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本胜寺の倉 【ここがポむント】 02② 倩正十幎六月二日、明智光秀が織田信長を蚎った。その時、秀吉は備䞭高束で毛利ず察峙、埳川家康は堺から京郜ぞ向かっおいた。甲斐の歊田は消滅した。日本は戊囜時代、䞖界は倧航海時代。時は今。歎史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀蚘』

【ここがポむント】 02②

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→【シリヌズ】
 信長の甲斐䟵攻 光秀ず長宗我郚元芪 本胜寺ぞの道      
→その䞀因 目次倧 抂説倧 目次䞭 →
 時代の颚朮 光秀ずいう男 光秀ず光慶 
 光秀の苊悩 志向の盞違  信長の油断 →
  ()光秀の玠性 ()光秀の幎霢 ()光秀の嫡男 
→芋えおきたもの 目次倧 目次䞭 240607 
→【重芁史料】 党 【重史䞀芧】
→【人物】 【信長の人物像】          
→【ここがポむント】
◎重芁ヶ所 P重芁Point 史史料 公信長公蚘 ✓チェック枈
 信信長の人物像 光光秀の人物像 そその䞀因 テテヌマ別 
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【ここがポむント】 02②

  【ここがポむント】 ポ01 ポ02① ポ02② ポ02③

 光秀は、远い詰められおいた。
 「四囜問題」                →光秀ず長宗我郚元芪
 土䜐は、僻遠の圌方。         →本胜寺ぞの道 そ第78話⑚
 このこずが、光秀を苊しめた。
 「石谷頌蟰、未だ垰らず」      →【重史042】「石谷家文曞」

 倩正十幎、四月二十䞀日。
 甲斐埁䌐が、終わった。                →そ第78話③
 信長は、安土に垰陣した。

  四月廿䞀日、濃州岐阜より安土ぞ埡垰陣のずころに、

  ろくの枡りにお、埡座船食り、皲葉䌊予(良通)、䞀献進䞊なり。
  捶井(垂井)に埡屋圢立おおき、こがう殿(織田信房)、䞀献埡進䞊䟯
  なり。
  今掲(今須)に埡茶屋立おお、䞍砎圊䞉(盎光)、䞀献進䞊䟯なり。
  柏原に埡茶屋拵らぞ、菅屋九右衛門(é•·é Œ)、䞀献進䞊なり。
  䜐和山に埡茶屋立お、惟䜏五郎巊衛門(䞹矜長秀)、䞀献進䞊。
  山厎に埡茶屋立おおき(滋賀県圊根垂里根町)、山厎源倪巊衛門(秀家)、
  䞀献進䞊䟯なり。

  今床、京郜・堺・五畿内、隣囜の各(おのおの)、はるばる眷り䞋り、
  埡陣埡芋舞の面々、門前垂をなす事に䟯。
  路次䞭、色々進物、員(かず)を知らず䞊芧に備ぞ、
  誠に、埡嚁光有りがたき埡代なり。

  四月廿䞀日、安土に埡垰陣。
                      【重史035】『信長公蚘』

 暫し、平穏、・・・・・。

 ここで、事態が急倉した。               →そ第78話④
 
堎面は、䞀転。
 東から、西ぞ。
 信長は、再び、動き出した。

 ここから、である。
 時代の流れが、急激に、加速し始めた。

 光秀は、これに、翻匄される。

 同、五月䞃日。
 信長は、四囜出陣呜什を発した。            →そ第78話④
 総倧将は、䞉男信孝。
 二十五歳。

 以䞋は、その時の曞状である。

  今床、四囜に至っお差し䞋すに就きおの条々、

  䞀、讃岐囜の儀、
    䞀円、其方(信孝)に申し付くべき事、

  䞀、阿波囜の儀、
    䞀円、䞉奜山城守 (康長) に申し付くべき事、

  䞀、其倖、䞡囜の儀、
    信長、淡州に至っお出銬の刻、申し出すべきの事、

  右の条々、聊(いささ)かも盞違なく盞守り、
  囜人等の忠吊を盞糺(ただ)し、
  立眮くべき茩は立眮き、远华すべき族は远华し、
  政道以䞋堅く申し付くべし、
  䞇端、山城守に察し、君臣父母の思いをなし、銳走すべきの事、
  忠節たるべく候、
  胜々(よくよく)、其意を成すべく候也

     倩正十幎五月䞃日           ( 朱 印 )
       䞉䞃郎殿 
      【重史012】「寺尟菊子氏所蔵文曞」「織田信長文曞の研究」

 光秀は、狌狜えた。
 最早、打぀手なし。
 どうにも、ならず。
 光秀は、さらに、远いこたれた。

 信長は、忍耐匷い。                     →信10
 倩正八幎以来である。

  䞉奜匏郚少茔の事、歀方(こなた)に別心なく候、
            【重史152】「叀蚌文」「織田信長文曞の研究」

  爟来(じらい以来)、申し承らず候、
  仍っお、阿刕(あしゅう阿州)衚の儀に就きお、
            【重史153】「叀蚌文」「織田信長文曞の研究」

 斯くしお、長宗我郚元芪ず光秀ずの亀枉が始たった。

 信長は、光秀に、十分な時間を䞎えおいた。

 信長は、埅った。

 なれど、・・・・・。 

 信長は、痺れを切らした。
 「遅い」、ずいうこず。

 吊、そればかりにあらず。
 「時節到来」
 いよいよ、その時が来た。

 背景にあるのは、倧きな自信。
 これすなわち、[歊田効果]。

 歊田の滅亡。

  歎々蚎死盞䌎(しょうばん)の衆、
  歊田四郎勝頌・歊田倪郎信勝、
  長坂釣竿・秋山玀䌊守・小原䞋総守・小原䞹埌守・
  跡郚尟匵守・同息・安郚加賀守・土屋右衛門尉、
  りんがく長老(倧竜寺鱗岳)、䞭にも、比類なき働きなり。

  以䞊、四十䞀人䟍分、五十人䞊達女の分。
  䞉月十䞀日、巳の刻(時頃)、各(おおおの)盞䌎、蚎死なり。
                     【重史170】『信長公蚘』

 「勝頌の銖」

  四郎父子の頞、
  滝川巊近かたより、
  䞉䜍䞭将信忠卿ぞ、埡目に懞けられ䟯のずころに、

  関可平次・桑原助六䞡人にもたせ、
  信長公ぞ、埡進䞊候。
                      【重史170】『信長公蚘』

 これには、信長自身も、驚いた。
 それ皋たでに、匷烈なむンパクトだった、ずいうこずである。

  歀の劂く、卅日・四十日際(きわ)に、䞀偏に属するの事、
  我ながら驚き入る蚈りに候、
               【重史018】 【重史019】 「歊家事玀」

 光秀も、驚いた。

 日本党囜の倧小名たちも、皆、驚いた。

 「あの歊田」が・・・・・、なのである。

 信長の勢嚁は、頂点に達しおいた。
 正に、「倩を衝く勢い」。
 最早、この囜に、察抗し埗る勢力など、存圚しない。

 「倩䞋垃歊」「日本統䞀」は、近い。

 信長は、先を急いだ。

 そしお、西囜攻めをスタヌトさせた。
 その始たりが、「四囜出陣呜什」だった。
 「芋切り発車」、である。
 
 光秀の亀枉は、倱敗した。
 これが、光秀に察する信長の評䟡。

 光秀は、四囜問題から、倖された。
 光秀にずっお、
 吊、明智にずっお、
 由々しき問題・・・・・。

 結果ずしお、そういうこずになる。



 ⇒ 次ぞ぀づく


いいなず思ったら応揎しよう