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止まったように見えた半年間で、戻ってきたもの


1月末、仕事を辞めた。

働くことに疲れていた。

そして、家族のこともあった。

「このままで大丈夫なのか」

という不安もあった。

仕事を辞めた時は、

「少し休もう。」

そう思っていた。

でも、現実はそんなに簡単ではなかった。



休もうとしていたのに、

頭の中はずっと動いていた。

家族のこと。

家のこと。

これからのこと。

何とかしなきゃ。

そんな気持ちで動き続けた。



役場へ相談した。

できるところへ連絡した。

いろんな方法を探した。

でも、状況は簡単には変わらなかった。

その時、初めて気づいた。

自分の力だけでは動かせないこともある。



その後、自分自身も限界になった。

溜まっていた怒りや疲れ。

整理できない感情。

そんなものが重なって、

足を骨折した。

入院して手術になった。



それまでの私は、

問題が起きたら解決する。

不安になったら動く。

そうやって進んできた。

でも、足が動かなくなった。

強制的に止まる時間ができた。



松葉杖でリハビリに通った。

家族の手続きもした。

動けないから何もしない、

ではなかった。

ただ、今までとは違う動き方だった。



そして、この頃から少しずつ、

自分の内側にあるものを見る

ということを始めた。

以前の私は、

怒っていても気づかない。

モヤモヤしていても、

「気のせいやろ」

「今はいいわ」

と、切ってしまっていた。

でも、消えていたわけではなかった。

ただ、そこに残っていた。

今年の3月に、こんな記事を書いた。

「怒りをなくせなかった私が、壊れないために始めたこと。― モヤモヤを感じる練習」

胸の奥にあるモヤモヤに気づく。

「怖い」

「ざわざわする」

「重い」

そんな感覚を、無理に消そうとせず、

「ここにあるな」

と感じてみる。

当時は、それだけでも練習だった。



6月、少しずつ歩けるようになった。

身体が動くようになると、

「じゃあ、次は何をしよう」

と考えたくなる。

でも、以前とは少し違っていた。

すぐに答えを決めなくてもいい。

そんな感覚が、少しずつ出てきた。



7月、京都のお寺へ3泊4日の座禅修行に行った。

そこで感じた。

ただ座る。

ただ呼吸する。

雑念が浮かんだら、

「あ、考えてるな」

と気づいて戻る。

また考える。

また戻る。

何かをなくそうとするのではなく、

今起きていることに気づく。

そんな時間だった。



座禅から帰ってきてからも、

少しずつ見え方が変わっていった。

「自分はこういう人間だ」

と決めてしまわなくてもいいんじゃないか。

そんなことを思うようになった。

今日の自分と、明日の自分は違う。

だから、過去の自分だけを見て、

「自分はこうだ」

と決めなくてもいい。

7月に、こんな日記を書いた。

「変わるから、固定しなくていい。」

私は毎日少しずつ変わる。

だから、

「私はこういう人間だ」

と決めなくてもいい。

今日の自分と出会い、

また明日の自分と出会えばいい。

そんなふうに思えた一日の記録です。



そして8月。

また、焦る日がある。

働いていないことが気になる。

この先どうするんだろう、と考える。

「何かしなくちゃ」

という気持ちも出てくる。

以前なら、

その焦りを消すために、

すぐ何かを始めていたと思う。

でも最近は、

「今、焦っているな。」

と気づくことがある。



そんな時に考えたのが、

「3歩進んで2歩下がる」

という言葉だった。

下がることは、

失敗や後退のように感じる。

でも、本当にそうなんだろうか。

8月3日に、こんな記事を書いた。

「3歩進んで2歩下がる」は、本当に後退なのだろうか。

人生は、一直線には進まない。

同じような不安や葛藤が、

形を変えながら何度も戻ってくる。

でも、以前と同じように焦っていても、

「また焦っているな」

と気づける自分がいる。

それだけでも、

少し景色が変わっているのかもしれない。



もちろん、

「螺旋だから、下がっても必ず成長している」

とは思っていない。

同じ失敗を繰り返すこともある。

ただ、

以前とは少し違うところがあるかもしれない。

そう思える時がある。



焦りがなくなったわけではない。

不安がなくなったわけでもない。

働いていないことへの不安もある。

これから何をするのかも、まだ分からない。

それでも、

「焦りをなくそう」

とするより、

「焦っている自分に気づく」

そんな時間が少し増えてきた。



そして今、

振り返ってみると、

1月末からの半年間は、

人生が止まっていた時間だったのだろうか。

たしかに、止まったものはあった。

仕事も止まった。

足も止まった。

予定どおりに進まないこともたくさんあった。

でも、

別のものは少しずつ戻ってきていた。



呼吸すること。

コーヒーを飲むこと。

部屋の空気を入れ替えること。

散歩すること。

お菓子を食べて、

「おいしいな」

と思うこと。

何もせず、暇でいること。



以前なら、

「こんなことしていて大丈夫かな」

と思っていた時間。

そこにも、少しずついられるようになった。

何かのために呼吸するのではなく、

ただ呼吸する。

何かを達成するために休むのではなく、

ただ休む。



大変だった出来事が、

必要だった出来事だったとは思わない。

苦しかったものは、苦しかった。

骨折したことも、

家族のことで悩んだことも、

仕事を辞めたことも、

「よかったことだった」

とは簡単には言えない。

でも、

その時間の中で、

自分の見え方が少し変わった。

それは確かにある。



1月末、仕事を辞めた時、

人生が止まったように感じていた。

でも今は、

少し違って見える。

止まっていたのではなく、

暮らし方を作り直している途中だったのかもしれない。

まだ、これから何をするのかは分からない。

また焦るかもしれない。

また答えを探すかもしれない。

3歩進んで、2歩下がるかもしれない。

でも、それでもいい。

その時はまた、

「あ、今こうなってるな」

と眺めてみればいい。



止まったように見えた半年間。

その中で、

なくなったものもあった。

でも、

戻ってきたものもあった。

呼吸すること。

味わうこと。

暇でいること。

自分の感覚に気づくこと。

そして、

「まだ分からない」

と言えること。

そんなものが、

少しずつ戻ってきた。



まだ途中。

たぶん、これからも

3歩進んで2歩下がる。

それでも、

前に進んでいるかどうかを急いで決めなくてもいい。

今日の自分を眺めて、

また明日の自分に会えばいい。

そんなふうに、

もう少しこの暮らしをやってみようと思っている。

あわせて読みたい

この半年間に書いた記事です。

「怒りをなくせなかった私が、壊れないために始めたこと。― モヤモヤを感じる練習」
怒りやモヤモヤを、なくそうとせず感じてみる練習について。

「変わるから、固定しなくていい。」
「自分はこういう人間だ」と決めなくてもいい、と思えた日の記録。

「3歩進んで2歩下がる」は、本当に後退なのだろうか。
焦りや不安が戻ってきても、以前とは少し違う自分がいるかもしれない、という話。

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