痛みはないが指がおかしい|ピアノ弾きなら知っておきたいフォーカル・ジストニアのこと
もっと上手くなりたい!
本番で立派に演奏したい!
憧れの曲を弾けるようになりたい!
・
・
・
ピアノが好きであればこそ
好きな曲だからこそ
練習にも熱が入ります。
しかし、練習には故障のリスクがある事を忘れてはなりません。
実際、練習による手の痛み、首・肩・背中や腰の痛みに悩む人は少なくありません。
痛みは身体からの重要なサインです
痛みを我慢して弾き続けるのは、
美談ではありません。
無謀なピアノ弾きとしての自殺行為です。
絶対に避けなければなりません。
では、痛みがなければ、いくらでも練習し続けてよいのでしょうか。
いいえ、
痛みを伴わない障害もあります。
痛みがないために
異変に気づきにくく、
「練習が足りないのではないか」
さらに練習を重ねて
症状を悪化させてしまうリスクがあります。
例えば、フォーカル・ジストニア。
ピアノ弾きがフォーカル・ジストニアを発症すると、ピアノを弾く時に意図せず、指が巻き込む、跳ね上がる、手が固まって動かなくなるなど、思うように指や手を動かせなくなり、演奏が極めて困難になります。
フォーカル・ジストニアは発症してしまうと、克服は容易ではありません。
改善する人、演奏活動に復帰する人がいる一方で、演奏活動を断念する人がいるのも現実です。
私は30代前半に異変を感じ、数年後には「ドレミファソ・・・」すら弾けなくなりました。
克服には20年以上かかり、2018年に演奏活動を再開、2026年第16回日本バッハコンクール一般B部門全国大会で金賞受賞しました。
今だから言えること・・・
練習は演奏を育てるためにするもの
故障するような練習は練習ではない
ピアノを弾くなら、フォーカル・ジストニアのことを知っておきましょう。
1. 痛みはないが指がおかしい|フォーカル・ジストニアとは
ピアノを弾こうとした時に
意図せず、
指が巻き込む、
跳ね上がる、
手が固まって動かなくなるなど、
思うように手指を動かせず
ピアノを弾けない・・・
その症状はフォーカル・ジストニアかもしれません。
フォーカル・ジストニアとは、何でしょうか⇓
ジストニアは、筋肉が勝手に緊張してしまって、考えてもいない姿勢や動作が現れてしまう病気です。
ジストニアには、症状が全身に現れるものと身体の一部にしか現れないものがあり、後者が局所性ジストニア、すなわち、フォーカル・ジストニアと呼ばれています。
ジストニアは、意図せず筋肉が勝手に緊張してしまって、考えてもいない姿勢や動作が現れてしまう病気であり、それが手指など身体の一部に現れる場合、フォーカル・ジストニアと呼ばれます。
中でも、日常生活では問題ないのに、
ピアノなどの楽器を弾く、字を書くなど、
「特定の動作」の時だけ、
手指など「身体の一部」に現れる症状は
局所性動作特異性ジストニア(focal task-specific dystonia , FTSD)
と呼ばれます。つまり⇓
局所性(focal)
⇒指や手など、身体の一部だけに起きる動作特異性(task-specific)
⇒日常動作全般ではなく「ピアノを弾く」など特定の動作で症状が現れるジストニア(dystonia)
⇒自分が意図しない動きが勝手に起きる
ですね。
局所性動作特異性ジストニア(focal task-specific dystonia)は、通常は単に《フォーカル・ジストニア》と呼んでいます。
また音楽家のジストニアなので
音楽家ジストニア(Musician’s Dystonia,MD)
とも呼ばれます。
巻き込みや跳ね返り・突っ張りがどのようなものなのか、私自身の過去の演奏動画からの切り出しです⇓


ジストニアは「神経疾患」に分類されています。
ピアノ弾きのフォーカル・ジストニアも、医学的には「神経疾患」という事になります。
しかし、発症し克服した私の極めて個人的な感覚として、病気と言われる事には違和感があります。
私が発症した1990年代には、ジストニアという言葉すら知られていませんでした(ググれる時代はずっと後です)
自分が病気だとは、思いもよらないままに、学習と探求と試行錯誤により快復していきました。
フォーカル・ジストニアが病気だと知ったのは、2007年。
最初に異変を感じてから10年以上経ち、リスト『エステ荘の噴水』を練習できるくらいには改善した頃でした。
自分の症状がフォーカル・ジストニアという大層な名前の病気だと知った後も、私には「治してもらわなければならない病気」とは思えませんでした。
というのも、ピアノを弾く時のみ、指がおかしいだけで、PCのキーボードは問題なく叩けるし、日常生活には全く支障がなかったからです。
だから、
ピアノ演奏の技術的・身体的な問題
として模索し続け、そして、克服しました。
医学・科学の発展により、フォーカル・ジストニアの原因が解明され、治療法が確立される事には大きな期待を寄せています。
しかし・・・
そもそもピアノの練習によって発症するのですから、発症しない練習法・予防法、演奏再開へのプロセスはピアノ弾きの領域であり、ピアノ教師の責任だと考えています。
ピアノを弾く人は、フォーカル・ジストニアについて知っておきましょう。
2. どうしてフォーカル・ジストニアを発症するの?
どうして、フォーカル・ジストニアを発症してしまうのでしょうか?
フォーカル・ジストニアの原因や発症メカニズムは完全には解明されていませんが、脳の問題と言われています。
どういうことか。
脳には可塑性(かそせい)という性質があります。
可塑性とは、脳が経験や学習に応じて、その構造や働きを変化させる性質です。
練習によって難しい曲を弾けるようになるのも、脳の可塑性によるものです。
すなわち、練習を繰り返すことで、演奏に必要な神経回路のつながりが強化され、かつ、洗練されていき、正確でスムーズな動きができるようになります。
練習
⇓
脳が変化する(可塑性)
⇓
技術が向上する
練習とは素晴らしいメカニズムなのです。
ところが、脳は間違った学習によっても変化してしまいます⇓
音楽家のジストニアは脳に問題がある。しかし、真の意味での疾患ではなく、脳に病変は存在しない。音楽家の身に起きていることは、非常に高度なレベルの演奏を何年間も続けた結果、脳が持てる力を最大限に発揮し続けて極限状況にさらされてきたという特殊な状況において、いくつかの間違いが脳に取り込まれたということである。
激しい練習によって脳にジストニアの素因がつくられ、まだ知られていないものも含めたさまざまな要因が連帯あるいは単独で作用し、音楽家の神経系において、卓越した技術と制御できない感覚異常とを分けるきわどい境界線を越えてしまうのである。
私自身の経験もふまえて、極めて単純化した仮説ですが、
不自然な弾き方や特定の音型の過度な反復練習
⇓
誤った手指・身体の使い方を
脳が覚えてしまい
適切な手指・身体の使い方に
置き換わってしまった
⇓
ピアノを弾こうとすると
指が巻き込んだり、
跳ね上がったり妙な動きが出現する
と言えるかもしれません。
もうひとつ、無視できないのが
心理的要因:ストレスです。
非常に多くの音楽家が、ジストニアの最初の症状は、肉体的にも精神的にもストレスのかかった時期に起こったと述べている。一般に、ストレスはジストニアの根本的な原因とは見なされていないが、ジストニアによる症状を加速する増悪因子として働くと考えられている。
これらを総合すると、仮説としてこう考えられます⇓
ミス・ユース
=不自然な弾き方や誤った手指・身体の使い方オーバー・ユース
=長時間の偏った過度な反復練習ストレス・プレッシャー
=精神的負荷
ミス・ユース × オーバー・ユース × ストレス・プレッシャー
あくまで仮説ですが、この3つが重なって臨界点を超えてしまった時に発症するのかもしれません。
実際、発症当時の私には、この3つの条件が揃っていました。
ミス・ユース:よくない弾き方
そもそも私は決して上手くありませんでした。
オクターブが苦手、ミスタッチが多い・・・弾き方について常に悩んでいました。厄介だったのは、傍からは楽々と楽しそうに弾いているようにしか見えなかったため、先生方に悩みを理解されず「練習不足!」「根性が足りない!」と一蹴され、追い詰められていきました。
オーバー・ユース:練習し過ぎ
当時、独身だった私は、伴奏など演奏によって生計を立てており、生活は10本の指にかかっていました。
また、仕事として弾かなければならない曲だけではなく、自分のソロのレパートリーを広げたい意欲も強く、寸暇を惜しんで練習しているような状態でした。
今思えば笑うしかありませんが・・・
ピアノの譜面台の横にチョコレートの大袋を置き、足元にゴミ箱を置いて、チョコレートを口に入れては足元のゴミ箱に小袋を捨てる・・・そうやって空腹を紛らわせながらピアノにかじりついていたんですよね。
1日の練習を終える頃にはチョコレートの大袋は空っぽになり、足元のゴミ箱は抜け殻のような小袋でいっぱいになっていました(笑)
ストレス・プレッシャー:強い精神的負荷
極度のあがり症に悩んでいて、常に本番への強いプレッシャーを抱えていました。
さらに、共演者との関係も微妙だったり、「そこでそんなにテンポ落すの?」みたいな意に沿わない解釈で演奏しなければならないような本番もあり、非常にストレスフルでした。
ということで、どうして弾けないのか謎な一方で、心身が限界を越えた自覚は十分にありました。
なので、最初は、休めば治ると楽観視していました。
実際、(結婚して)生活のために弾く必要がなくなり、ピアノ以外の事にも関心を向けているうちに「ドレミファソ・・・」すら弾けない状態は抜け出しました。おそらく最悪の期間は2〜3か月だったと思います。
ですが、そこからが長い、長い暗黒時代でした。。。
3. どんな人がフォーカル・ジストニアを発症するの?
どんな人がフォーカル・ジストニアを発症するのでしょうか。
まず、どれくらいの人がフォーカル・ジストニアを発症するのでしょう⇓
音楽家のジストニアは、プロの音楽家の発症率が100人に1人と非常に頻度の高い疾患である(Altenmueller 2003)。
上記は2003年の報告ですが、その後の報告でも、プロの音楽家のおよそ1%が音楽家ジストニアを発症すると言われています。
アマチュアを含む『ピアノを弾く人全体』での発症率は、現在のところ明らかになっていないようですが、アマチュアの発症も確認されています。
私が知っている例として・・・
本業がサラリーマンで残業も出張もありながら、平均的音大生・卒業生に勝るとも劣らない演奏をするアマチュアピアニストが、少なくとも3人発症しました。
プロだけではなく、練習時間が短いはずの趣味で弾いている人にとってもフォーカル・ジストニアは発症するリスクがあります。
ピアノ弾きならフォーカル・ジストニアについて知っておきましょう。
3-1. フォーカル・ジストニアを発症した巨匠達
フォーカル・ジストニアは、歴史に名を残す巨匠達も悩ませました。
古くは、ロベルト・シューマン(1810-1856)。
シューマンは晩学だったこともあり、猛練習をした結果、右手を故障してピアニストを断念し作曲家に転向したことは知られていますが、近年の研究でその故障とは、フォーカル・ジストニアだったと言われています。
20世紀以降の巨匠たちでは・・・
ゲイリー・グラフマン(1928-2025)。
1970年代右手に発症し、左手のレパートリーで演奏していた時期もありましたが、両手での演奏を断念し指導に専念、ラン・ラン、ユジャ・ワンを育てました。
レオン・フライシャー(1928-2020)
1952年エリザベート王妃国際音楽コンクールピアノ部門第1位入賞するも、1960年代右手に発症。左手のレパートリーや指揮・指導で活動していましたが、2000年代に両手での演奏を再開し、2004年『トゥー・ハンズ』をリリース、世界中に感動を与えました。
ミシェル・ベロフ(1950-)
1980年代半ばに右手に発症。パリの専門クリニックでの治療やリハビリを経て1990年代後半に両手のコンサート・ピアニストとして完全復活、世界中のファンを魅了し続けています。
3-2. フォーカル・ジストニアを発症しやすい人
では、どんな人がフォーカル・ジストニアを発症しやすいのでしょうか。
フォーカル・ジストニアとの関連が報告されている特徴を見てみましょう⇓
ジストニアを発症した音楽家は他の音楽家以上に完全主義であることはよく知られている。
音楽之友社、2012年、p.122。
ジストニアの音楽家は以下の傾向をはっきりと示している。
ひとりで仕事をする傾向、非常に心配性で、感情の起伏が激しく、感受性が強く、短気、問題をすぐに解決せずにはいられない、また精神的に不安定で、控えめでそして若干近寄りがたい、そして、自分に多くの要求を課し、欲求不満への耐性が低く、不安げで懲り深く、助言をあまり受け入れようとしないという傾向である。
音楽之友社、2012年、p.124。
上記の、関連が報告された心理的特徴をまとめましょう⇓
完璧主義
心配性
感情が不安定
感受性が強い
問題をすぐに解決したがる(妥協できない)
自分への要求(目標)が高い
私の全く個人的な意見ですが・・・
これらの特徴は、単に性格的な特徴として発症しやすいというより、そのような特徴がもたらす思考・行動が、ミス・ユース、オーバー・ユース、ストレスフルへと陥りやすいということだと考えます。すなわち、
完璧主義・心配性・目標が高い
⇒納得いくまでとことん練習しないと気が済まないので、疲れていてもやめられない、あるいは疲れに気づかない。
⇒必然的に練習時間が長くなる(オーバー・ユース)
高みを目指すあまり、知らず知らずのうちに無理を重ね、手指・身体の使い方にも無理が生じる。
⇒高度なテクニックほど精緻なコントロールを必要とするので、わずかな狂いでバランスが崩れ、結果的にミス・ユースになる
感情が不安定、感受性が強い、問題を解決したがる(妥協できない)
⇒ストレスフルな心理状態に陥りやすい。
という事が考えられるかもしれません。
しかし・・・
こちらも個人的な意見ですが・・・
巨匠達はもちろん、上手い人に
完璧主義じゃない人
理想が高くない人
感受性の鈍い人・・・
なんていませんよね(笑)
巨匠達のこだわりや完璧主義は凡人の想像をはるかに超えていますし、溜息が出るような素晴らしい演奏は高い理想が現実になるまで練習を重ねた証ですし、感受性鈍いのに美しい演奏なんて無理です(笑)
だから、完璧主義や理想の高さや感受性の強さが問題というより、コンディションやメンタルのコントロールが重要ということではないかと思います。
裏返せば・・・
完璧主義をさらに推し進め、人生の最期まで進化し続け、よりよい演奏をし続けるためにはどうしたらよいのかを考えれば、今日の練習し過ぎが近い将来の故障リスクとなりえることは容易に想像できます。
ならば、完璧主義者としては、練習をやめる、休憩するという選択肢こそが最上の選択だと思えるはずですよね・・・
完璧主義が悪いのではなく、完璧主義をどう生かすのか、コントロールするのかが大事だと考えます。
4. フォーカル・ジストニアは治るの?
フォーカル・ジストニアは治るのでしょうか。
上記のミシェル・ベロフをはじめ、フォーカル・ジストニアを克服したピアニストはいます。
しかし、容易ではないのが現実です。
医学的な診断や治療は専門医の領域ですから、ここでは扱いませんが、フォーカル・ジストニアには複数の治療選択肢があるものの、すべての患者に有効な決定的な治療法が確立されているわけではないというのが現状です。
では、フォーカル・ジストニアを克服するにはどうしたらよいのでしょうか⇓
音楽家のジストニアは脳に問題がある。しかし、真の意味での疾患ではなく、脳に病変は存在しない。音楽家の身に起きていることは、非常に高度なレベルの演奏を何年間も続けた結果、脳が持てる力を最大限に発揮し続けて極限状況にさらされてきたという特殊な状況において、いくつかの間違いが脳に取り込まれたということである。
体系的な練習によってジストニアを発症したのだから、適切な体系的な練習によってジストニアから脱することができる。(筆者により太字)
音楽之友社、2012年、p.151
・・・音楽家のジストニアは新しい神経の再編プロセスをたどる方法によってもとに戻せるはずだと考えるのは理にかなっている。この仮説は、今までに一部の音楽家で演奏能力を完全かつ恒久的に回復することを可能にした治療法は、科学的または直観的に神経リハビリテーションの手法に従っている治療法のみであるという事実によって支持される。
音楽之友社、2012年、p.157
極めて単純化した仮説ですが・・・
練習を重ねる過程のどこかで神経系の学習がうまくいかなくなり、ピアノを弾こうとすると、指が勝手に巻き込んだり跳ね上がったりする「誤った回路」が脳内に形成されてしまったのならば、新たに適切な神経回路を形成すればよいということになります。
少々乱暴に言えば、
脳が誤った弾き方や手指・身体の使い方を完璧に覚えてしまったために、適切な使い方に置き換わってしまった
⇓
誤った弾き方や手指・身体の使い方が
身に付いてしまったなら、
あらためて、
適切な弾き方や手指・身体の使い方を
一から学習すればいい
ということになります。
もちろん、これは「医療的な診断や治療が必要ない」という意味ではありません。
痛みがあっても、なくても、
おかしいと思ったら
《音楽家の手の専門医》
による診察を受けましょう。
そのうえで、ピアノ演奏能力をどう快復していくか、です。
誤った弾き方や手指の使い方が身に付いてしまったものを、
どうやってリセットするのか、
一から学習するとはどうするのか?
その方法が確立されているわけではないので、克服は容易ではありません。
しかし、ピアノ弾きのフォーカル・ジストニアから回復し、演奏活動に復帰した人がいることも事実です。
ピアノを演奏され、自らもフォーカル・ジストニアを発症し改善していらっしゃる神経内科医 青嶋陽平先生が作成された動画をシェアします(本記事でのシェアをご承諾いただいています)
5. 予防法は真の上達法|フォーカル・ジストニアを発症しないために
フォーカル・ジストニアは発症すると克服は容易ではありません。
したがって、発症しないように予防することが何より肝要です。
発症には、
ミス・ユース × オーバー・ユース × ストレス
が関わっているかもしれないと述べました。
ということは、
この3つを日常の練習から
できるだけ減らすことが、
予防につながると考えられます。
すなわち、
ミス・ユースに陥らない
⇒適切なフォーム・タッチ・奏法を習得するオーバー・ユースに陥らない
⇒根性論ではなく、合理的で効果的、計画的な練習ストレスをため過ぎない
⇒心身のコンディション管理、メンタル・コントロール
ということになります。
具体的にどう取り組んでいけばいいのか、見ていきましょう。
5-1. 「知ること」でミス・ユースを防ぐ〜よい先生に習う
誤った手指や身体の使い方(ミス・ユース)に陥らないために、まず必要なこと。
それは、
知ること
です。すなわち、
ピアノの音の鳴る仕組みを知る
ピアノを弾く身体のことを知る
自分が演奏する作品を知る
です。
まず、
ピアノという楽器の音の鳴る仕組みを知りましょう。
昭和の時代、「鍵盤の底までしっかり押さえて!」と教わった方も多いのではないでしょうか。私もそうでした。
ですが、実際のピアノの構造では、音が鳴るのは鍵盤が一番底に到達した瞬間ではなく、その約1mm上のポイントを通過するときです。
その時、ハンマーが鍵盤のコントロールを離れて弦を叩き、音が生まれます。
つまり、鍵盤が底に到達したときには、すでに音は鳴り終わっているのです。
底に指を打ち付けつけるような弾き方は、響きにとってマイナスであるばかりか、手指に不要な負担をかけ故障のリスクを高めます。
ピアノの音が鳴る仕組みを知っていれば、鍵盤の底までしっかり押さえる必要はないという事がわかります⇓
そして、ピアノを知ると同時に、
「演奏する自分の身体の仕組み」を知りましょう。
必読書としておすすめなのが、こちらです。
身体の構造と機能を知った上でこそ、身体への負担がより少ない合理的な弾き方を語る事が出来ます。
また、アレクサンダー・テクニークなどの身体メソッドもとても有効です。
さらに、
作品への理解も重要です。
アルファベットを知っているからといって外国語が読めて話せるわけではないのと同じで、「ドレミが読める」ことと「作品を理解している」ことは別です。
作曲家が生きた時代・背景、曲の構造、和声の意味・・
これらを知ることで、作品の理解が深まれば、演奏のイメージがより明確になり、どう演奏すればよいのかわかってきます。
意味がわからなければ、音の羅列、カオスでしかないですからね。
という事で、ミス・ユースを防ぐ第一歩は、
知る
ことです。
そのために最もシンプルなのは
本質を教えてくれるよい先生につき
しっかり学んで適切に練習する
ことです。
難しいフレーズが弾けないなら、
なぜ弾けないのか、
どう練習すれば弾けるようになるのか、
科学的・論理的に解説してくださる先生につきましょう。
誤解を恐れず書きますが、
“手が痛い・・・”
と訴えた時に
“力が入っているようには見えないのだけれどねー”
とか、
“指が弱いから痛くなる、鍛えられれば痛くなくなる”
など、ナンセンスな事を言う先生は、どんなにご自身が上手くても人柄がよくても
あなたのピアノの先生としては
ふさわしくありません
あなたの悩みを改善する方法を教えてくれる、あなたにとってよい先生を探して習いましょう。
5-2. 練習量だけに頼らない|脱!オーバー・ユース
上手くなるためには、練習が必要ですが、
闇雲に練習量だけに頼らないことがオーバー・ユースを避ける前提です。
もちろん、ある程度の練習量は必要です。
しかし、ただ闇雲に量だけに頼っても望む効果をあげられないばかりか、疲れが溜まって故障のリスクが高くなるだけです。
オーバー・ユースを避けるシンプルな方法を5つ挙げましょう⇓
適切な選曲・スケジュール
⇒チャレンジは尊いですが、無茶は自分を苦しめ故障リスクを高めます。適切な選曲とスケジュールについて熟考しましょう疲れる前に適切に休憩をとる
⇒疲れてから休憩するのではなく、疲れる前に休憩しましょう。
30分弾いたら、5分は休憩、ピアノの前から立ち上がりお茶を飲んだり、ストレッチをしましょう。練習方法を工夫する
⇒難しいフレーズは繰り返し練習が必要ですが、単なる機械的な反復練習は発症リスクが高いことが知られています。何より音楽的な表現を優先し、そのための手指・身体の使い方を工夫しましょう。ボディワークで全身のコンディションを整える
⇒股関節・背中・肩・腕のストレッチなどボディワークを練習の前後や日常の中で3分やることを習慣にしましょう。脳内練習やイメージ・トレーニングを積極的に行う
⇒イメージ・トレーニングの効果は科学的に証明されています⇓
5日間イメージ・トレーニングをしたグループに対して、5日目のトレーニング終了後、さらに2時間、実際にピアノを弾いて練習してもらいました。その結果、驚くことに、指を動かす神経細胞の働きは、5日間毎日実際にピアノを弾いて練習していたグループの神経細胞の働きと、ほぼ同じ程度まで向上したのです
春秋社、2012年、p.24。
ピアノにかじりつくような練習はやめましょう!
練習量だけに頼らないようにしましょう!
5-3. 感情を制する者が本番を制する〜メンタル・コントロール
本番前はどうしても追い詰められがちです。
コンクールや試験などプレッシャーのかかる本番ほど、想像しただけでドキドキして指が震えたり汗ばんだり・・・
ミスへの恐怖から「もっと練習しなきゃ」と焦り、ピアノから離れられなくなり、疲れから集中力が落ちてミスが増えるとさらに不安になり、ますますピアノから離れられないという悪循環に陥りがちです。
本番前に緊張が高まるのは自然な反応ですが、緊張に飲みこまれ、自分を見失うことのないようにメンタルコントロールしましょう。
簡単で効果的でおすすめなのは
瞑想
です。
いまやトップアスリートやビジネスパーソンにとっても常識となっている瞑想ですが、やり方は至ってシンプル。
ただ、自分の呼吸に意識を向ける
これだけです。
頭の中にいろんな考え(雑念)が浮かんできても、それを追うのではなく、川の流木を眺めるように「流れていったな」と受け流します。
やってみればわかりますが、呼吸に意識を向けようと思っても、すぐに色んな考えが浮かんできます。私は食いしん坊なのか、常に「何、食べようかな~」と浮かんできます(笑)
浮かんでは見送って
呼吸に意識を戻し、
また浮かんでは手放し・・・
淡々と続けます。
1回3分、いや、1分でも瞑想を続けると、だんだんと自分を客観視することが出来るようになります。
自分を客観視できるようになると、本番前の不安や焦りといった感情に振り回されなくなります。
個人的には、瞑想は最強のメンタル・トレーニングだと思っています⇓
5-4. 真の上達法がフォーカル・ジストニア予防法
ピアノが上手くなるためには、
手が痛くなるほど
練習するのは当たり前・・・
故障するほど練習しなければ
上手くならない・・・
それは間違い!
真の上達法=予防法
です。
昭和の時代には、メソッドなき精神論や根性論によって、手指や身体を壊してしまう人が少なくありませんでした。
しかし、21世紀の現代では、ピアノ演奏における身体運動や脳の仕組みについて科学的研究が大きく進んでいます。
無理のない自然な身体の使い方を学び、それを洗練させていけば、「無理矢理弾く」必要がないため、ミス・ユースに陥るリスク下げることができます。
合理的な奏法が身につけば、長時間ピアノにかじりつくような練習は必要なくなるので、オーバー・ユースのリスクも下げることができます。
そして「弾ける」確信が強いほど、本番前に余計なストレスを抱え込むこともなくなります。
心身への不要な負担が限りなく少ない「真の上達法」こそが、フォーカル・ジストニアをはじめとするあらゆる演奏障害の予防法であり、ピアノ・ライフを守ってくれるのです。
6. まとめ
では、まとめましょう。
1.フォーカル・ジストニアとは?
ジストニアは、筋肉が勝手に緊張してしまって、考えてもいない姿勢や動作が現れてしまう病気です。
手指など身体の一部にあらわれる症状は、フォーカル・ジストニアと呼ばれています。
ピアノ弾きがフォーカル・ジストニアを発症すると、ピアノを弾く時に、意図せず、指が勝手に巻き込んだり、跳ね上がったり、突っ張ったりして弾けなくなってしまいます。
2.フォーカル・ジストニアはなぜ発症するの?
フォーカル・ジストニアの原因や発症メカニズムは完全には解明されていませんが、脳の問題と言われています。
脳には可塑性(かそせい)という性質があります。
可塑性とは、脳が経験や学習に応じて、その構造や働きを変化させる性質です。
練習を繰り返すことで、演奏に必要な神経回路のつながりが強化され、かつ、洗練されていき、正確でスムーズな動きができるようになります。
しかし、脳は間違った学習によっても変化してしまいます。
不自然な弾き方や特定の音型の過度な反復練習などにより、間違った弾き方や手指・身体の使い方を脳が覚えてしまい、結果として、ピアノを弾こうとすると指が巻き込んだり、跳ね上がったり意図しない妙な動きが現れる・・・少々乱暴ですが、そのように考えられるかもしれません。
私自身の経験も踏まえると、発症を考えるためのモデルとして
ミス・ユース × オーバー・ユース × ストレス・プレッシャー
という仮説が考えられます。
3.どんな人がフォーカル・ジストニアを発症するの?
プロの音楽家のおよそ1%が音楽家ジストニアを発症するとされています。
アマチュアを含む『ピアノを弾く人全体』での発症率は、現在のところ明らかになっていないようですが、アマチュアの発症も確認されています。
古くは、ロベルト・シューマン、20世紀以降ではゲイリー・グラフマン、レオン・フライシャー、ミシェル・ベロフらも発症しています。
フォーカル・ジストニアを発症しやすい人の特徴として
完璧主義
心配性
感情が不安定
感受性が強い
問題をすぐに解決したがる(妥協できない)
自分への要求(目標)が高い
が報告されています。
4.フォーカル・ジストニアは治るの?
上記のミシェル・ベロフをはじめ、フォーカル・ジストニアを克服したピアニストはいますが、容易ではないのが現実です。
医学的には複数の治療選択肢があるものの、すべての患者に有効な決定的な治療法が確立されているわけではないというのが現状です。
痛みがあっても、なくても、おかしいなと思ったら《音楽家の手の専門医》による診察を受けましょう。
そのうえで、誤って身に付いてしまった弾き方や手指・身体の使い方をやめて、あらためて、適切な弾き方や手指・身体の使い方を一から学習するという考え方によって、改善・克服を目指すことができます。
5.フォーカル・ジストニアを予防するには?
フォーカル・ジストニアを予防するには、以下の3つを心掛けることが有効と考えられます。
ミス・ユースに陥らない
⇒適切なフォーム・タッチ・奏法を習得する=よい先生につく
⇒ピアノ・身体・作品を知るオーバー・ユースに陥らない
⇒根性論ではなく、合理的で効果的、計画的な練習
⇒練習量に頼り過ぎない。ストレスをため過ぎない
⇒心身のコンディション管理、メンタル・コントロール
⇒瞑想はシンプルで効果的なメンタル・トレーニングです
真の上達法こそが、フォーカル・ジストニアをはじめピアノ弾きの障害を予防し、よりよいピアノライフの鍵です。
練習は演奏を育てるためにするもの
故障するような練習は練習ではない
ピアノを弾くなら、フォーカル・ジストニアのことを知っておきましょう。
次の記事では、
もしも、フォーカル・ジストニアを発症してしまったら
どうしたらよいのか、具体的に書いていきます。
7. 参考
本文で引用した文献と参考文献、併せて読んで欲しい記事のリンク集です。
7-1. 参考文献
『音楽家と医師のための音楽家医学入門』
根本孝一・酒井直隆編著、協同医書出版社、2013年。
”音楽家も読める医学書”として、演奏による障害についてやさしく書かれています⇓
『どうして弾けなくなるの?〈音楽家のジストニア〉の正しい知識のために』
ジャウメ ロセー イ リョベー, シルビア ファブレガス イ モラス著、 平 孝臣, 堀内 正浩 監修 NPO法人ジストニア友の会 翻訳、音楽之友社、2012年。
音楽家のフォーカル・ジストニアについて日本語で読める解説書です⇓
『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』
トーマス マーク, トム マイルズ, ロバータ ゲイリー 著, 小野 ひとみ 監訳, 古屋 晋一 翻訳、春秋社、2006年。
ピアノ弾き必携!ピアノを弾く身体についてわかりやすく解説されています。
『ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム』
古屋晋一、春秋社、2012年。
ピアニストの指はなぜあんなに速く動くのか、プロと初心者の違いなど脳や運動メカニズムを科学的に研究・解説。
脱!根性論に必携の1冊です。
7-2. 併せて読んで欲しい参考リンク
記事中のトピックについての記事をご紹介します。
併せてご覧ください。
ジストニア改善経験者達の演奏
ピアノを演奏され、自らもフォーカル・ジストニアを発症し改善されていらっしゃる神経内科医 青嶋陽平先生が作成された『ジストニア改善経験者達の演奏』をシェアします(本記事でのシェアをご承諾いただいています)
ピアノの音が鳴る仕組みを知りましょう⇓
瞑想は、シンプルで効果的なメンタル・トレーニングです⇓
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