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「十二月八日」の湯気を探して ―三鷹・連雀湯跡

三鷹に引っ越してきたばかりの2021年12月、生後9か月の息子を抱いて、妻と3人で近所の郵便局へ出かけた。

三鷹下連雀郵便局のポストと案内板

冷たい風に晒された郵便ポストの隣に、小さな案内板を見つけた。そこには、「連雀湯跡」と書かれていた。

「連雀湯跡」の案内板

かつてここには、銭湯があった。写真を見ると、大きな煙突を備えた立派な建物がある。湯気が立ち込め、地元の人たちの憩いの場だったのだろう。現在では、バイクの販売店となっていて、当時の面影は全く感じられない。

1948年2月撮影の「連雀湯」外観
現在の連雀湯跡

この連雀湯には、近所に住んでいた太宰治がよく通っていたという。太宰の「十二月八日」という作品に、この銭湯が登場する。舞台は、太平洋戦争が開戦した1941年12月8日。太宰の妻を思わせる主人公が、生後6か月の娘の園子を連れて連雀湯に入りに来るシーンがある。

ひとりで夕飯をたべて、それから園子をおんぶして銭湯に行った。ああ、園子をお湯にいれるのが、私の生活で一ばん一ばん楽しい時だ。園子は、お湯が好きで、お湯にいれると、とてもおとなしい。お湯の中では、手足をちぢこめ、抱いている私の顔を、じっと見上げている。ちょっと、不安なような気もするのだろう。よその人も、ご自分の赤ちゃんが可愛くて可愛くて、たまらない様子で、お湯にいれる時は、みんなめいめいの赤ちゃんに頬ずりしている。園子のおなかは、ぶんまわしで画いたようにまんまるで、ゴム鞠のように白く柔く、この中に小さい胃だの腸だのが、本当にちゃんとそなわっているのかしらと不思議な気さえする。そしてそのおなかの真ん中より少し下に梅の花の様なおへそが附いている。足といい、手といい、その美しいこと、可愛いこと、どうしても夢中になってしまう。どんな着物を着せようが、裸身の可愛さには及ばない。お湯からあげて着物を着せる時には、とても惜しい気がする。もっと裸身を抱いていたい。

太宰治『十二月八日』より

日本が太平洋戦争に突入したその日の夜、ひとりの主婦が、三鷹の町はずれの銭湯で、娘を愛おしく思う姿が胸を打つ。園子は、ちょうど私の息子と同年齢だ。

息子もお湯に入れると不安そうな顔で手足をちぢこめる。ぷっくりとした足も手もお腹も、可愛らしくて頬ずりしたくなる。

開戦当時、検閲も厳しくなっていたと聞くが、太宰は軽やかに筆を進める。

銭湯へ行く時には、道も明るかったのに、帰る時には、もう真っ暗だった。燈火管制なのだ。もうこれは、演習でないのだ。心の異様に引きしまるのを覚える。でも、これは少し暗すぎるのではあるまいか。こんな暗い道、今まで歩いた事がない。一歩一歩、さぐるようにして進んだけれど、道は遠いのだし、途方に暮れた。あの独活の畑から杉林にさしかかるところ、それこそ真の闇で物凄かった。女学校四年生の時、野沢温泉から木島まで吹雪の中をスキイで突破した時のおそろしさを、ふいと思い出した。あの時のリュックサックの代りに、いまは背中に園子が眠っている。園子は何も知らずに眠っている。

太宰治『十二月八日』より

「こんな暗い道、今まで歩いた事がない」という言葉に、時代の先行きの不透明感が暗示されている。我が身を守るだけでも大変なのに、これからは、幼子を抱えて戦時下を生きていかなければならない。

娘は、何も知らずに背中で眠っている。この子の存在が、大切で愛おしいほど、真っ暗な未来へ歩みを進めることへの不安が募る。

作中では、そこへふらっと、太宰と思しき夫が現れる。

背後から、我が大君に召されえたあるう、と実に調子のはずれた歌をうたいながら、乱暴な足どりで歩いて来る男がある。ゴホンゴホンと二つ、特徴のある咳をしたので、私には、はっきりわかった。
「園子が難儀していますよ。」
と私が言ったら、「なあんだ。」と大きな声で言って、「お前たちには、信仰が無いから、こんな夜道にも難儀するのだ。僕には、信仰があるから、夜道もなお白昼の如しだね。ついて来い。」
と、どんどん先に立って歩きました。
どこまで正気なのか、本当に、呆れた主人であります。

太宰治『十二月八日』より

暗闇に、ふと小さな灯りがともったような温もりを感じる。太宰は、どんなに苦しい局面でも、ユーモアを忘れない男だった。「呆れた主人であります」という言葉に張り詰めていた気持ちが少し緩んだことを感じさせる。

12月8日は、国が戦争という非常事態に突入した最初の日である。三鷹の街角には、ある家族のささやかな幸せがあった。この一瞬を、太宰は切り取って作品に残した。

太宰が描いた1941年から80年。連雀湯のあった場所で、太宰がたしかにここにいたことを想像した。ふいに吹き抜けた北風に身体を震わせる。私もまた、腕に息子の温もりを感じながら、妻と家路を急いだ。

あれから5年が経った。世界は混迷を極める一方だ。「十二月八日」を読み返すと、あの暗い闇が、再び目前に迫っているように感じた。

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