開いた問い、閉じた問い──欠けた円から、宇宙のひもまで
「どうしたらできるかな」
本田健さんの記事を読んでいて、
この言葉が妙に残った。
貧しさを引き寄せる「口ぐせ」として紹介されていたのは、
「そんなお金、ないよ」
「どうせ自分なんて」
「あの人は特別だから」
「もったいないから、やめておく」
「忙しくて、それどころじゃない」
という五つの言葉。
どれも、
その先へ進めない。
一方で、
「どうしたらできるかな」
「面白そうですね」
「やってみます」
という言葉には、
まだ先がある。
ここで、ふと思った。
これって、
「オープンクエスチョン」と
「クローズドクエスチョン」に、
少し似ているんじゃないだろうか。
「はい」か「いいえ」か
オープンクエスチョンは、
相手の意見や考えを自由に引き出す問い。
「どう思いますか?」
「どうしたらいいと思いますか?」
「そこから何が見えますか?」
答えはひとつではない。
一方、クローズドクエスチョンは、
「はい/いいえ」のように、
答えの範囲をある程度限定する。
「できますか?」
「行きますか?」
「好きですか?」
どちらが良い、という話ではない。
ただ、
問いが開いていると、
可能性も開いている。
そんな関係はありそうだ。
そして、それは以前書いた
「欠けた円」の寓話にもつながっていた。
欠けた円
欠けた円を見たとき、
大人はどうしても、
そこに「足りないもの」を見る。
ここには線がない。
だから、
本来はここに線があるはずだ。
こう続くはずだ。
こうでなければ、
完全な円にはならない。
そしていつの間にか、
目の前に存在している線ではなく、
「まだ存在していない部分」
に意識を奪われていく。
自分の中にある「正しい円」のイメージで、
欠けた部分を補ってしまうのだ。
これは、
ある意味ではクローズドな見方なのかもしれない。
「これは円である」
と先に答えを決めてしまえば、
欠けは「不足」になる。
けれど、
子供は違った。
欠けた円を、
欠けた円のまま楽しんでいる。
そこにある線を眺め、
触れ、
遊び、
その形そのものに集中する。
「これは何なのか」
という答えを急がない。
だから、
欠けている。
という事実すら、
まだ閉じていない。
欠けは、質問になる
そして旅人が現れた。
欠けた部分を眺めながら、
こんなことを言った。
この形は楽器のようだ。
風が通れば、
笛のように鳴るかもしれない。
水が落ちれば、
独特のリズムを生むかもしれない。
完全な円には出せない音を、
この欠けが生むのだ。
その瞬間、
「なぜ欠けているのか」
という問いが、
「この形で何ができるだろう」
という問いに変わった。
原因を探す問いから、
未来を開く問いへ。
原因論から目的論へ。
欠けを消そうとするのではなく、
欠けたままの形から、
次の可能性を考える。
そこには、
健さんの言う
「どうしたらできるかな」
と、どこか似た呼吸がある。
閉じることは、悪いことではない
もちろん、
クローズドな問いが悪いわけではない。
「電車は何時ですか?」
「これはあなたの荷物ですか?」
そんな問いには、
明確な答えが必要だ。
人生だって、
決めなければならない瞬間がある。
YESかNOか。
行くか、行かないか。
買うか、買わないか。
だから問題は、
閉じることそのものではない。
いつ閉じるのか。
なのだと思う🧐
まだ見えていない可能性があるのに、
早々と答えを決めてしまう。
それが、
自分の世界を狭くしてしまうことがある。
「そんなお金、ない」
と言った瞬間、
可能性まで消してしまうように。
「自分には無理」
と言った瞬間、
まだ出会っていない自分まで、
いなかったことにしてしまうように。
そして、宇宙にも「開いた」と「閉じた」がある
ここで、少し話が遠くなる。
宇宙の話だ。
超ひも理論には、
「開いたひも」と「閉じたひも」
という考え方がある。
開いたひもは、
両端を持つ。
閉じたひもは、
輪になっている。
もちろんこれは、
オープンクエスチョンと
クローズドクエスチョンとは、
物理学的にはまったく別の話だ。
そこを同じものとして語ることはできない。
でも、
なんだか面白い。
人間の問いにも、
「開いている問い」と
「閉じている問い」がある。
宇宙を記述する理論にも、
「開いたひも」と
「閉じたひも」がある。
ただ、それだけ。
それだけなのに、
言葉が隣り合った瞬間、
少しだけ景色が変わる。
開いたものには、
「その先」がある。
閉じたものには、
「内側」がある。
そんな比喩として眺めてみると、
宇宙のひもも、
人間の問いも、
妙に愛おしく見えてくる。
開いているということ
もしかすると、
豊かさというのは、
お金をたくさん持っている
ことだけではないのかもしれない。
まだ答えのないところに、
問いを置いておけること。
欠けたものを見て、
すぐに埋めようとしないこと。
「どうしたら?」
と考えられること。
「面白そう」
と思えること。
「やってみよう」
と、一歩だけ動いてみること。
それは、
何かをたくさん持つことよりも先にある、
心の姿勢なのかもしれない。
欠けた円を見て、
「ここが足りない」(原因論)
と言うのか。
それとも、
「この形で、
何ができるだろう」(目的論)
と問うのか。
同じ景色を見ている。
でも、
問いの形が違うだけで、
その先に広がる世界は変わる。
だから今日、
ひとつだけ口ぐせを
変えてみようと思う。
「無理だ」
の代わりに、
「どうしたら?」
と。
答えは、
まだいらない。
問いが開いていれば、
世界もまだ、
閉じていないから。
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