記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「エヴァンゲリオンQ」と「1Q84」

皆さんは、この小説↓↓を読んだことがありますか?

「1Q84」著:村上春樹(2009~2010年)

国内累計発行部数:300万部以上

はい、これは春樹先生が2009~2010年に発表した長編小説で、発行部数は「ノルウェイの森」(1300万部)に次ぐ歴代第2位のベストセラーである。
で、これの次作(「騎士団長殺し」等)からはガクッと部数が落ちるので、実質的には「ハルキ最後のメガヒット作」といっていいと思う。

で、実際にこの作品の人気は一般的に高く、今でも「ハルキ作品人気投票」みたいな企画をやれば、「1Q84」は主に2位、もしくは1位になることもありますね。
じゃ、非常に評価の高い作品なのかといえば、ぶっちゃけプロの文芸評論家からの評価はどちらかというと低い・・(笑)。

そう、この作品は【文芸クロウト➾×、文芸ニワカ➾◎】という実に対照的な評価になってて、まぁクロウト/ニワカを測るリトマス試験紙みたいなもんですわ。
ちなみに私の評価はどうかというと、

これ、めっちゃ好きですw

私がこれをなぜ好きなのかというと、舞台設定がとてもエンタメっぽいからなんですよ。
まず、主人公たちの設定がいい。

メインヒロイン:青豆

オモテの顔はスポーツジムインストラクターだが、裏の顔はある組織に所属した凄腕の殺し屋。殺しにはアイスピックを使う。
その腕を見込まれ、カルト教団「さきがけ」教祖殺害の依頼がくる。

サブヒロイン:ふかえり

17歳の女子高生新人作家。処女作「空気さなぎ」がベストセラーになるも、その小説の内容はどうやらフィクションでなく彼女の実体験であるっぽい。
実は彼女の正体はカルト教団「さきがけ」教祖の実娘で、7年前に教団から脱走してきたらしい。
不思議なチカラを有する異能力者。

主人公:天吾

作家のたまご。「空気さなぎ」の出版でふかえりと関わり、そこからカルト教団「さきがけ」にマークされ始める。
実は20年前、青豆とは小学校の時に同級生で、彼女は初恋の人。
また、青豆にとっても天吾は初恋の人。

敵:リトルピープル

人外(?)。体長60cm程度のヒト型の6人組。
その詳細は不明だが彼らは「空気さなぎ」を作り、やがてドッペルゲンガー的存在を生む。カルト教団「さきがけ」は、このリトルピープルを崇拝しているらしい。

はい、ご覧になってお分かりの通り、これはかなり厨二っぽい設定でしょ?
私は小説を読む際、文章を脳内で映像化しながら読み進めるタチなんだが、この「1Q84」はめちゃくちゃ映像化に適してる印象だったわ。
というか、この作品は映像センスがやたらいいんですよ。

小学校時代、天吾と青豆の「握手」のシーン

パラレルワールドの扉「高速道路の非常階段」

「もうひとつの世界」に浮かぶ、ふたつの月

天吾と青豆を繋ぐ「すべり台」

天吾と青豆を追い詰めていく、教団側のエージェント牛河

だから個人的には、ハルキ作品アニメ化するなら、やっぱこの「1Q84」がベストかな、と思っています。
プロットがサスペンス/スリラーゆえツカミがいいし、「殺し屋」「カルト」「異能力者」「超常現象」「パラレルワールド」といった題材の数々も実にアニメ化向きである。

でね、私はこの作品がニワカ(ミーハー)に人気あるという意味が痛いほど分かるというか、ようするに本作の最大の魅力ってのはね、作中に春樹先生の<往年の必殺技>みたいなやつがこれでもかという感じで出てくるのさ。
分かりやすくいうと、アントニオ猪木の「卍固め」、ジャイアント馬場の「16文キック」、長州力の「リキラリアット」、当然、そういうのが出たらリングサイドは盛り上がるものでしょ?

リキラリアット

じゃ、春樹先生の<必殺技>が具体的にどんなものかといえば、「並走するふたつのセカイ」(「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」)、「主人公を導く異能力者の存在」(「羊をめぐる冒険」)、「自分の殺害を依頼してくる存在」(「海辺のカフカ」)、「コミュ障でありつつ、主人公にだけは心を開く美少女」(「ダンスダンスダンス」)、「概念的な悪」(「ねじまき鳥クロニクル」)等々、そういったお馴染みの<必殺技>の数々が、この「1Q84」にはフルコースでブチ込まれてるわけです。
そりゃ当然、盛り上がるって・・。

で、この作品はジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」が下敷きになってることは割と有名と思うが、ここでシャレが効いてるのは「1984」の「9」を敢えて「Q」に変換してるところ。
・・で、この「Q」に変換という意味ならば、この小説出版の3年後に公開された、この作品↓↓の村上春樹との関連性をついつい考えちゃいますよね。

「エヴァンゲリオン新劇場版:Q」

ホントは「序破急」の「急」であるはずが、なぜか「Q」。

この「Q」は円谷プロ好きの庵野さんのことだから、どうせ「ウルトラQ」からきてるんだろ?と考えてる人も多いと思うが、一方で私は「1Q84」の「Q」というセンも捨てたくはないわ。

というか、そもそも庵野作品って昔から
めっちゃハルキっぽくないですか?

「新世紀エヴァンゲリオン」(1995年)

以前、庵野さん自身は影響を受けた作品として村上龍の小説を挙げたことがあるので(彼の小説「ラブ&ポップ」の映画化もしたし)、それを根拠に「庵野秀明はハルキ派でなく龍派」と解釈してる人が結構いるんだが、私はそれって明らかに違うと思う。
そのへんは作品の内容を見ただけで一目瞭然だが、どう考えても庵野さんの作家性の中での影響の強さは【ハルキ>龍】だぞ?

春樹先生は「羊をめぐる冒険」以降、ずっと一貫して何らかの<敵>と闘う主人公の姿を描いてきてるが、総じてその闘いのステージは物質世界でなく精神世界の方に移行するわけで、それってまぎれもなく「エヴァ」の世界観そのものなのよ(ちなみに、村上龍の作風はそっち系ではない)。

そもそも春樹先生はデビュー当時から叙述トリック型の作家だったわけで、常にその表現には<嘘>が仕込まれているタイプ。
たとえば、主人公が誰かと会話してても、その「誰か」が実在する人物とは限らないということね。
・・ほら、分かりやすいところでは映画「ファイトクラブ」で、タイラー(演/ブラッドピット)の正体ってさ、結局のところ「僕」(演/エドワードノートン)だったでしょ?

「ファイトクラブ」(1999年)ブラッドピット、エドワードノートン

そう、このてのギミックを春樹先生は80年代からずっと使ってきたわけで、つまり、そこに描写されてる事象が「全て真実」だとは限らないのがハルキワールドの特徴である。
どこまでが現実で、どこからが虚構なのかは全く分からない・・。

たとえば「1Q84」のリトルピープルとかは、おそらくだが現実ではないでしょう。
・・じゃ、仮にあれが現実じゃないとするなら、それは一体何を表現してるのかということを読者は考えなければならないし、そこからが本当の意味での春樹作品の読解スタートなんです。
文章をただ読んでるだけじゃ「読んだ」ことにはならないし、「考える」という作業をしないと春樹作品はきっと「読んでない」のと全く同義である。

で、庵野さんはおそらく「エヴァ」をハルキっぽい方法論で創ってます。
だから、そこにいるキャラが「本当に存在する」とは限らんし、そのへんでまさに象徴的ともいえるのが彼の存在↓↓でしょう。

渚カヲル

彼なんかは、いかにもハルキっぽいキャラですよね?

で、庵野さんも意図的に「ハルキっぽさ」を込めた演出を施してるわけだが、その意図を受け取れている人と受け取れてない人がいるわけで・・。
この場合、後者は「ただ文章読む」だけで「読んだ」ことにしてしまう類いの読者と同じで、映像になってるものをただ単純に「全て現実」としか解釈をしてないんですわ。
そんなの、きっと「エヴァ」を見たことにすらなってないでしょうに・・

「シンエヴァンゲリオン」ラストシーン

で、「1Q84」ファンの方々なら、きっと「シンエヴァ」のラストを見て「あれ?」と思ったはずなんですよ。
これ、2人が最後に階段を駆け上がっていくところで終わりでしたよね?

ちなみに、「1Q84」のラストは天吾と青豆が2人で「非常階段」を上がり、「月が2つのセカイ」から脱け出して「月が1つのセカイ」に辿り着いたところで終了なんです。

「1Q84」ラストシーン

個人的には、このへんもおそらく無関係じゃないんだろうなぁ・・と思っています。

なんつーか、庵野さんと春樹先生の文脈で共通してるのは、どっちも巨大なチカラを相手に闘う物語でありつつ、でも少年ジャンプ的な友情/努力/勝利には向かわないところなんですよ。
最後は分かりやすく「勝つ」のではなく、ニュアンスとしては「あっち側のセカイに向かう」みたいな非常に曖昧な着地である。

思えば春樹先生は、80年代からずっとそうなんだよなぁw


いいなと思ったら応援しよう!