夕方になると何も決められない。原因は残業時間ではなく「1日の判断回数」だった
あなたも、夕方になると何も決められなくなることはないだろうか。
ランチのメニューひとつ選ぶのに時間がかかる。
返信しなければならないメールを前に、指が止まる。
厄介なのは、そんな状態で下した判断の誤りに、自分ではなかなか気づけないことだ。
実際、それが原因で部下に尻拭いをさせてしまったことがある。
このまま夕方の判断力が落ち続けたら、部下からの信頼も評価も削られていく気がする。

そういう日、原因を「残業が多かったから」だと思っていた。
でも振り返ると、定時で帰った日でも同じ疲労が起きていることに気づいた。
犯人は労働時間の長さだけではなかった。
このまま気づかず5年、10年と同じ働き方を続けたら、部下のほうが先に経験を積み、判断力を磨いていく。その一方で、自分だけが夕方になると頭の止まる管理職として取り残されていく。そんな想像が、頭の片隅をかすめた。
先週、朝から会議と作業を交互に繰り返す日があった。
会議で方針を決めて作業に戻る。また会議に呼ばれて判断し、席に戻って手を動かす。
その繰り返しを4回、5回と重ねるうちに、頭の奥がすっと軽くなる感覚があった。
いや、軽くなったというより、空っぽになった感覚に近い。
夕方、休んでいた部下の分の作業を、私が代わりに片付けた。
翌日、確認担当のメンバーにその資料を見せたところ、細かいケアレスミスがいくつも見つかった。
数値の転記ミスや書式の崩れなど、普段なら自分で気づく箇所ばかりだった。
「あの時間、自分は本当に判断できていたんだろうか」と思った。
ネットでは「人は1日3.5万回判断している」という数字をよく見かける。
私も記事の中で使おうかと調べたことがある。
でも出典を辿ると、2016年にアメリカの新聞に載った、ある人のコラムの一節に行き着いた。
少なくとも、厳密な学術調査によって示された数字ではなさそうだった。
正直、根拠が薄い数字を借りて記事を書くのは気が引けた。
そもそも、判断の回数を正確に数えることに、どれほど意味があるのだろう。大切なのは、1日に何回判断したかではない。
どのような働き方をした日に、自分の判断力が落ちるのかを知ることではないか。
疲労の正体は、判断の「回数」よりも「切り替えの頻度」だった。
会議で議論して作業に戻り、また会議で判断する。
このモード切り替えが、脳にとって一番コストの高い作業らしい。
長時間の残業より、切り替えの多い1日のほうが、夕方には何も決められなくなる。
議題を切り替えるたびに、頭の中で別のファイルを開き直しているような感覚がある。
この開き直しに、思っている以上のエネルギーを使っているのだと思う。
時間の長さより、開き直した回数のほうが体力を削っていた。
少し前に、会議中に思考停止したまま「Allow」を押し続けていたら、判断できない管理職になる気がした、という話を書いた。
あの時感じた違和感の正体が、今回はっきり言葉になった気がする。
直近の記事でも、しっかり休んだはずの月曜に部下の相談にうまく答えられなかった話を書いた。
休養は睡眠時間の量では測れない。
判断を積み重ねた回数のほうが、疲労には効いているのだと思う。
以前の記事で、休んだはずなのに疲れている正体は決断疲れかもしれない、という話を書いたことがある。
今回の話は、あの続きのようなものだ。
残業時間を減らすことより、会議と作業を行き来する回数を減らすことのほうが、効果があるかもしれない。
「またこの癖か」と、苦笑いした。
何度も同じパターンで消耗してきたのに、原因を残業時間のせいにし続けていた。
でも今回、犯人がはっきりした。
見えたなら、次は変えられる気がしている。
明日からできることは小さい。
会議をまとめて午前に寄せる、作業時間を1つのブロックにする。
それだけでも切り替えの回数は減らせるはずだ。
会議を減らせない日もあると思う。
それでも、会議の合間に作業を挟まず、聞き役に徹する回だけでも区切ると、切り替えの数は変わってくる。
判断の総量を減らそうとするより、切り替えの回数を減らすほうが、体感としては効果が高かった。

今週、会議と作業を交互に繰り返した日の夕方に、自分の頭がどのような状態になっているか、少し観察してみませんか?
和泉澤 裕(いずみさわ ひろし)
40代・都内IT企業の中間管理職。
「テック×ライフ」をテーマに、忙しさの中でも人生の時間を取り戻すために、思考・判断・生活をどう削るかを、実体験ベースで書いています。
