【読書】『果てしなき流れの中に』 小松左京 著 ジャストシステム 1995年
『日本沈没第二部』を読んで、小松左京の他の本をあまり読んだことはないな、ということで彼の傑作の一つと言われる本書を読んでみることにした。あまり読んだことはない、というのは『日本沈没(第一部)』が余りに好きすぎで、第二部が出た時も結局読まず、確か短編集を読んだくらいだということだ。
SFにはいろいろなジャンルがあって定義できないとWikipediaに書いてある。本書の道具立ては、Wikipediaの分類でいうと、宇宙SF、時間SFなんだと思うけど、主題は小松があとがきに書いているように「地球上の生命史の中で「人類」が生まれたことは、この地球にとって、宇宙にとってどんな意味があるのか、そして「人類」に「認識」されるにいたる「宇宙」と「時の流れ」とは何か、という私の当初からの茫々たるテーマをあつかったもの」だ。
これもあとがき(原作)に書いてあるが、「古代から現代にいたるまで、東洋や新大陸の古代文明にいたるまで、あらゆる思想を偏見ぬきでチェックするだけでも、大変な時間がかかってしまいそうです。ーそれに現代の「科学」という途方もない情報の殿堂があります。ーこれら一切の「科学(サイエンス)」を綜合してみて、それを「意識」を媒介として、一箇の「フィクション」に結晶(クリスタライズ)させることができるかどうか」と言っている。
アメリカではSFの世界を実現しようとする人たちがいる。有名なところではイーロン・マスクがいるが、ハードだけではなく小松のような作品から「思想」「認識」といった世界に向かう人たちがいてもおかしくないと思う。
本書の一つ前に『名指しと必然性』(ソール・クリプキ著)について書いたが、分析哲学(言語哲学)が最先端と言われる西洋哲学に、東洋哲学をぶつけてみると、すごく近くにいるのに最後にどうしても神か自分に戻らなければならない西洋哲学があったりする。そもそも東洋哲学では釈迦のいる「無記」だったり、「空」や「縁起」のなかで解消されてしまうものなんだと思う。
僕の見方は「偏見」だと思うが、前述のとおり小松はその全てを「偏見ぬき」でチェックしたいという。『日本沈没第二部』もそうだが、小松の作品は彼の人生の後半では未完のものが多い。「科学」も含めた全てを守備範囲にしようとして追いつかなかったのかも知れない。
最近、哲学の本などをかじっている僕は、改めて小松左京の作品を読むと、その大きさが理解できるような気がする。今さらではなく、今読まなくてはいけない作家であることに気づいた次第。
【追記】『日本沈没』『日本沈没第二部』については本書に少しだけ出てくる。本書の出版が1966年、『日本沈没』が1973年。7年前には構想があったということか。そして『日本沈没第二部』の第二部のエンディングはそういうことか、と理解した。
