応元維新――兆しは、すでに現れている② 第二章 発展
零 兆しの前
少女は自分で物事を選択したことはないと思っている。
常に片方が塞がれた分岐をなすがままに歩いてきたと感じている。
こうして仲間と一緒にいるのは楽しい。
これは半分本気で、半分嘘だ。
本気の部分は、ここにしか笑って話ができる存在がいないから。残りの半分はここに未来がないから。
体があって良かった。男友達はみんな犯罪でしか金を稼げない。それよりはマシだ。
一 制度論ブーム
国家の再設計が、ひとつの流行になったのは、騒乱の前だった。
最初は学者たちだった。制度疲労、統治不能、財政規律の崩壊、代表制の限界。そうした言葉は以前から大学と論壇に存在していたが、次いで経済評論家が税制を語り、元官僚が行政改革を語り、配信者が選挙制度を語った。
短い動画は異様によく回り、複雑な制度論は単純な図解へ圧縮されて拡散した。国家をどう作り直すべきかという話題が、いつの間にかエンターテイメントとして消費されていた。
書店の平台には、昨日まで自己啓発書が積まれていた場所に、「新国家論」「民主主義のその後」「令和国家改造計画」といった帯の本が並んだ。配信番組では、税制改革を語る金融屋と、地方分権を説く大学教授と、直接民主制を叫ぶ若い論客とが同じ画面に押し込められ、互いに譲らぬまま再生回数だけを稼いだ。誰もが、今のままではもたないことだけは理解していた。
多くの提案は所詮、現制度の補修にすぎなかった。
いずれも理屈はあったが、壊れた機械の上に新しい部品を載せているだけに見えた。故障の原因そのものに触れた案は少なかった。
それでも人々は、制度を語ること自体が閉塞した社会への反抗であると捉えた。
かつては政治に無関心であることが大人の冷静さのように扱われた時代があった。だが今は違う。税が増え、治安が悪化し、歳出は不透明になり、誰も責任を取らぬのを見過ごし続けた結果作られた制度が生活を脅かしているのだと。
この国は改革で良くなる時期を逸した。必要なのは、改革でも、是正でも、政権交代でもない。もっと別の何かだ。そう思う者が増えた。
それゆえ制度論ブームは、繁栄のきざしではなく、終わり方の探求のようにも見えた。
二 見つかった文書
雨野裕也の名が先に知られたのではなかった。先に流れたのは、文章の断片である。
「人は腐る」
「善人を前提にした制度は、悪人に奪われる」
「国家は修理では戻らない」
「再構築。リセットしかない」
それらの短い断定が、最初は誰の言葉とも知られぬまま、切り抜き画像や要約投稿のかたちで広がった。
煽りではない。怒鳴ってもいない。むしろ感情を削ぎ落とした冷たさがあり、その冷たさゆえに、かえって本物めいて見えた。
最初にそれを拾い上げたのは、政治や経済を解説することで知られた配信者のひとりだった。芸能人めいた人気者ではないが、若い会社員や学生から妙な信頼を集めている男で、日頃から予算書も白書も自分で読み、数字をひとつの物語に変えて話すのがうまかった。彼はある夜の配信で、別の話題のついでのような顔で、一篇のPDFを画面に映した。
「これ、たぶん今年いちばん危ないやつです」
視聴者は最初、またいつもの誇張だろうと思った。だが、その男は珍しく笑わなかった。ページを拡大し、文書の冒頭を読み上げるでもなく、しばらく黙って見せてから言った。
「陰謀論じゃない。革命ごっこでもない。ちゃんと制度設計の話をしてる。しかも、いま出回ってる改革案の大半と違って、今の制度を前提にしてない。最初から組み直そうとしてる」
配信は想定を超えて伸びた。普段なら経済統計や金融政策の話題にしか興味のない視聴者が、その日はこの話題を最後まで視聴した。
コメント欄には、胡散臭い、突拍子がなさすぎる、面白い、妙に筋が通っている、という反応が交互に流れた。翌日には切り抜きが出回り、翌々日には文書そのものの保存先が共有され始めた。
人は腐る。
読んだ瞬間、青年の脳裏に、あの犯人の顔が浮かんだ。区役所の窓口の老人の顔が浮かんだ。
二人とも、同じ目をしていたと今更感じた。
そして、その目が自分の中にもあることを、青年は認めきれずにいた。
元は小さな政策研究誌に載った論考だったらしい。学術論文のように形式張らず、政治宣言としては熱のない、そんな様式がかえって人目を引いた。
世に出回る制度論の多くは、理想を語るか、敵を罵るか、そのどちらかだった。ところがその文書には、理想主義の情熱も、憎悪の快楽もなかった。ただ壊れた前提を列挙し、そこから導かれる骨格だけを置いていた。
文書の題は『車中八策』。
坂本龍馬の船中八策を思わせるその標題は、すぐに人々の好奇心を刺激するものではなかった。
読んだものの中には、復古主義だと笑う者がいた。危険思想の焼き直しだと断ずる者もいた。
興味深いことに批判は収束に向かわず、反応の量は加速していった。
それは多くの者が目を通していることの証でもあった。
誰が書いたのか。そこへようやく、人々の関心が向かった。
三 雨野裕也
雨野裕也は、最初から表舞台に立つような人間ではなかった。
憲法、行政法、制度設計に通じ、財政と統治実務にも明るい学者。
だが、目立つ人物ではなかった。
講義は人気がなかった。話し方に抑揚がなく、余談もなく、笑わせることもしない。学生の評判は、難しい、冷たい、だが嘘や誇張は言わない、という三つにほぼ尽きた。
顔つきまで地味だった。背広はいつも灰色か紺、ネクタイの色すら記憶に残らない。髪型に無頓着で、靴にもこだわりがなく、会食の写真に映り込んでも誰もその場の中心人物とは思わない類の男だった。インタビュー映えする熱気も、聴衆の感情を掴む身振りも、彼にはなかった。
だが文章だけは異様に明晰だった。
人は腐る。
権力は腐敗する。
善人を期待して制度を設計すれば、制度は必ず悪人に奪われる。
ゆえに国家の設計は、最悪の人間に耐える形でなされねばならない。
その文には、留保がなかった。
かといって煽りもない。
長く制度を見てきた者だけが持つ、見切りのようなものがあった。
現代の機構は失敗である。
法律を作る者が、その法の隙間で不正を働き、正しさを裁く者が正しさの外側に立つ。
雨野は機構を信奉する故に、現代の機構は軌道修正ができない。捨てるしかないのだと確信していた。
新聞は警戒を込めて名を載せ、テレビは危険思想の検証という体裁で特集を組んだ。その結果、雨野裕也という、これまで大学と政策誌の間にしか存在しなかった名は、数週間のうちに全国区となった。
人々は彼の顔を見て拍子抜けした。もっと狂信者めいた男を想像していたのである。だが画面に現れたのは、眠そうな目をした、抑揚の薄い中年の学者にすぎなかった。
「現体制は修理不能です」
彼は抑揚なくそう語った。声を荒げもしなかった。ただ事実のようにそう述べ、その後に理由を順に並べた。立法と行政と監査の責任が分散し、監督の主体が利害の中に埋まり、法体系は継ぎ足しを重ねて執行不能となり、予算は目的地へ届く前に痩せる。こうした構造欠陥を放置したまま、誰を首相に替えても意味はない。必要なのは人の刷新ではなく制度の変更である、と。
『車中八策』。
後に彼は述懐する。
「――そんなとき出張先の長閑な車窓を微睡みつつ眺めていたら、降って湧いてきた。
それが車中八策だった。
抜本的な体制変更。
『大政奉還』
天皇による統治。
この一手が見えたとき、手が止まらなくなった。
かつては、民主主義と皇室は水と油。相容れないものと考えていた時期もあった。
しかし今は残っていてよかった、と心から思う。」
普段、一人称でものを語らない雨野だが、その言葉を、彼はほとんど独り言のように語った。
講義でも論文でも一度も使ったことのない、感情の染み出た語りだった。
四 八策
草案は八つの柱から成っていた。
- **第一の柱:大政奉還** 政を天皇に奉還する。象徴としての天皇制を終わらせ、統治の頂点に据える。最も物議を醸した一点でもあった。
- **第二の柱:天皇府の設置** 天皇府を設け、立法・行政・司法の三権すべてを上から監視させる。選挙も献金も派閥も持たない存在だからこそ、制度の腐敗を外側から抑えられる。天皇府は権力の座ではなく、権力への重しという位置づけである。
- **第三の柱:行政責任の一元化** 行政の責任を総理大臣に一元化する。今の政治は、議する者、命ずる者、執行する者がそれぞれ責任を押しつけ合う。それを断ち切るために、総理大臣府を立て、国家運営の責任を一か所に集める。総理大臣は直接公選とする。
- **第四の柱:透明検証制度** 予算、契約、人事、送金のすべてを照覧できる制度を設ける。暗い場所にしか利権は育たない。光を当てれば、それだけで腐敗の多くは抑えられる。
- **第五の柱:官僚登用の改革** 官僚の登用は情実によらず、成果を賞し、怠慢と私利を罰する。重責には重い給与を、という原則を明文化する。
- **第六の柱:法制度の再編** 肥大した法制度を一度解体し、執行できる法だけを残す。法が不正の逃げ道であってはならない、というのが雨野の基本認識だった。
- **第七の柱:租税の改革** 徴税の仕組みを現代の実態に即して作り直す。国内に生ずる利益には確実に課税し、富が外へ流れ出る構造を断つ。どれだけ制度を整えても、国家の財政基盤が空洞では意味をなさない。
- **第八の柱:条約・防衛の整備** 他国との関係を漫然と旧のままに任せ、守る力を欠くは独立国の姿にあらず。不平等な条約を見直し、侵略の意なき防衛力を整え、国の自立を回復する。
八つの柱を貫く原則は一つだった。人の善意に頼らない。人が腐るのは当然として、それでも機能する制度を作る。そのためにだけ、この草案は存在していた。
五 世論化
「人は腐る」
少女は最初から知っていた。
母親が連れてきた新しい父親。最初は良い人だと思った。だが腐った。
このころ青年は、
自分がいつから別の側に立っていたのかを、もう思い出せなくなっていた。
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『車中八策』は、古風で硬い文体で書かれた難解な文書だった。全文を通読した者は少なく、内容を骨格と役割まで理解した者はさらに少なく、法整備への落とし込みまで論じられる者は、専門家の中にも多くなかった。
それでも文書は広がった。広がったのは細目ではなく、骨格だった。
国民は、今のままでは立ち行かないことを感じていた。だが同時に、内部から自然に正される未来も想像できなくなっていた。では、何を変えるべきなのか。誰を替えるのか、それとも仕組みそのものなのか。その問いが、繰り返し人々の間に現れていた。
人は腐る。切り抜きと要約の中で独り歩きし始めた。図解にした者がいた。八策を三分で解説する動画が量産された。大学生が討論サークルで取り上げ、会社員が通勤中に聞き流し、主婦が家事の合間に短い要約を共有した。
新聞では危険だと断じる論者が寄稿し、その批判文がまた別の層を連れてきた。テレビ討論では、民主主義への挑戦だ、復古的幻想だ、現実を知らぬ学者の机上論だ、といった非難が飛んだ。だが、そのどれもが宣伝になった。
奇妙なことに、支持と批判の双方が同じ言葉を増幅したのである。
「人は腐る」
その一文は、酒場で引用された。会社の休憩室で囁かれた。地方議員の不祥事を報じる記事の見出しにも、税金の無駄遣いに怒る投稿にも、半ば冗談めかして貼り付けられた。だが冗談で済ませるには、あまりにも現実を捉えすぎていた。
人々は怒りより先に得心した。結局は人の徳性に期待して制度を放置した帰結なのだと、初めて一本の線で理解したのである。
もちろん反発も強かった。
ある法学者は新聞記者の取材に対して、「法が法の上に人治を置くというのは前代未聞。これがどのような社会をもたらすか想像もつかない」と話した。
宮内庁の職員は「象徴としての御公務の性質上、承服し難い」との見解を公表した。
テレビに出演した著名な社会学者は、「天皇家の政治参加が敗戦の遠因になったことはすでに検証されている。また同じ過ちを犯すのか」とコメントした。
しかしそうした批判の多くは、文書の過激さよりも、文書が読者に与えた整理の力そのものを恐れているように見えた。
理解は、怒りより長く残る。世論が最も動くのは、怒りを与えられた時ではない。怒りの理由を説明され、しかもその説明が腑に落ちた時である。
雨野の八策は、まさにそれだった。
そして人々は、ただ壊れた国家を嘆くだけの段階を終えた。次に考えるべきは、どう改め、どう組み直すかである。
その問いが、初めて具体的な輪郭を持って、大衆の手の中へ下りてきたのだった。


