公園のパフィン 1 「高原・きゃべつともうします」
うさぎの子、電車に乗る
みなさんは、渋谷というところに行ったことがありますか。
おかしな町です。名前のとおり、昔は谷だったのです。だから、まるで山の間にあるように坂道だらけです。
そこにぎっしりとお店やビルが建ち並んで、お祭りでもあるかのように毎日たくさんの人で混みあっています。にぎやかなところです。
みなさんは地下鉄を知っていますよね。地面の下を走る電車です。
ところが渋谷では、なにしろ谷底ですから、人々の頭の上を地下鉄が走っているのです。すごく変わっていると思いませんか。
さて、そのおかしな渋谷から西に向かって、ほんの短い距離を行ったり来たりする、かわいい電車が走っています。
名前を丼の頭線といいます。これもおかしな名前です。
わたしがおじいさんから
(本当のおじいさんではありません。わたしが勤めている学校の校長先生です。お年寄りではないのですが物知りなので、尊敬をこめてみんなにおじいさんと呼ばれているのです)
……聞いたところによると、その昔、この電車の通っているあたりは嵐が多く、りんごほどの大きさのひょうが降ってくることがあったので、人々は頭を守るために丼をかぶって歩いていたとか。
これって本当でしょうか。
うそっこだよ、と、うちに住んでいるたまさんは言います。
だって丼なんて落としたら簡単に割れちまう、ヘルメットをかぶればいいじゃないか。
そうかなあ、とわたしは言います。
たまさんはうさぎだから、昔の人々はヘルメットを持っていなかったことをきっと知らないのです。
でも、わたしはたまさんの意見を尊重して、そうかもしれないね、と言ってみます。
むやみに反対すると、たまさんが気分を悪くしてしまうかもしれませんから。
そうそう、わたしがうさぎのたまさんと会話できるわけをお話ししておきましょう。
わたしは動物語学校の先生なのです。動物が使っていることばを、人間の生徒さんに教えるお仕事をしています。
犬語や猫語は専門ではないので苦手ですが、うさぎ語は得意中の得意です。
まるで本物のうさぎのように、ぺらぺら話せるんですよ。
ある日。
それは太陽が本気でぎらぎら輝いて、それこそ丼でもかぶらなければ頭がこんがり焼けてしまいそうな、そんな八月のお昼でした。
わたしは渋谷の駅の、丼の頭線のホームで電車を待っていました。
お仕事に行く前に、あわただしく買い物をしてきたところなので、顔に汗がつぶつぶと浮いていました。
人々でごった返すホーム、ベンチの近くに、人々が濃くかたまっているようなところがあります。ざわざわとささやきも聞こえます。
わたしは気になってのぞいてみました。
うさぎがいました。
ぴんと耳と背すじを伸ばしてベンチの上に立つ姿は、なかなかりっぱに見えますが、桃色の鼻先をうごめかして不安げに周囲を見回すしぐさからすると、まだ子どものようです。
背中の黒い毛とおなかの白い毛に映える赤いハンカチを首にまいて、黄色の肩掛けかばんを提げています。
めずらしいな。とわたしは思いました。
うさぎが電車のホームにいるのもめずらしいけれど、子どもとなったら、なおさらです。
まわりの人々は少し遠巻きに見ながらも、話しかけようとはしません。
うさぎだよ、かわいいね、なんだろね、という小声が聞こえてきます。
うさぎの子は首をめぐらして線路や、頭上でぴかぴかする電光掲示板を見ています。
その様子が気になって、わたしは人々のあいだをすり抜けて近づきました。
「こんにちは」
ちょっと緊張しながらも、得意のうさぎ語であいさつしました。
くるっと耳がわたしのほうに向き、それから頭がこちらを向きました。
鼻がひくりと動き、小さな前歯がかちっと音をたてました。
「こんにちは!」
元気な声です。ほんのひとっ飛びで――二メートルも離れていたのですが――わたしの足もとにジャンプしてくると、うさぎの子はきらきらした目をみはって、わたしの顔を見上げました。
目のまわりの茶色い模様が、まるい瞳をいっそう大きく見せています。
「わあ、言葉がわかるんですね! よかった、ぼくすごく困っていたんだもの」
礼儀正しい言い方で、そのうえわたしの一番得意なアナウサギ系の言葉(うさぎ語とひとくちに言っても、いろいろあるのです)だったので、わたしは嬉しくなりました。
「何を困っていたんですか? 電車に乗ることですか?」
こくん、とうさぎはうなずきました。
わたしとうさぎが話しているのを見て、まわりの人も安心したのか、急にひとごみが渦巻いて乗降口に流れていきます。
足早な靴に蹴飛ばされないように、うさぎの子はわたしに身を寄せて、前足でわたしのひざにとん、とふれて、早口で語りかけました。
「あのね、ぼくね。これから電車にのって丼の頭公園に行くんです。でもね、電車ってひとつだけ走ってるんだと思ったら、ふたつあるでしょう。どっちに乗ったら、いいんでしょう? まちがったら、違うところに行っちゃいますか?」
大丈夫ですよ、とわたしは保証しました。
ホームのどちら側にのっても、かならず丼の頭公園駅に着きますからね。ただし、急行に乗ったら通り過ぎてしまう。各駅停車に乗らないと。
「カクエキテーシャっていうの、知りませんでした。今日はぼく、はじめて電車にのるんです。駅も電車もこんなに大きくて、こんなに人がいっぱいいて。びっくりしたなあ」
首をふりふり、感心したように言う様子があどけなくて、わたしはすっかりこの子がすきになってしまいました。
「こちらのホームに各駅停車が来るから、いっしょに乗りましょうね。丼の頭公園まで送ってあげるから、心配しないでいいですよ」
わあ、とうさぎは叫んで、鼻でつんつんとわたしの足をつつく動作をしました。これは、うさぎのことばで「すき」ってことなのです。
身を横にかがめて、うさぎの子としっかり手をつないで、茶色い瞳にうなずきかけながら、わたしはカクエキテーシャの乗車口に向かいました。
「ぼく知ってる、うさぎ専用の席があるのでしょう」
軽くスキップしながら、うさぎの子はそう言います。電車に乗るのが嬉しくてたまらないようです。
「え? そんな席があるとは、知らなかったなあ」
わたしはすこしくだけた口調で言ってみます。うさぎ語にも、敬語とふつうのしゃべり方があるのです。
うさぎはわたしの手を引っぱるようにして奥の席に向かいました。
「これ。これって“うさぎ専用”ってことなのでしょう」
耳で指しているのは優先席です。座席やその上の窓には、双葉のような模様の丸いマークが記されています。
じっと見つめたら、たしかにそれはうさぎの耳に見えてきました。
「違うよ。これはね、座席の絵なんですよ。お年寄りが座る、優先席ってことですよ」
ええ、と驚き、しょぼんと耳を垂れたうさぎを見て、優先席にいるおばあさんが、ほほっと上品に笑いました。
「あらあら……うさぎちゃんは、このお席がよかったのね。いいですよ、私のおひざに、どうぞお座りなさいな」
着物のひざをぽんと叩いて、白い手をうさぎに差し伸べます。
人間語でもその意味はすぐにわかったのでしょう、うさぎの子はほんのり耳の中を赤くしてわたしを見上げましたが、やがて決心したように、ぴょん、とおばあさんのひざに飛び乗りました。
「まあまあ。ふわふわしてきれいなうさぎちゃんだこと。電車に乗るなんて、おりこうなのねえ」
背中をやさしくなでられて、照れながらも目を細めているうさぎの子を見ながら、わたしは微笑んで、つり革につかまったままがたん、がたん、と電車に揺られていました。
「ちょっぴり恥ずかしかったです。でも、おばあさん優しくて、いい匂いだったなあ」
そう言いながらわたしと手をつないで、うさぎの子は丼の頭公園駅で電車をおります。
おばあさんにもらった卵ボーロをかりかりかじりながら。
さてわたしは、この子にお話を聞かなければなりません。公園まで送るのはいいけれど、それからどうするのでしょう。とても心配です。
明るく悲しくさみしい話
わたしたちはホームのベンチに腰かけました。
小さな駅をかかえるように桜の大木が立ち並び、ベンチの上には青葉がたっぷり屋根のように差しかけられています。
「ねえ、きみ……。名前は、なんというのですか」
わたしは聞いてみました。
即座に軽やかな声が返ってきます。
「きゃべつ!」
わたしは眉根を寄せて考えこみました。きゃべつ。キャベツ。それは名前ではなく、うさぎの食べ物なのでは?
「名字だってあるんですよう。高原・きゃべつ!」
わたしはますます悩みました。
それは本当に名前なのでしょうか。
黙ってしまったわたしを見て、うさぎはちょっと首をかしげて早口に言いました。
「あのね、それ、ぼくが赤ん坊のとき入っていた箱に書いてあったんです。高原・きゃべつ。だから名前なんでしょう?」
もしかしたら違うように思いますよ、と、わたしは小さな声で言いました。
「ぼくね、小さいときにそう書いた箱に入って、川を流れていたんですって。それをおにいさんが、あ、それって人間のおにいさんなんです。
ええと、見つけて、拾って、兄弟にしてくれたんです。でもね、おにいさんの家、ひっこして、ぼく他のおうちにもらわれて、でも、そこは赤ちゃんもいて、おねえさんはぜんそくで……」
うさぎの子(きゃべつ、とは言いたくありません)の声がどんどん細くなるので、わたしは暑いのに背中が少し寒くなりました。
明るくしゃべっているけれど、どうにもかなしい、さみしいお話に聞こえてしまったのです。
「その家のおかあさんもおとうさんも困っているでしょう。だからぼく、だいじょうぶですよ、って言ったんです」
うさぎの子はうつむいて、肩掛けかばんをそっと前足でさわりました。何が入っているのでしょう。
「ぼくね、よそで暮らすからだいじょうぶです、って言ったんです」
わたしはぎこちなく首を回して、小さな頭を見下ろしました。
「そこのおうちの人は、うさぎ語がわかったの」
力なく首をふるうさぎの毛は、先ほどよりぺたんと湿って平たくなっています。
「わからないから、みんなのおひざにさわって、さようなら、ってあいさつしました。おねえさんはひどく咳してぼくを押しのけたし、赤ちゃんはすごく泣いたけれど」
わたしは胸がぐっとつまってしまいます。
「それで、このかばん……一番目の家のおとうさんが作ってくれたんです、お年玉にもらった百円玉ふたつと、大切なもの全部いれて、二番目の家のおかあさんがくれたハンカチをまいて。ぼく、電車に乗って旅をしようって」
わたしのほうも、汗だか涙だかで顔全体がぺたんとしてきました。
「ね、丼の頭公園って、いいところなんでしょう? ぼく習ったんです。最初のおうち、おとなりの家にもうさぎがいたんですよ。年上のかしこいうさぎで、いろいろなこと教えてくれました。電車のことも、公園のことも。だからね、ぼく、公園におへやを見つけようと思うんです。いいアイデアでしょう?」
わたしはもう何だかせつなくて、うさぎ語で上手にこたえることができませんでした。
せきばらいして、考えて、ようやくわたしは言います。
「ねえ、きみ……。公園でなくて、うちに来て暮らす気はないかい? うちにはたまさんという大きなうさぎがいるけれど、きっと仲良くできると思うよ」
うさぎの子は、すばやく軽やかに首を振ります。
「ううん、ぼく、公園で暮らそうと決めて出てきたんだもの」
細い銀のひげをふるわせます。
「いつか、最初のおうちのおにいさんや、おとなりのかしこいうさぎがやってきて、やあ、また会えたね! って言うかもしれないでしょう」
まっすぐ見上げるうさぎの子に、わたしは何も言えません。
うれしい再会を信じているその姿に。
だからこそ、不安を乗り越えて旅に出ることができた姿に。
「だけどきみ…」かすれた声がようよう出ます。
「公園で、お外で暮らしていくってきっと大変ですよ。ごはんとか、眠るところとか、大丈夫かなあ」
長い耳が少ししゅん、としおれて、それからまた、ぴん、と立ちました。うさぎの気持ちって、言葉をぜんぜん知らなかったとしても、けっこうわかりやすいものです。
「大丈夫! だってぼく、ちゃんと作戦を立てたんですよ」
肩掛けかばんをさぐって、うさぎの子はくるくる丸まった紙を取り出しました。蝶の羽みたいに薄い青色のびんせんです。
「これね、最初の家のおかあさんにもらったんです。かじって遊べるようにって。でもきれいな紙でしょう? だいじなことを書くために、とっておいたんですよ」
わたしはその紙片をそっと持って、うさぎの書きことば(爪で押したり、引いたりして書きつけるのです)を読みました。
『さくせん 1 こうえん おきい きの おうち きのは きのみ たべる 2 てかみ かく みんな くる』
こんなに小さなうさぎが書いたにしては、じょうずな字と文章です。わたしは何度もほめました。
うさぎは照れて耳をぽっと赤くしました。
「ぼく、あんまり字の練習できなかったんです。おとなりのうさぎに、ときどき教えてもらったんですけど、そんなに……よく、書けてますか?」
とても上手だし、もっと習いたければわたしは動物語の先生だから、いつだって教えてあげますよ。と、わたしは保証しました。
「よかったあ。じゃあ……」
うさぎは前足で二、三回、わたしの腕をきゅっと押しました。これも、すきっていうサインなのです。
「今日っきりじゃないんですね? おともだちに、なってくれるんですね?」
当たり前だよ、わたしは言って、うさぎの子のふかふかした額をさらりと優しくなでました。
もちろんこれは、わたしの、すきっていうサインなのです。
つづく
これからのおはなし
2 カンリキョクはいじわるです
3 さわがしいりすと 美人のハクビシン
4 麦のおかゆはよく効きます
5 ぺコリーナ・ポコリーノ
6 にぎやかな水生園
7 ふかふかの動物園
8 知恵と勇気と 滑走路
9 ダム事件
10 おじさんは踊り わたしはひらめく
11 バールとビー玉
12 がんばれがんばれ、つるかめつるかめ
13 そして、水は
