魚鱗癬と歩んだ家族の物語はじめて読む方へ

私は43歳です。
魚鱗癬という皮膚疾患があります。
でも、自分が魚鱗癬だと知ったのは30歳くらいでした
母も。
兄も。
祖父も。
同じ肌でした。
それでも誰も病名を知りませんでした。
私は長い間、
自分の肌を恥ずかしいものだと思っていました。
隠していました。
悩んでいました。
そして大人になりました。
結婚しました。
子供が生まれました。
そこで初めて、
魚鱗癬と本気で向き合うことになります。
このシリーズでは、
私自身の体験。
母のこと。
兄のこと。
そして娘のこと。
魚鱗癬と共に生きてきた家族の物語を書いています。
① 母はなぜ手を隠したのか
② 兄の姿を見て気付いたこと
③ やっぱり俺はみんなと違うんだと気付いた頃
④ 体を見せるのが怖くなった日
⑤ プールの後、トイレに隠れていた僕
⑥ 隠し続けた手と、自分で選んだ友達
⑦ 社会に出て気付いたこと
⑧ 魚鱗癬という名前を初めて知った日
⑨ 長男誕生、そして突然の電話
⑩ 不安だった私は、答えを探していた
⑪ 答えを探していた私へ
⑫ 女の子と聞いて思い出したこと
⑬ 魚鱗癬として生まれた娘
⑭ 逃げないと決めた日
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まずはこちらから↓
① 魚鱗癬と歩んだ家族の物語①〜母はなぜ手を隠したのか〜
母の手には、いつもうろこのような乾燥がありました。
でも母は決してその話をしませんでした。
幼い私が初めて違和感を覚えた、魚鱗癬との最初の記憶です。
https://note.com/safe_magpie2015/n/n0bbdeff1cadf?magazine_key=mcc526919b082
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② 魚鱗癬と歩んだ家族の物語②〜兄の姿を見て気付いたこと〜
兄も同じ肌でした。
プールの帰りに自分の手を嫌そうに見つめる姿や、何度も手を洗う姿を見て、私は初めて「自分たちは何か違うのかもしれない」と感じました。
幼い私が兄の姿を通して病気を意識し始めた頃の話です。
③魚鱗癬と歩んだ家族の物語③ 〜「やっぱり俺はみんなと違うんだ」と気付いた頃〜
小さい頃から何となく感じていた違和感。
友達との何気ない会話や学校生活の中で、私は少しずつ気付き始めます。
「やっぱり俺はみんなと違うんだ」
そう感じるようになった小学生時代の記憶を振り返ります。
https://note.com/safe_magpie2015/n/nc980aa66748e?magazine_key=mcc526919b082
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④魚鱗癬と歩んだ家族の物語④〜体を見せるのが怖くなった日〜
耳の検査で言われた言葉。
そして、体を見た先生が見せた表情。
子供ながらに大きなショックを受け、「自分の体は見せてはいけないものなんだ」と思うようになりました。
今でも忘れられない出来事を書いています。
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⑤魚鱗癬と歩んだ家族の物語⑤〜プールの後、トイレに隠れていた僕〜
プールは好きでした。
でも、プールの後に手が白くなるのが
本当に嫌でした。
誰よりも早く教室へ戻り、
トイレに隠れてクリームを塗る。
「お願いやけん、早く乾いて」
そう願っていた小学生時代の話です。
⑥魚鱗癬と歩んだ家族の物語⑥〜隠し続けた手と、自分で選んだ友達〜
「お前の手って、おじいちゃんみたいよね」
そんな言葉に傷つきながらも、私は少しずつ魚鱗癬との付き合い方を覚えていきました。
そして同時に、自分を大切にしてくれる友達を選ぶことの大切さも学んでいったのです。
⑦魚鱗癬と歩んだ家族の物語⑦〜社会に出て気付いたこと〜
アルバイトや社会人生活の中で、魚鱗癬との付き合い方を少しずつ覚えていきました。
そして気付いたのです。
問題があるのは自分の肌ではなく、人を傷つけるような言葉や態度の方なのだと。
社会に出てから見えた景色を書いています。
⑧魚鱗癬と歩んだ家族の物語⑧〜魚鱗癬という名前を初めて知った日〜
「魚鱗癬です」
先生のその一言で、30年以上分からなかった肌の正体が明らかになりました。
指定難病と知ってもなお嬉しかった理由。
そして親になった今だから思うことを書いています。
⑨ 長男誕生、そして突然の電話
⑩ 不安だった私は、答えを探していた
⑪ 答えを探していた私へ
⑫ 女の子と聞いて思い出したこと
⑬ 魚鱗癬として生まれた娘
⑭ 逃げないと決めた日
⑨ 長男誕生、そして突然の電話
浄化槽管理士になって3年ほど経った頃、私たち夫婦に子供ができました。
子供ができる前から、自分の肌のことについては奥さんとよく話していました。
奥さんは言語聴覚士として、発達に特性のある子供たちとも関わってきた人です。
だから魚鱗癬で私が悩んできたことも理解してくれていました。
「もし子供に遺伝しても、自分たちなら大丈夫だよね」
そんな話もしていました。
私の家系を振り返ると、
祖父が魚鱗癬。
母が魚鱗癬。
母の姉も魚鱗癬。 母の姉の娘2人は普通
兄も魚鱗癬。
そして私も魚鱗癬。
こういった事を見てみると魚鱗癬の親の反対の性別に魚鱗癬がでてる
魚鱗癬ではなさそう
ところが、その後一本の電話がかかってきます。
新生児スクリーニング検査の結果でした。
「病院を受診してください」 と言われます。
⑩ 不安だった私は、答えを探していた
長男の病気が分かり、私は毎日のようにインターネットで調べていました。
調べれば調べるほど、不安になる
ことばかり。
「大丈夫。」
その一言が欲しくて、必死に答えを探していたのだと思います。
そんな頃、Podcastを通してある方と出会いました。
病気の答えを探していたはずなのに、気付けば私は「心の持ち方」の答えを探していました。
今回は、不安だった私が希望を求めて一歩踏み出した頃のお話です。
⑪ 答えを探していた私へ
不安でいっぱいだった私は、少しでも希望が欲しくて答えを探し続けていました。
そんな時に出会った、一人の方。
その出会いが病気を治したと言いたいわけではありません。
でも、不安で押しつぶされそうだった私の心を、確かに軽くしてくれました。
「人との出会いが、人を救うこともある。」
今振り返ると、そんなふうに思います。
今回は、答えを探していた頃の私に伝えたい、一つの出会いについて書きました。
⑫ 女の子と聞いて思い出したこと
二人目を授かり、喜びに包まれていた私たち。
そんな中、健診で先生から告げられた一言。
「女の子ですね。」
その瞬間、嬉しさと同時に、私の頭の中には魚鱗癬のことがよみがえりました。
家系を振り返り、不安になりながらも、親としてできることを考え続けた日々。
今回は、娘が生まれる前、期待と不安が入り混じっていた頃の気持ちを書いています。
⑬ 魚鱗癬として生まれた娘
娘が生まれたその日。
喜びと同時に、私たちは現実と向き合うことになりました。
日に日に変化していく娘の皮膚。
「大丈夫なのだろうか。」
その不安を抱えながら、小児科、大きな病院、そしてGCUへ。
この記事では、娘が魚鱗癬と診断されるまでの経過と、生まれたばかりの頃の記録を写真とともに残しています。
そして最後には、遺伝子の先生から教えていただいた、将来への希望につながるお話も書いています。
同じように不安を抱えるご家族にとって、一つの記録として届けば嬉しいです。
⑭ 逃げないと決めた日
娘が魚鱗癬として生まれてから、私は何度も自分を責めました。
「俺のせいだ。」
そんな思いが頭から離れず、仕事が手につかない日もありました。
娘がこれから経験するかもしれない苦しみを想像すると、怖くてたまりませんでした。
でも、その不安から逃げることだけはしたくなかった。
この記事では、娘の誕生をきっかけに、父として私が心に決めたことを書いています。
「絶対に逃げない。絶対に受け止める。」
それが、私が娘に誓った約束です。
長男の誕生。
クレチン症。
娘の魚鱗癬。
家族として向き合ってきたことを書いていきます。
もし良ければ①から読んでいただけると嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました🙇
