁のモグラ」を未見の方は一度ご覧になってみて下さい。
このてのジャンルは本来暗いものが多いんだが、江口先生の偉業は「民俗学を明るくPOPに」という趣向にしたところだと思う。
普通にコメディ作品として見ても面白い。
あと、地味に泣けます。

おススメですので、是非どうぞ!


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