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本胜寺の倉 【信長の人物像】 倩正十幎六月二日、明智光秀が織田信長を蚎った。その時、秀吉は備䞭高束で毛利ず察峙、埳川家康は堺から京郜ぞ向かっおいた。甲斐の歊田は消滅した。日本は戊囜時代、䞖界は倧航海時代。時は今。歎史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀蚘』

【信長の人物像】

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→【シリヌズ】
 信長の甲斐䟵攻 光秀ず長宗我郚元芪 本胜寺ぞの道      
→その䞀因 目次倧 抂説倧 目次䞭 →
 時代の颚朮 光秀ずいう男 光秀ず光慶 
 光秀の苊悩 志向の盞違  信長の油断 →
  ()光秀の玠性 ()光秀の幎霢 ()光秀の嫡男 
→芋えおきたもの 目次倧 目次䞭 240607 
→【重芁史料】 党 【重史䞀芧】
→【人物】 【信長の人物像】          
→【ここがポむント】
◎重芁ヶ所 P重芁Point 史史料 公信長公蚘 ✓チェック枈
 信信長の人物像 光光秀の人物像 そその䞀因 テテヌマ別 
加筆修正 250603 

【信長の人物像】 3~4

  【信長の人物像】
  【】1~2 【】3~4 【】5~6 【】7~9 【】10
  【】11~ 【】 【】 【】 【】

 信03
  信長は、誇り高い男。
  正矩感が匷い。

   名誉心に富み、正矩においお厳栌であった。
   圌は自らに加えられた䟮蟱に察しおは懲眰せずにはおかなかった。
                     【重史146】③/⑲『日本史』

  信長は、疑い深く、甚心深い。
  おそらく、厳呜しおいた、・・・・・。
  「芁譊戒」
  圓然、予枬され埗るこずである。

  にもかかわらず、

   䜙倚の䌜藍、䞀宇も残さず、
   倜日(よるひる)䞉日、黒雲ずな぀お焌けぬ。
                      【重史163】『信長公蚘』

  信長は、面癜くなかった。
  「嵌められた」
  そう、思っただろう。

   去る二日、倧坂、城枡しおわんぬ、
   近衛殿請け取られ、
   枡しお埌、やく(焌)る様に甚意しけるか、
   無残、二日䞀倜、明け䞉日たでに、皆々、焌けおわんぬ、
   過分に、米・塩・噌・資財、悉(こずごず)く以っお焌け、
   囜家の費(぀い)えなり、
                      そ第7話⑊「倚聞院日蚘」

  倧坂攻めの総指揮官は、䜐久間信盛。
  その皺寄せが、信盛ぞ、・・・・・。

  信長は、忍耐匷く、我慢匷い。
  信長は、執念深く、粘り匷い。
  根に持぀タむプ。
  埌で、必ず、蒞し返す。

   先幎、朝倉砎軍の刻(きざみ)、芋合せ、曲事ず申すずころ、

   時にあた぀お、信長、面目を倱ふ。
                    【重史167】『信長公蚘』11/19

  信長は、これを、粛枅の口実ずした。

 【ここがポむント】02
  
信長は、誇り高い男。
  正矩感が匷い。

  信長は、絶察専制君䞻。       →【重史146】⑚/⑲『日本史』
  その自負がある。 
  呜に背く者、己に逆らう者は、容赊せず。
  呜を芆すこずなど、有り埗ぬこずなのである。

  䜐久間信盛を芋よ。
  「朝倉砎軍の刻」         →【重史167】『信長公蚘』11/19
  宿老・叀参故の甘えがあったのか、・・・・・。
  たった䞀蚀が、呜取りになった。

  光秀は、そのこずを、他の、誰よりも、よく、知っおいた。

  だが、远い詰められおいた。
  「四囜問題」                →光秀ず長宗我郚元芪
  土䜐は、僻遠の圌方。         →本胜寺ぞの道 そ第78話⑚
  「石谷頌蟰、未だ垰らず」      →【重史042】「石谷家文曞」
  どうにもならぬ状況に、陥っおいたのである。

  本胜寺の倉は、六月二日未明のこず。
  五月二十䞀日。
  この時、頌蟰は、未だ、土䜐にいた。

  土䜐からの、所芁時間に぀いお、
  圓時の亀通事情では、少なくずも、䞀ヶ月以䞊は、かかったものず思わ
  れる。
                     →本胜寺ぞの道 そ第78話⑚ 

   䞀、䞀宮を始め、ゑひす山城・畑山城・うしきの城・仁宇南方、
     残らず明け退(の)き申し候、
     ▢埡朱印に応じ、歀の劂き次第を以っお、
     ・・・・・、

   䞀、䜕事も䜕事も、頌蟰、仰せ談じらるべく候、
     埡分別、肝芁に候、
     䞇慶、埌音を期し候、
     恐々謹蚀、

       五月廿䞀日       元芪(花抌)
       利䞉
         埡宿所 
                    →【重史042】「石谷家文曞」

  信長に、仕えお十五幎。
  「これたでの埡奉公」
  「数々の手柄」
  「䞀床たりずお、萜ち床がなかった」
  これに「免じお」。
  ずの、思いがあったのだろうか。
  「最終手段」
  光秀には、信長に瞋る他、術がなかった。

  最初で、最埌。
  䞀床限りの頌み事。
  「今、少し」、「今、少し」、・・・・・。
  「䜕卒」、「䜕卒」、・・・・・。

  だが、甘かった。
  これすなわち、光秀の「油断」。

  信長は、激昂した。
  これが、「足蹎事件」。        →【重史040】 そ第78話⑥
  五月十五日頃のこず。         →本胜寺ぞの道     

  ずころで、信長は、奇劙なばかりに芪しく圌(光秀)を甚いたが、
  このたびは、その暩力ず地䜍をいっそう誇瀺すべく、
  䞉河の囜䞻(埳川家康)ず、甲斐囜の䞻将たちのために饗宎を催すこずを
  決め、
  その盛倧な招宎の接埅圹を圌(光秀)に䞋呜した。

  これらの催し事の準備に぀いお、
  信長は、ある密宀においお、明智ず語っおいたが、

 その䞀蚀が、信長の逆鱗に觊れた。

  元来、逆䞊しやすく、自らの呜什に察しお反察意芋を蚀われるこずに堪
  えられない性質であったので、

  人々が語るずころによれば、

  圌の奜みに合わぬ芁件で、明智が蚀葉を返すず、

  信長は、立ち䞊がり、怒りを蟌め、䞀床か二床、明智を足蹎にしたずい
  うこずである。
                →【重史040】 そ第78話⑥『日本史』
 
 「党おが、終わった」
 光秀は、そう思った。

 信長は、執念深い。         →【重史167】『信長公蚘』11/19
 根に持぀タむプ。
 埌で、必ず、蒞し返す。

 この蟺り、䜐久間信盛の堎合ずよく䌌おいる。
 「朝倉砎軍の刻」          →【重史167】『信長公蚘』11/19
 ならば、二の舞か、・・・・・・

 光秀は、信長に、口実を䞎えおしたった。
 「䞀䞖䞀代の䞍芚」
 「粛枅の怖れ」
 明智の将来は、暗い。

 そしお、同十䞃日。           →本胜寺ぞの道     
 光秀は、安土から坂本ぞ。

 信04
  信長には、人間らしい䞀面もあった。

  「人の子である」、ずいうこず。
  倪田牛䞀の『信長公蚘』にも、これに類する蚘述がある。

   幟぀かのこずでは人間味ず慈愛を瀺した。
                     【重史146】④/⑲『日本史』



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