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磐梯山から眺める猪苗代の天と地

 以前、猪苗代湖の周囲を自転車で駆け巡った話は散々書いたけれど、その翌日には磐梯山方面へも足を伸ばした。それが二年前の今日。ただし、あの時は時間の都合で磐梯山の山頂は踏んでいない。

 元々サミットプッシュにはそれほど興味がなく、いつもとは違った角度から暮らしの場を振り返ってみることに馴染みを覚えたりする。それはつまり広く見渡すことのできる「うてな」に登るような感覚なのかもしれない。

 アドベンチャーな山も面白いけれど、最近はもっぱら、ある土地の日常の延長という視点で山へ至る地形を体感し、その土地特有の構造を眺めてみるのが面白いと思っている。

風が強くガスっ気の多い日だった

幾度も振り返り感心する 

 この時は数日間を猪苗代で過ごし、その最終日に磐梯山へ向かった。
 磐梯山へ入山する登山口はいくつかあるが、シンプルなアクセスの猪苗代登山口から。道中何度も振り返ってしまうのは、やっぱり猪苗代の真っ平らな大地を一望に目の当たりにできるからだと思う。

スキー場となる冬の間も圧巻の光景だろう

 山と湖が近いにも関わらず、その間に広い平地を有するのが不思議と言うか、神がかっているようにさえ感じられるのは、平地がほとんどない谷の街で生まれ育ったからかも知れない。

山から平地、そして湖までがシームレス

 中にいる時はコンパクトな街だと思っていたけれど、こうして遠目に見るとかなり密集していて広い。これからも広がっていきそうな気配もする。
 それを圧倒的に凌駕する農地・緑地がまだ残されていることにはホッとする。けれど「利便性」という触れ込みで削り取れるだけ削られてしまった私の故郷からすれば、なんとしても死守することを祈るばかりである。

夏の雲を見送る一期一会

 この日何度も振り返りながら歩いたのは、風が強く、雲の形がさまざまに移り変わっていくのが面白かったせいでもある。ことあるごとにスマートフォンのレンズをかざす。

下手こいて指入る

 西から東へと吹く風に乗って雲が次々に姿形を変えて流れてゆく。
 それはまさしく一期一会で、ひと時も同じ姿をしていない。
 またいつかあの時の雲を構成していた水蒸気の粒と別の時間座標で出会うことがあるのかも知れない。けれど、それはきっと違う姿で別物として振る舞うに決まっている。

 だから何度も撮影ボタンを押してしまう。(本当はシャッターを切ると言いたい)

なんだか妙なものがこちらに手を振っているようにさえ錯覚してしまう

巨大だが視界に収まるというバランス

 そうしているうちに、別のものにも魅了されている自分に気づいた。
 前日にぐるっと一周を自転車で走った猪苗代湖が眼下に広がっており、知らずのうちにそれが画面に収まるように気遣っている。

 例えば京都から武奈ヶ岳など比良山系あたりの山を越えて琵琶湖が一望できる場所へ出たら、「デカいなあ」という感動が当然ある。猪苗代湖だって日本で四番目に大きな湖だから相当に大きい。

 だが、磐梯山から見下ろす猪苗代の光景にこれほど惹かれるのは、決して小さくはないのに見渡せるという感動なのだろう。数日間自分が過ごした町と自分が一日を通して必死でペダルを漕いだあの道筋が、一つの視野の中に、まるで額縁の中の絵のように収まるべくして収まっている。
 その絶妙な大きさと天地の対比。

 今振り返っても、あらためて不思議な場所だと思う。

もはや地上と空の境界も曖昧

二年前と今

 二、三年前は、いや昨年くらいまで、かなり無理して各地を巡っていたような気がする。今、見ておかねば動いておかねばという焦燥感に突き動かされているような、何かバグに見舞われて病的な状況に陥っているような。そんな自覚さえあったかも知れない。

 けれど今年の夏は奈良から出ていない。なかなかの土着っぷりである。
 (今は秋に向けての準備中)

 かけずり回っている間はなかなか落ち着いて書けないものだから、今はじっくり回想しながら描いている。そうやって少しずつ整理して、いつかまとまったものとしてカタチにしたい。

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