猪苗代風土記 - 町の名の由来に感動する
猪苗代の町へ初めてやってきたきっかけは、諸橋近代美術館へ行ってみたかったからです。
シュルレアリスムに特化したコレクションを所蔵する美術館、中でもメインのダリの作品コレクション数には眼を瞠るものがあります。
青春18きっぷか、秋の乗り放題きっぷか。
どちらかで猪苗代駅までやってきて東京に日帰りしたから、その時はゆっくり町を見ることはできませんでした。(移動時間が長い)
けれども時を経て、企画展を目当てに諸橋近代美術館へ再び。
宿泊したゲストハウスの近く、民家の庭先で鶏たちが自由気ままに過ごしていたのが印象深い。

夏の訪問だったので、猪苗代湖で越冬する白鳥は見られなかったけれど。
磐梯山を歩くのと、五色沼あたりを散策してみようと、猪苗代に数日間滞在しました。ついでに猪苗代湖周辺のマップを眺めていて、「清水川の梅花藻」と表示されているのが気になって、行ってみることに。
本当にただの思いつきでした。宿でお借りした自転車で向かったことも。

この地に住んで、互いに溶け合うような空と湖を眺めながら過ごすありきたりな日常は、一体どのようなものなのでしょうね。
目を見張るほどの真っ平らな大地
宿から湖沿いを目指す道すがら、線路の上をパスする高架を上った時、それまでもずっと感じていたことに改めて感動しました。
大地があまりにも広々としていてフラットすぎて。

私の故郷の町は細長い谷の地形。棚田の景観です。
奈良盆地ももちろん広々とはしていても、いろんな建物が建ち、道路も入り組み、最近はより一層開発が進んでいます。
だからこそ、この猪苗代の真っ平な大地には心底驚きました。

この後、猪苗代湖の「野口英世の里郵便局」に立ち寄ったり、スワンボートを横目に走り、観光船のりばの辺りで休憩しました。
宿でおにぎりを握ってきましたから。
(ゲストハウスだったので、キッチンを使わせてもらえた)

この辺り一帯は『磐梯山ジオパーク』に指定されています。湖側からその地形を一望できる観光船のりばの近くに設置された立派な解説板で、この地形の成り立ちが解説されていました。
猪苗代盆地の誕生
猪苗代湖と盆地の東側に位置し南北に真っ直ぐ伸びる川桁山地は、磐梯山とは違って断層の活動により大地と大地がぶつかり合い、隆起してできました。そして猪苗代湖の西側には背炙山の断層。
これらの断層が隆起し、その間にある大地が逆に沈降し、均された盆地が形成したそうです。
猪苗代湖の成り立ち
猪苗代湖の南にある猪苗代湖は日本で4番目に大きな湖。
その成り立ちもまたドラマチックです。
猪苗代湖にはいくつかの川からの流入があり、このうち北から流れ込む長瀬川が火山性の酸性川のため、猪苗代湖の水質も酸性寄りに維持されています。
けれども元は猪苗代湖の西方に位置する会津へと流れる川。
これが約4万年前の磐梯山の噴火に起因する「岩なだれ」によって生じた堆積物により、磐梯山南西の山麓、そして猪苗代湖の北西には「流れ山」地形が形成されました。
それによって会津盆地へと流れていた川が堰き止められます。
結果、誕生したのが猪苗代湖、というわけです。
【参考資料】猪苗代湖畔の立て看板
『猪苗代湖の誕生と成長〜磐梯山(火山)と川桁山地(断層)との関係〜』

予定外の猪苗代湖一周(自転車で巡ることを「イナイチ」と言う)をしたことで、猪苗代湖の魅力に気づいてしまいました。
やっぱり現地に赴くに限る。
地理的要素をダイナミックに俯瞰する
基本的には公共交通でアクセス可能な場所を、フィールド調査の対象としています。この時も猪苗代までは電車で。
その猪苗代駅にも、この土地の由来が展示されていました。
(初めての訪問時は全く目に入っていなかった)
まずこちら。猪苗代周辺の立体模型。

めちゃくちゃ分かりやすい!
地図好き、模型好きの心を両方向からぶるぶると揺さぶられて、めちゃくちゃワクワクしました。
猪苗代湖の深さはわからないけれど、猪苗代(湖の北側)の真っ平らさが一目瞭然です。そして湖の北西、磐梯山の噴火により形成された流れ山地形。会津方面への流れを堰き止め、猪苗代湖の誕生に一役買った地形も、なるほどなあと感動を覚えます。
ついでに会津方面の盆地も興味をそそられますね。
磐梯山やその北側のこれまた大きな湖たちにも。
実は天候や時間の都合上、磐梯山も途中の赤埴山を経由したのち途中で引き返したし、五色沼も歩いてないのですよね。
十日、せめて一週間くらいは、もう一度滞在したい。
自分の足で歩いてモロに体感してみないと気が済まないタチなのです。
この地図模型を見て、かなりテンション上がってしまいました。
私の地元の地形の立体模型も欲しいな。3Dプリンターか。
猪苗代の町と駅名の由来
それと「猪苗代駅の駅名由来」についても掲示されておりました。
「新編会津風土記」「猪苗代の人物と企業」「国鉄全駅ルーツ辞典」を参考資料として、記述されたものです。
猪苗代駅の歴史
1899年(明治32)7月15日 岩越鉄道が開通し、猪苗代駅もこの時に開業
1906年(明治39)11月1日 旧国鉄の管轄として、磐越西線の駅となる
開業当時の地名がそのまま駅名になったものの、その「猪苗代」という地名の由来についての説が非常に興味深い。
「猪苗代」という地名は、アイヌ語に由来するともいわれていますが、定説はありません。
まずこのアイヌとの関わりについて。
これは歴史的に会津藩と北海道の関わりがあることに起因するのでしょうか。その詳細については書かれていないのですが、「一説にはこのような話がある」として紹介されていました。
昔々、磐梯山と猪苗代湖に挟まれたこの地は荒地が多く、人々は開墾に難渋していました。ところが磐椅神社の霊験によって、野生の猪がこの地を踏み付けて苗代田を作りあげました。人々は、その苗代に種籾を蒔き、稲作を始めたことから「猪苗代」という名が起こったといわれています。

初めにこの謂れを読んだ時は「へー! 面白いな」とあっさりした感想でした。思索の域が浅いというか。
「猪苗代」って興味深い地名だったので、ナルホドなぁ〜と満足したし、この土地にあらためて魅力を感じるキッカケにはなりました。けれど、その時はアイヌとの繋がりについては深く考えなかったのです。
関連する知識が足りていないと、そうなるものです。仕方なし。
それに「アイヌ語に由来するとも……」と記述されていたことでピンと来なかったのかも知れません。「イナワシロ」って、アイヌ語っぽさを感じなかったですし。

土地の成り立ちと人間の暮らし、自然界への崇敬
この一帯が火山性の土地であることを鑑みれば、酸性度により草木が生い茂りにくかったでしょう。根の張らない大地は固い。豊富なミネラルに恵まれながら、作物が育つよう、その土を耕すのは大変な所業です。
けれど土を掘り堀りするイノシシの耕運力って、めちゃくちゃパワフルで凄いのですよね。農業的な被害もあるし、イノシシに自分の土地を掘り返されて「ムキー!」と怒っている方も多いでしょうけれど。
実際にはこの土地を苦労して耕し、見渡す限りの水田に仕上げたのは、ここに定住を決めたかつての人間ですよね。時にイノシシもホリホリしつつ。
それを込みで、あらためて「アイヌっぽさ」を感じるところがあります。
つまりアイヌのユーカラ(Yukar)を踏襲しているように感じるのです。
ユーカラ(Yukar)
アイヌ民族に口承されてきた英雄叙事詩の総称
特に少年英雄を主人公として、異民族との戦闘や冒険を経て成長する物語。アイヌの神々や自然との共生、知恵、ルールや倫理を伝える大切な文学。
文学とはその民族の精神性が表れるもの。
だから「アイヌ語に由来する」と言うよりは、「アイヌの精神性(感性)に由来する」と解釈すれば、納得のいくところがあります。
北海道にはイノシシが生息しておらず、故にアイヌ語でイノシシを表現する言葉も存在しないそうです。
アイヌのユーカラや神話において、土地を耕やしたり開拓する動物は、ヒグマ(キムンカムイ)やキツネ(チロンヌプ)、そして時に「神格化された人間」(アイヌラックル)。
猪苗代周辺にもイノシシは居るでしょう。そしてツキノワグマの生息域でもある。人間社会とは相容れない、けれどきちんと距離をとり、バウンダリーを築けば互いに害さずに済む。
そういった自然界の存在との共存を考える場である点でも、アイヌの精神に学びを得てきた歴史があるように思えます。
その上で、「あんなにも固い荒地だった土地をよくぞ耕したものだ。それはイノシシが乗り移ったが如く、神がかった所業だった」と、強靭な開墾者(人間)を英雄的に称える背景があったのではないでしょうか。
今ここにあるこの環境は、先人たちが築き上げた遺産でもあるのだ、と。

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