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なぜ物語は「意味」ではなく「実行」なのかーー物語実行論①

※ この第1回は、シリーズ予告編
物語はなぜ『意味』だけではなく『構造』として読めるのか——物語実行論への招待
を受けた本編です。

👉 初めての方は、まずこちらから読むと全体像がつかみやすくなります。



■物語を「意味」だけの解釈から「実行」する対象(オブジェクト)へ

「意味」を読み取る

物語は「意味を読むもの」だと思われています。
言うまでもなく物語は、言葉でかたち作られていますから、意味を読み取るのは当たり前です。
一般に行われている国語教育や読解は、この「意味」の把握を前提としているでしょう。

あらすじを把握したり、テーマを掴んだりする。
登場人物の心情を理解する。
つまり、「何が書いてあるのか」を読んで考える読み方をします。
「何が」書いてあるのかを読み取ろうとすれば、当然、読み取りの内容に優劣が生じます。優劣は「正しい」ということが基準になります。

「正しい」とは何か。
求められるのは、【作者の言いたいこと】です。
これが最終的に理解できるかどうかで、読みの優劣は決まります。
「正しい意味」がしっかりととらえられていること、それは「何が書いてあるか」という問いのもとに、常に「正しい意味」を回収しようとする行いになっているのです。
高度な批評さえ、作者が「何を描こうとしたのか」を読み取ろうとするのは、
そこでも「正しい意味」が前提になっているからです。
書きたいことがわかるとかわからないとか、共感したとかしないとか、「意味」が前提になっているのです。
「意味」が感想すら支配していると言ってよいでしょう。

しかしここで一つ、ささやかながら奇妙な事実があります。


同じ物語を読んでいるのに、
人によって見えているものがまったく違っているという事実です。

ある人には「勇気の物語」に見え、
別の人には「裏切りの物語」に見える。

もし、物語が単なる「意味の集合」なら、
ここまで極端な差は生まれないはずです。


物語は前から読まれる

同じ物語でも、「勇気」になったり「裏切り」になったりするのは、
物語の出来事を、どの順序で接続し、
どの分岐を中心に組み立てたかが異なるからです。

「勇気」と「裏切り」といった極端な差は、
同じ物語であっても、読み進める時間の中で「意味」が生成され、
接続させる順序によって違うものになっていったということです。
つまり、「意味」は、決して固定された塊のようなものではなく、
接続の順序によって生成が変わるのです。

物語を結末から読むと、途中に描かれる出来事は「伏線」に変わります。
本来「偶然」だったはずの出来事が、
結末へ向かうための「必然」として再配置されるからです。
結末のために、必要不可欠な出来事として、解釈されるのです。
すると、すべての出来事は、結末へ向かうために配置されていたかのように見え始めます。
そういう読み方をして、「意味」を得ているのです。

しかし、実際に物語を読むとき、特に初めて読むときは、
読者は未来を知りません。

ネタバレを嫌うのは、結末がわかってしまうからだけではないでしょう。
結末がわかってしまうことで、本来「偶然」だったはずの出来事を
「必然」に再配置してしまうことが面白くないからです。
それは、未来からの視点であり、
「偶然」を偶発的に体験する面白さを失うということに他なりません。

次に何が起こるかも、どちらへ分岐するかもわからない。

当然、それが何になるのか、まったくわからないのです。

これは、現実に生きる私たち人間の日常生活そのものではないでしょうか。
昨日の出来事が今日を作ると言いますが、
今日を作るために昨日の出来事があったかというと、どうでしょうか。

出来事は「偶然」に生じます。

たまたま赤信号になってしまい、待たされたのではないでしょうか。
たまたま買い物でレジで並ぶことになったのではないでしょうか。

レジに並んだことが、今日のある出来事への必然であったというでしょうか。そう言えるのは、ある出来事の時点から、因果関係を数えたときです。


物語が人生に例えられ、人生が物語に例えられる。

それは、この「偶然」を偶然に味わっているからです。生の完結する最期から振り返れば、「あれは必要だった」と感じることはあるでしょう。
しかしそれは、出来事を生きている最中に存在していた意味としてではなく、後から接続された意味として回収しているだけなのです。

つまり、物語には、まさにこの日常生活で実感する時間と同質の時間が流れているのです。そうであれば、結末から読んで意味を得るのではなく、前から読んで意味を得るのは、日常感覚と同じであると言えるでしょう。

したがって物語を読むとは本来、その日常感覚を活かすことだと言えるでしょう。だから、「意味」だけを得ることではなかったのです。

結末から理解して出来事を「必然」の意味に転じて回収する行為ではなく、
一行ずつ前へ進みながら、出来事を「偶然」として受け止めていく行為なのです。
言い換えれば、

物語に備わる構造を、前から一つずつ実行していく

ということなのです。

ですので、読者として、物語を読みたいように自由に組み替えたり、物語の時間性を無視したりすることは、本来の読書経験から離れてしまいます。組み換えてしまうからです。

そうではなく、物語に従って、読者は自分を差し出すようにして構造を実行していくのです。自分を物語に準じて組み換えるのです。
誤解さえなければ、物語に遅れる読者「私」と言ってもよいでしょう。
物語に遅れる読み方、これこそが物語の構造を活かすことになるのです。


物語実行論は、この「前へ進みながら構造を実行する」という「遅れる」読書を踏まえています。一行ずつの展開に付随する順次進行を実現するのです。



「俯瞰」は解釈を生み、「順次実行」は体験を生む

順次進行を実現せず、後ろ(結末)から構造を捉えることは確かにできるでしょう。違いはこうです。

  • 後ろ(結末)から見る: 全てが必然に見える「静止した構造」。視点は俯瞰的に全体を見渡せるものになります。これは「意味」の回収に適しています。

  • 前(一行目)から読む: 次に何が起こるか分からない「動的な構造」。これこそが、物語がプログラムとして実行されている状態です。このときの視点は全体を見渡せていません。そのつどそのつどの出来事を見るだけですから、出来事を体験することになります。


偶然の出来事を必然に転化するのは、「後付けの理屈」に似ています。
こうなったのは、あれがあったからと言えるようになるからです。
それは結末のために、結末に先立ってあったほとんどの出来事を整理し直すことです。言ってしまえば、「意味」のあるように再配置するということであって、時間を再編して、始まりと終わりの経過を静止させます。ですので、捉えられるのは「静止した構造」になります。

一方で、前から一つずつ読んでいく順次進行は、偶然の出来事を偶然として受け止め、そのとき見出し得る条件や分岐を見出します。
ないのは、それがどういう「意味」かという判断です。
条件や分岐が一体この先で何を導くのか。一切わからないままに、次の展開についていきます。静止しないのです。いわば動的と言えるでしょう。プログラムが上から順に実行されていくのと同じです。つまり、「動的な構造」が把握されるのです。


こうして対比的に考えてみると、次のように言えるようになります。

「意味」を回収する読解が物語を「知識」に変えるのだとすれば、
「動的な構造」を把握する読解は、物語それ自体を、私たちの思考を動かす「OS」へと変えるのです。先ほど自分を組み換えるといった理由です。
OSの上で思考が動くように、物語の構造上で私たちの思考が進行するということです。物語が私たちの思考を委ねる基盤そのものになるのです。

そう言えるのであれば、さらにこうも言えるでしょう。
私たちの思考を物語に委ねるということは、思考を実行することと物語の構造を順次進行で捉えていくこととは同じだということです。

先を知ることのない状態を、進んでいくこと、
これは日常であり、人生であり、しかし、物語でもある。

ここに至って物語を読むということは、物語を生きることと言ってもよいでしょう。
ただし、物語はどこまでも物語そのものであって、私たちの思考そのものにはなりません。私たちは、物語を生きながら、私たち自身の言葉(論理)で、物語を語ることになるのです。
まさに物語を実行するのです。



■残っている問題

さらに一つの問題が残っています。

もし物語が「意味」ではなく、「構造の実行」によって成立しているのだとすれば、

これまでの文学理論は、物語をどのように捉えてきたのでしょうか。

特に、「作者の死」を唱え、テクストを読者へ解放したロラン・バルトは、
この問題にどこまで迫っていたのでしょうか。

次回第2回は、バルトのテクスト論を通して、
何を解放し、なお何を残していたのかを考えます。

👉 物語実行論② 
物語についてロラン・バルトは何を解放し、何を残したのか——「作者の死」を超える物語実行論②




※ この物語実行論シリーズ全体の問題設定や目的は、
予告編「物語はなぜ『意味』だけではなく『構造』として読めるのか——物語実行論への招待
で整理しています。


物語実行論シリーズ本編
👉 第1回(本記事)
なぜ物語は『意味』ではなく『実行』なのか——物語実行論①

👉 第2回
物語についてロラン・バルトは何を解放し、何を残したのか——「作者の死」を超える物語実行論②

👉 第3回
物語はコードとして実行される——ロラン・バルトとは別の仕方で|物語実行論③

👉 第4回
物語は「意味」ではなく、OSとしての思考環境である|物語実行論④


シリーズ全体をまとめて読みたい方へ

本記事は「物語実行論」シリーズの第一回です。

シリーズ全体の問題設定・理論構造・各回一覧は、こちらの記事にまとめています。

👉 「物語実行論とは何か──『意味』から『実行』へ変わる読解論




■物語構造を実行する例

ここまで見てきたことを踏まえると、
物語とは、単なる「意味の容器」ではなく、
読者が前へ進みながら実行する構造
として見えてきます。

では実際に、物語の構造はどのようになっているのでしょうか。
語られる出来事にはどのような条件が備わり、分岐するのでしょうか。
そして、それは、どのように実行すべきなのか。


🔗構造的読解として「羅生門」

「羅生門」は、テーマや倫理観が深く読み取られた作品です。
それを物語構造に視点を当てて読むと、どうなるのか。
👉  詳細は、全4回のマガジンで書いています。
まずはガイド「高校国語で差がつく!『羅生門』を深く読むための実践読解法|マガジン案内」をお読みください。


👉 直接マガジンに行きたい方はこちら
芥川龍之介『羅生門』の読解・考察・教材研究・リスキリング

これほどに視点が明確になり、「羅生門」本文だけで決着する作品は、優れて稀でしょう。


🔗構造的読解を踏まえて、自分の言葉で物語を実行した「走れメロス」

「羅生門」マガジンは構造的読解という点を中心にしていますが、その技法から実行に軸足を移しているのが、「走れメロス」マガジンです。

物語実行論の具体例にもなっています。
👉 詳細は、全10回のマガジンになります。
まずは、ガイド
「走れメロス」の読解|「友情の物語」ではない構造的な読み方
をご覧ください。



👉 マガジン全10回の各回のガイドはこちらです。
保存版】「走れメロス」をプログラミング的に読み解く|物語の構造・条件分岐・実行の仕組み:マガジン案内


👉 直接マガジンに行きたい方はこちら
太宰治「走れメロス」の仕組みを分析|物語を読み解く物語実行論


🔗 その他の作品にも応用した記事

どこから読んでもよいのですが、①から順に読むと、理解が深まります。

👉 ①構造的読解の解説
読めているのに分からないのはなぜか——国語読解を変える「構造」という視点

👉 ②物語実行論解説(図解入り)
物語実行論とは何か|文学を「右クリック」して読む方法


👉 ③全体像
文学xICT 案内図】文学を「右クリック」する|物語実行論へようこそ




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