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本胜寺の倉 5-3 足蹎事件 №6-192 倩正十幎六月二日、明智光秀が織田信長を蚎った。その時、秀吉は備䞭高束で毛利ず察峙、埳川家康は堺から京郜ぞ向かっおいた。甲斐の歊田は消滅した。日本は戊囜時代、䞖界は倧航海時代。時は今。歎史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀蚘』

5-3 足蹎事件 №6-192

はじめに ←目次 重芁 ◎目次 過去蚘事 目次 【蚘事䞀芧】 
←【五倧芁因】  䞭  小
← 時代の颚朮
 
 戊囜時代盞互䞍信の時代
  矎濃
  尟匵
← 光秀の実像
 
 信長ずいう男
  光秀ずいう男
  光秀ず光慶  1光秀の玠性 2光秀の幎霢 3嫡男光慶
  先祖の教蚓
  倧量殺戮
  信長の匱点
← 光秀の苊悩
 
 粛枅の怖れ
  志向の盞違
  光秀の老い
  四囜問題
  自立ぞの道
← 歊田の滅亡
 
 甲斐遠埁
  勝頌の銖
  歊田効果
← 信長の油断 倧芁
  
「事態急倉」
   勝利の䜙韻 抂略  ïŒ”月日
              ïŒ”月日
   四囜出陣  抂略  ïŒ•月日 1/3 2/3 3/3
              ïŒ•月日
   足蹎事件 倧 抂略 月日 倧 抂 1/5 抂 2/5 抂 3/5 抂 4/5 抂
                      5/5 抂
            月日 倧 抂
            密宀にお  倧 抂 1/3 抂 2/3 抂 3/3 抂
                      â‘  抂 ② 抂 ③ 抂 ④ 抂
                      â‘€ 抂
   䞭囜出陣 倧 抂略 備䞭高束城 倧 抂
           ã€€  月日 倧 抂
              ïŒ•月日 倧 抂
              ïŒ•月日 倧 抂
              ïŒ•月日 倧 抂
   時は今、・・・・・。
              ïŒ•月日 倧 抂
              ïŒ•月日 倧 抂
              ïŒ•月日 倧 抂
              ïŒ•月日 倧 抂
←さる皋に、䞍慮の題目出来候お、
←【泚目ポむント】 目次
←【重芁史料】 【重史党通】 【重史䞀芧】
←【人物】
←【粛枅の怖れ】 【粛枅 䜐久間信盛】 【重史240】
←光秀ず光慶 ()光秀の玠性 ()光秀の幎霢 ()光秀の嫡男
←【四囜問題】 八 九 十 目次 【四囜問題 抂芁】 八 九 十
←【足蹎事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリヌズ】
 信長の甲斐䟵攻 光秀ず長宗我郚元芪 本胜寺ぞの道     
◎重芁ヶ所 P重芁Point 史史料 公信長公蚘 ✓チェック枈
 信信長の人物像 光光秀の人物像 そその䞀因 テテヌマ別
加筆修正

5-3 足蹎事件 №6-192

【蚘事䞀芧】【五倧芁因】  䞭  小 信長の油断

倧芁 抂略

月日 倧芁 抂略

1/5 抂

【蚘事䞀芧】【五倧芁因】  䞭  小 信長の油断 足蹎事件
      →【四囜問題】 倩正十幎 目次
              0512 1/7 2/7 3/7 4/7 5/7 6/7 7/7
      →【重史052】 【重史169】 【重史008】

この日が、信長の誕生日である。
フロむスは、六月二日(本胜寺の倉)の十九日前ず蚀っおいる。
五月は、小の月(二十九日たで)。
逆算すれば、そうなる。

 ①圌の生たれた五月の日に
 ②己の神䜓を拝むこずを呜じた。
 ③信長がかくの劂く驕慢ずなり、
 ④祭りを行った埌十九日を経お、
 ⑀その䜓は塵ずなり灰ずなっお地に垰し、
 ⑥その霊魂は地獄に葬られた‥‥(略)。
                 【重史052】「む゚ズス䌚日本幎報」

信長は、倩文䞉幎の生れ。
この幎、四十九歳。
来る幎、五十歳になる。

「人間五十幎、䞋倩の内をくら(比)ぶれば」        →【重史169】         
信長は、幞若舞を奜んだ。
特に、「敊盛」の、この䞀節。 
䜙皋、気に入ったのだろう。
『信長公蚘』には、二床出おくる。
ずもに、銖巻。              →【信長の人物像】 信05

信長には、絶倧な自信があった。            → 勝利の䜙韻
背景にあるのは、「歊田効果」。
信長は、最倧・最匷の歊噚を手に入れた。

信長は、目的意識の匷い男。
「五十幎」を匷く意識しおいた。
それたでに・・・・・。
「倩䞋垃歊」は、成る。

そのこずが、信長に先を「急」がせた。
それが、「焊り」ずなり、
そこに、「隙」が生じた。
これすなわち、「油断」。
「前を芋れば、埌ろは芋えず」

光秀は、これを芋逃さず。
そこを衝いた。
それが「本胜寺の倉」である。

そしお、その(「倩䞋垃歊」)先に、・・・・・。
信長の「さらなる倢」があった。            →【重史008】
フロむスは、このこずを確りず曞き留めおいる。

  ①䞀倧艊隊を線成しおシナを埁服し、    「む゚ズス䌚日本幎報」
  ②䞀倧艊隊を線成しお、シナを歊力で埁服し、       『日本史』

䞖界は、倧航海時代。
む゚ズス䌚は、䞭囜明1368~1644で、積極的に、垃教を拡倧しようずしおいた。
背景には、ポルトガル(スペむンにより䜵合1580された)の野望があった 。

信長の目は、海倖を芋おいた。
信長は、フロむスら、む゚ズス䌚の宣教垫たちから倧きな刺激を受けた。
そしお、芚醒。
「明」
信長の思いは、東シナ海の向こう偎にあった。

これが、信長の志向。

結局、信長の拡倧政策は、止たず。
戊いは、ただただ、぀づく。

そういうこず、である。

なれど、・・・・・。
光秀は、高霢。                     →そ第7話①
五十九±四歳ぐらい。                   →そ第77話
嫡男光慶は、若すぎた。                 →そ第7話②
ただ、元服前。
歳。                  →そ第7話② 【重史014】

光秀は、明智の将来が䞍安だった。   →光秀ず光慶 ()光秀の嫡男 
その時、果たしお、己は、生きおいるのだろうか。

だが、・・・・・。
信長は、きわめお壮健。
信忠は、申し分なき埌継者。
               →【 人物 】
織田家は、安泰。
盀石の䜓制ずなっおいるであろう。

そればかりに、あらず・・・・・。

2/5 抂

【蚘事䞀芧】【五倧芁因】  䞭  小 信長の油断 足蹎事件
      →【四囜問題】 倩正十幎 目次
              0512 1/7 2/7 3/7 4/7 5/7 6/7 7/7
      →【重史146】

これが、信長である (①⑲) 。       →【重史146】 0512 4/7

  ①䞭くらいの背䞈で、華奢な䜓軀であり・・・声は快調で、
  ②極床に戊を奜み、軍事的修緎にいそしみ、
  ③名誉心に富み、正矩においお厳栌であった。
   自らに加えられた䟮蟱に察しおは懲眰せずにはおかなかった。
  ④幟぀かのこずでは人間味ず慈愛を瀺した。
  ⑀圌の睡眠時間は短く早朝に起床した。
  ⑥はなはだ決断を秘め、戊術にきわめお老緎で、
   非垞に性急であり、激昂はするが、平玠はそうでもなかった。
  ⑊圌はわずかしか・・・家臣の忠蚀に埓わず、
   䞀同からきわめお畏敬されおいた。
  ⑧酒を飲たず、食を節し、
  ⑚人々は圌に絶察君䞻に察するように服埓した。
  ⑩圌は、戊運が己に背いおも心気広闊、忍耐匷かった。
  ⑪圌は、善き理性ず明晰な刀断力を有し、
  ⑫神および仏のいっさいの瀌拝、尊厇・・・の軜蔑者であった。
   霊魂の䞍滅、来䞖の賞眰などはないず芋なした。
  ⑬圌は自邞においおきわめお枅朔であり、
  ⑭自己のあらゆるこずをすこぶる䞹念に仕䞊げ、
  ⑮察談の際、遷延するこずや、だらだらした前眮きを嫌い、
  ⑯ごく卑賀の家来ずも芪しく話をした。
  ⑰愛奜したのは・・・茶の湯の噚、良銬、刀剣、鷹狩・・・盞撲
  ⑱䜕ぎずも歊噚を携えお圌の前に眷り出るこずを蚱さなかった。
  ⑲圌は少しく憂鬱な面圱を有し・・・はなはだ倧胆䞍敵で、
   䞇事においお人々は圌の蚀葉に服埓した。
                             『日本史』

特に、以䞋の五぀に泚目

䞀、信長は、兞型的な戊囜歊将。② ⑥⑩⑪⑰⑲
  きわめお、猜疑心の匷い男。⑱ ②⑀⑥⑪⑰⑲
  甚心深く、疑い深い。
  「隙」を芋せぬ男である。

䞀、信長は、忍耐匷く、粘り匷い。⑩
 ⑀⑊⑪
  執念深く、執拗である。

䞀、信長は、信念の人。⑊
  目的意識が匷い。⑀ 
⑊⑪⑲
  時間ず戊っおいた。

䞀、信長は、絶察専制君䞻。⑚ ③⑀⑊⑪⑲
  誇り高い男。③
  口答えなど、以おの倖。
  決しお、逆らっおはならぬのである。

䞀、信長は、理性的であり刀断力に優れおいた。⑪ ⑭⑮⑱
  正に、぀け入る「隙」のない男。
  空前絶埌の人物だった。

  信長は、合理䞻矩者。⑮ ⑀⑊⑪⑭          →そ第7話⑥
  無駄を嫌う。
  
甚が枈めば、棄おられる。
  圹に立たねば、棄おられる。
  邪魔になれば、棄おられる。

  信長は、完璧䞻矩者。⑭ ⑀⑊⑩⑪
  「あらゆるこずをすこぶる䞹念に仕䞊げ」
  冗挫を嫌った。⑮ ⑀⑊⑪⑭
  性急・せっかちである。

光秀は、信長の気性・性栌を知悉しおいた。  →【光秀ずいう男】 目次
だからこそ、今がある。

3/5 抂

【蚘事䞀芧】【五倧芁因】  䞭  小 信長の油断 足蹎事件
      →【四囜問題】 倩正十幎 目次
              0512 1/7 2/7 3/7 4/7 5/7 6/7 7/7
      →【重史240】 【重史172】 【重史222】 【重史163】
       【重史173】 【重史146】 【重史009】

信長は、重臣ずいえども、容赊しない。          →0512 5/7
䜐久間信盛を粛枅した(119) 。      →【重史240】 【重史172】 

  芚え
  1 父子、五ケ幎圚城の内に、善悪の働きこれなきの段、
  2 歀の心持の掚量、倧坂倧敵ず存じ、歊篇(歊蟺)にも構ぞず、
  3 䞹波囜、日向守が働き、倩䞋の面目をほどこし候。
    次に、矜柎藀吉郎(秀吉)、数ヶ囜比類なし。
  4 柎田修理亮、右の働き聞及び、䞀囜を存知ながら、
  5  歊篇道ふがひなきにおいおは、
  6  やす田(保田安政)の儀、
  7  信長家䞭におは、進退各別に候か。
  8  小河(緒川)・かり屋(刈谷)、跡職申し付け候ずころ、
  9  山厎申し付け候に、
  10 先々(先代)より、自分に拘(かか)ぞ眮き候者どもに、
  11 先幎、朝倉砎軍の刻(きざみ)、
  12 甚九郎、芚悟の条々、曞き䞊べ候ぞば、
  13 倧たはしに、぀もり候ぞば(倧略を蚀えば)、
  14 䞎力を専(もっぱら)ずし、
  15 右衛門䞎カ・被官等に至るたで、斟酌(遠慮)候の事、
  16 信長代になり、䞉十幎奉公を遂ぐるの内に、
  17 先幎、遠江ぞ人数を遣(぀かは)し候刻(きざみ)、
  18 歀の䞊は、いづかたの敵をたいらげ、䌚皜を雪ぎ、
  19 父子かしらをこそげ、高野の栖(すたい)を遂げ、

 右、数幎の内、䞀廉(ひずかど)の働きなき者、未緎の子现、
 今床、保田においお思ひ圓り候。

 抑(そもそ)も、倩䞋を申し぀くる信長に、
 口答申す茩(ずもがら)、前代に始り候条、
 爰(ここ)を以お、圓末二ケ条(18,19)を臎すべし。
 請けなきにおいおは、二床、倩䞋の赊免、これあるたじきものなり。

    倩正八幎八月 日
                            『信長公蚘』

石山本願寺、退城。                  →【重史222】
その時の様子である。

  八月二日、未の刻(時頃)、
  雑賀・淡路島より数癟艘の迎ぞ船をよせ、
  近幎、盞拘(かか)ぞ候端城の者を初めずしお、
  右埀巊埀に、瞁々を心懞け、
  海䞊ず陞ず、蛛の子をちらすが劂く、ちり々々に別れ候。
                  (『信長公蚘』倩正八幎八月二日条) 

戊いが終われば、粛枅が始たる。            →【重史163】これが、戊囜の䞖。

䜐久間信盛を芋よ                  →そ第7話⑥
信盛は、倧坂攻めの総指揮官。
織田家の重臣筆頭者。  
倧身であり、家䞭最倧の軍事力を有しおいた。

粛枅は、ある日、突然、蚪れる。      →【重史240】 【重史163】
信盛は、党く、予期しおいなかった。

  爰(ここ)にお、䜐久間右衛門かたぞ、埡折檻の条、
  埡自筆にお、仰せ遣はさるゝ趣、
  (芚え1~19)
                            『信長公蚘』

信長は、最埌たで、䜐久間信盛を赊さなかった。
哀れな末路であった。           →【重史240】 【重史172】

  歀の劂く、埡自筆を以お遊ばし、
  䜐久間右衛門父子かたぞ、
  楠朚長安・宮内卿法印・䞭野又兵衛、䞉人を以お、
  遠囜ぞ退出すべき趣、仰せ出ださる。

  取る物も取り敢ぞず、高野山ぞ䞊(のが)られ候。

  爰にも、叶ふべからざる旚(むね)、埡諚に付いお、
  高野を立ち出で、玀䌊州熊野の奥、足に任せお逐電なり。

  然る間、譜代の䞋人に芋捚おられ、かちはだし(埒歩裞足)にお、
  己ず草履(ぞうり)を取るばかりにお、芋る目も哀れなる有様なり。
                            『信長公蚘』

信盛は、吉野の山䞭で死んだ。             →【重史173】
奈良県の南端、吉野郡十接川村の湯泉地枩泉ずされる。
玀䌊熊野ずの囜境近く、山奥の湯治堎である。
療逊のため、滞圚しおいたのだろう
「非業の最期」
これが、織田家筆頭家老の成れの果お。
「本胜寺の倉」の前幎のこず。

  十九日、
  䞀、䜐久間(信盛)、十接川の湯にお、死ぬに぀き、

    高野の宿坊の庫(くら)の物、請け取るべきの由、
    信長より、仰せ぀けられ、䞊䜿、指し䞊せらるゝのずころ、
    悉(こずごず)く 以っお蚎ち殺しおわんぬず云々、

    これにより、諞囜の高野聖ずらえらる、
    近日、手遣ひあるべきの由、沙汰に及ぶず云々、
    則ち、来たる廿䞉日、陣ふれ(è§Š)、これ圚りず云々、
    高野滅亡、時刻到来か、
                (「倚聞院日蚘」倩正九幎八月十九日条)

信長は、忍耐匷く、執念深い。      →月日 2/4 【重史146】
根に持぀タむプ。
埌で、必ず、蒞し返す。
「先幎、朝倉砎軍の刻」

信長は、絶察専制君䞻。
己が倩䞋の支配者であるこずを匷く意識しおいた。

「抑も、倩䞋を申し぀くる信長」、ずある。

信長は、誇り高い男。 
己に口答えする家臣を、決しお、赊さない。
「口答申す茩、前代に始り候」、ずある。

信長は、粛枅の人。                  →【重史163】
䞍意を衝く。

「垞套手段」
恐ろしい男なのである。
・・・・・。

光秀は、それを怖れおいた。

  飛鳥尜きお、良匓蔵(かく)る、
  狡兎(こうずうさぎ)死しお、走狗(そうく犬)烹(煮)らる、
                 →【重史009】(「史蚘」越王募践䞖家)

甚が枈めば、粛枅される。
圹に立たねば、粛枅される。
邪魔になれば、粛枅される。

「明日は、我が身」
・・・・・。

このこずが、脳裏から、離れない。

「油断」しおは、ならぬ。
「隙」を芋せおは、ならぬ。
・・・・・。

緊匵の日々が぀づく。

4/5 抂

【蚘事䞀芧】【五倧芁因】  䞭  小 信長の油断 足蹎事件
      →【四囜問題】 倩正十幎 目次
              0512 1/7 2/7 3/7 4/7 5/7 6/7 7/7
      →【重史235】 【重史237】

信長は、人々の心を倧いに匕き぀けた。    →0512 6/7 【重史235】
「垞に日本の人心を収攬し」「䞀般人民の心を収攬した」、ずある。
フロむスの芳察県は、鋭い。 

「倩䞋垃歊」
 信長は、矩昭を擁立しお䞊掛。
 宀町幕府の再興を成した。
 倩䞋京郜。

   圌(信長)が僅かに尟匵ずいふ䞀囜の半ば領䞻より、
   その努力ず歊勇ずによっお公方様(将軍 足利矩昭)
   すなわち党日本の王、内裏に぀ぐ、第二人者である人に
   郜を治めさせたこず、

将軍远攟
 信長は、将軍矩昭を远攟しお日本統䞀に着手した。
 倩䞋日本。

   たた信長が戊争においおは怖(おそ)るるずころなく、
   心寛(ひろ)く歊略ず生来の智慮を有するにより、
   垞に日本の人心を収攬し、
   公方を郜より远うお
   倩䞋(すなわち日本王囜)ず称する隣接諞囜の埁服に着手したこずは
   (以䞋略)・・・・・。

領囜拡倧
 信長は、敵察勢力を次々に撃砎した。
 信長の勢嚁は、飛躍的に増倧した。 

  而しお(そしお)これに成功したため、
  信長の名誉ず領土は広がり、
  短き幎月の間に五十䜙ヵ囜をその支配の䞋に眮き、
  埁服したる諞王を殺し、倚くの宝を集め、
  日本の富ず貎重なる物は悉(こずごず)く圌の所有に垰した。

  圌は益々その勢力ず名声を珟はさんため、
  蚘憶すべき倚くのこずをなしたが(以䞋略)・・・・・。
           
(「む゚ズス䌚日本幎報」倩正十幎十月二十䞀日付)

信長は、戊囜乱䞖を終わらせようずしおいた。      →【重史237】
人々は、平和な䞖の到来を埅ち望んでいた。

信長は、䞀般倧衆に人気があった。
慕われおいた。

安土城
 フロむスの芋た安土。

  圌(信長)は近江囜の安土山ず称し、郜より十四レグワ(≒)の所に
  甚だ驚くべくたた非垞に立掟なる城ず宮殿ずを建築した。
  この宮殿ず䞃階を有する城の壮麗なるこずは、
  圌が倧いに誇ったずころである。

  その䞋には新たに垂を建おたたが、日に月に栄え、
  今は長さレグワ(≒)に達した。

倧名政策

  而しお埁服した諞囜を䞀局安党ならしむるため、
  䞻なる領䞻に劻子ず共に同所に居䜏し、広倧なる邞宅を建築するこず
  を呜じた。

道路政策

  郜より安土山たでは、すでに述べたずほり、十四レグアあるが、
  この間に平坊な道を造り、䞡偎に朚を怍え、非垞に倧きな橋を架け、
  足を濡らさずしお通行さるるやうにした。
  たたその埁服した諞囜にかくのごずき道路をできるだけ造り、

平和の実珟

  絶えず戊争のあったこの諞囜を、
  その知恵ず努力ずによっお挞次(ぜんじ)平和に垰せしめた。

関所政策

  たた、圌の統治前には道路においお高い皎を課し、
  レグワごずにこれを玍めしめたが、
  圌は䞀切免陀し少しも払はしめなかったので、
  䞀般人民の心を収攬した。
           
(「む゚ズス䌚日本幎報」倩正十幎十月二十䞀日付)

事は、党お、順調に掚移しおいた。
吊、順調に過ぎた・・・・・。

「䞀寞先は、闇」
䜕が起きるかわからぬ時代。

「油断」すべからず。
「油断」すべからず・・・・・。

5/5 抂

【蚘事䞀芧】【五倧芁因】  䞭  小 信長の油断 足蹎事件
      →【四囜問題】 倩正十幎 目次
              0512 1/7 2/7 3/7 4/7 5/7 6/7 7/7
      →【重史236】 【重史258】 【重史052】 【重史259】

〈読み方 コツ〉
かなりの長文になりたす。
先ずは、倪字郚分からお読みください。
䜙裕のある方は、党文ぞ。

信長は、傲慢になっおいた。         →0512 7/7 【重史236】
フロむスが、蚌人である。
䜙皋、匷い印象を受けたのだろう。
「傲慢」「驕慢」を倚甚しおいる。

  圌(信長)は日本の王䟯倧身を悉(こずごず)く軜蔑したにかかはらず、
  我等(む゚ズス䌚の宣教垫)に察しおは垞に奜意を瀺し、
  異郷の人であるため同情を衚した。

  たた我等に察し反察者の讒蚀ず停りの蚌蚀が屢々(しばしば)行わるる
  が、
  パヌドレ(宣教垫)の行状がよくその真なるこずを知っおゐ故、
  圌の生存䞭は少しも劚害を受くるこずなく、
  その領内においおデりスの教を説き聖堂を建぀るこずを蚱すず蚀った。

  圌(信長)は数回説教を聎き、圌に説いた道理に力あるこずを悟ったやう
  であるが、
  傲慢であるためデりスの埡恵の光を受くるこずができなかった。

  (äž­ç•¥)

  圌は䞇物の創造䞻の力匷き埡手より受けたる倧いなる恩恵を感謝しお
  謙遜するこずなく、
  かぞっお益々傲慢ずなり、
  日本党囜の領䞻ず称し、
  日本の叀老の蚀によれば、
  五十䜙ヵ囜よりか぀お芋、たた読みたるこずなき甚深なる尊敬を
  受くるに満足せず、
  ネブカドネザル(新バビロニアの王)の驕慢に倣ひ、
  死すべき人間にあらず、神にしお䞍滅のものなるが劂く、
  尊敬せられんこずを垌望した。
            
(「む゚ズス䌚日本幎報」倩正十幎十月二十日付)

それは、増長し・・・・・。              →【重史258】
「今は盲目の極に達し」、ずある。

信長は、安土山に総芋寺を建立した。

  而しおこの嫌忌すべき垌望を達せんために、
  その宮殿に隣接し、城を離れた城を離れたる山に䞊に寺院を建築するこ
  ずを呜じ、
  この寺院に぀ぎの劂く蚘しおその名誉心の欲するずころを衚した。

  これをわが囜語に翻蚳すれば぀ぎのずほりである。

  圓日本の倧囜においお、遠方より望む者に喜悊ず満足を䞎ふる安土山城
  の山に、
  党日本の領䞻信長はこの寺院を建立し、総芋寺ず名附けた。

  これを倧いに尊厇する者の受くべき功埳ず利益は぀ぎの劂し。

  第䞀に、
  富者ここに来りお厇敬すれば、益々富を集め、
  䞋賀にしお憫なる(哀れな)貧者ここに来りお厇敬すれば、この寺院に来
  りたる功埳によっお富者ずなるべく、
  子女及び埌継者なき者家系を続くるために来れば、盎に子孫を埗、寿を
  長じ、平和ず安楜を埗べし。

  第二に、
  生呜は延びお八十歳に至り、
  疟病は癒え、垌望、健康及び平安を埗べし。
  毎月予が誕生の日を聖日ずし、この寺院に来るべし。
  これを信ずる者は必ず圌に玄束するずころのものを埗べく、
  これを信ぜざる邪悪の人は、珟䞖においおも来䞖においおも亡ぶるに至
  るべし。

信長は、自身を厇拝させようずしおいた。
聖職者フロむスの目には、そう写っおいた。
「本胜寺の倉」
その僅か五ヶ月埌の報告である。
生々しい。

  前に述べたる劂く、信長は政治を始めお以来垞に神仏の厇拝を意ずしな
  かったが、
  今は盲目の極に達し、悪魔に勧められお倧いに尊厇された偶像を諞囜よ
  り安土の寺院に持来った。
  ただしこれを厇拝させるためでなく、これによっお己を厇拝させんため
  であった。

  日本においおは神の宮には通垞神䜓ず称する石がある。
  神䜓は神の心たた本質ずいふこずであるが、
  安土山の寺院には神䜓はなく、
  信長は己自らが神䜓であり、生きたる神仏である。
  䞖界には他の䞻はなく、圌の䞊に䞇物の創造䞻もないず蚀ひ、
  地䞊においお厇拝されんこずを望んだ。

  家臣等もたた信長自身に察するほか厇拝すべきものはないず明蚀し、
  同所に集めた偶像に劣らざる厇拝を臎さんこずを望んだ。

  或人がボンサンず称する石を携え来た時、
  圌は寺院の最も高き所、諞仏の䞊に壁韕(ぞきがん)を造らせ、ここにそ
  の石を眮いた。
            
(「む゚ズス䌚日本幎報」倩正十幎十月二十日付)

信長、誕生の日。                   →【重史052】
信長は、己の誕生日に、総芋寺に参拝するこずを呜じた。

  而しお領内の諞囜に垃告し、垂町村においおは男女貎賀悉(こずごず)く
  圌の生たれた五月の日にかの寺院の来っお同所に収めた己の神䜓を拝む
  こずを呜じた。

  諞囜より集たった人数は非垞に倚く、ほずんど信ぜられざるもので
  あった。

慢心、ここに極たれり。

  信長がかくの劂く驕慢ずなり、

これすなわち、「油断」。
結果的に、そうなる。

フロむスは、宣教垫神職者。
その立堎から、「本胜寺の倉」に぀いお、以䞋のように、結論づけた。

  䞖界の創造䞻たた莖䞻であるデりスのみに垰すべきものを奪はんずした
  ため、
  デりスはかくの劂く倧衆の集たるを芋お埗たる歓喜を長く享楜させ絊は
  ず、
  安土山においおこの祭りを行った埌十九日を経お、
  その䜓は塵ずなり灰ずなっお地に垰し、
  その霊魂は地獄に葬られた‥‥(略)。
            
(「む゚ズス䌚日本幎報」倩正十幎十月二十日付)

「歊田効果」により、
信長は、さらに傲慢になっおいた。
           →【重史259】

光秀は、そのこずを、他の誰よりもよく知っおいた。
光秀は、信長の甲斐出陣に同行しお(䞉月五日四月二十䞀日)以来、垰陣埌も、この日たで、連日のように、信長の偎近くにあった。

  圓䞀五八二幎の䞉月八日(倩正十幎二月十四日)倜の十時に、
  倩は東の方が甚だ明るく、信長の城の最高の塔の䞊方は甚だ赀く芋え、
  我等に非垞な恐怖を起こしたが、これは朝たで続いた。
  赀さは甚だ䜎く、二十レグワ(≒5×20km)の所よりは芋るこずができたい
  ず思はれたが、その埌聞いたずころによれば、豊埌においおもこれが芋
  えたずいふこずである。

  信長がこの驚くべき兆(きざ)しにかかはらず、怖るるこずなく甲斐囜の
  王に察する戊争に出たこずは、我等カザ(教䌚)に居る者の驚いたずころ
  である。

  同地には䞖子がたづ赎き、
  信長はその埌に行ったのであるが、
  戊争は奜結果を収め、
  王ずその子を殺し、甚だ倧なる囜四ヵ囜を占領した。

  圌は垞に倧いに苊しめられ、絶えず懞念した敵に打ち克ったのであるが
  故、
  この勝利によっお䞀局傲慢ずなった。
            
(「む゚ズス䌚日本幎報」倩正十幎十月二十日付)

これが、倩正十幎五月䞭頃の、信長の粟神状態。
信長は、感情が高ぶっおいた。
心の䜙裕を倱っおいた。
すなわち、粟神的なバランスを欠いおいた・・・・・。

光秀は、肝に銘じおいた。
信長は、誇り高い男。
逆らっおはならぬ・・・・・、
逆らっおはならぬ・・・・・、
のである。

だが、信長に瞋(すが)る他、術がなかった・・・・・。
光秀は、切矜詰たっおいた。
「土䜐の䞀件」・・・・・。
どうするこずも出来なかった。

光秀には、自負があった。
信長に仕えお十五幎。
これたで、
䞀床たりずも、倱敗はなかった。
䞀床たりずも、期埅を裏切るこずはなかった。
正に、完党無欠。
パヌフェクト。
芋事である。

信長の倢「倩䞋垃歊」。
光秀は、生呜を賭しお、信長を支えた。
数倚の戊堎。
茝かしき、手柄・勲功。
信長のために、倧いに、貢献した。
「織田家䞭、随䞀」
そう、蚀っおも過蚀ではあるたい。

その光秀の、初めおの・・・・・。
「それに免じお」
ずの思いがあったのだろう。
淡い期埅をもっお・・・・・。

「最埌の手段」
そうする他なかったのである。

そしお、その時が来た・・・・・。

月日

【蚘事䞀芧】【五倧芁因】  䞭  小 信長の油断 足蹎事件
             →【四囜問題】 倩正十幎 目次
              0515 【足蹎事件】 目次 1/3 2/3 3/3
             →【重史226】

信長は、家康に駿河・遠江を䞎えた。       →0515 【重史226】

  信長公、圓春、東囜ぞ埡動座なされ、
  歊田四郎勝頌・同倪郎信勝・歊田兞厩、䞀類、歎々蚎ち果たし、
  埡本意を達せられ、
  駿河・遠江䞡囜、家康公ぞ進らせらる。

家康は、埡瀌のため、安土ぞ向かった。
信長は、家康の来蚪に察し最倧限の配慮を瀺した。

  其の埡瀌ずしお、埳川家康公、幷(なら)びに、穎山梅雪(信君)、
  今床、䞊囜候。

信長は、先の甲斐遠埁の垰途、家康の領囜 䞉河・遠江に立ち寄っおいる。
その時の家康の心尜くしに察する、返瀌の意味もあったのかもしれない。

  䞀廉(ひずかど)、埡銳走あるべきの由候お、
   先づ、皆道を䜜らせ、
   所々、埡泊り々々に、囜持ち・郡持ち倧名衆眷り出で候お、
   及ぶ皋、結構仕り候お、埡振舞い仕り候ぞず、
   仰せ出だされ候ひしなり。

五月十四日。
家康は、番堎に到着した。
安土の手前、凡そ䞃里(滋賀県米原垂番堎)。
䞹矜長秀が、仮埡殿を甚意しお接埅にあたった。

  五月十四日、江州の内、ばんばたで、家康公・穎山梅雪、埡出でなり。
  惟䜏五郎巊衛門、
  ばんばに仮殿を立おおき、雑掌を構ぞ(酒肎の支床をずずのえ)、
  䞀宿、振舞い申さるゝ。

信忠も、番堎に到着した。
信忠は、暫し䌑息した埌、そのたた安土ぞ向かった。

  同日に、䞉䜍䞭将信忠卿、埡䞊掛なされ、
  ばんば、埡立ち寄り、暫時、埡䌑息のずころ、
  惟䜏五郎巊衛門、䞀献進䞊候なり。
  其の日、安土たで埡通候ひキ。

五月十五日。
家康は、安土に到着した。
信長は、歓埅した。
宿所は、倧宝坊である。

  五月十五日、家康公、ばんばを埡立ちなされ、安土に至りお埡参着。
  埡宿倧宝坊然るべきの由、䞊意にお、

信長は、光秀に、接埅圹を呜じた。
この日から、十䞃日たでのこず。

  埡振舞の事、惟任日向守に仰せ぀けられ、
  京郜・堺にお珍物を調ぞ、生䟿敷(おびただしき)結構にお、
  十五日より十䞃日たで、䞉日の埡事なり。
                      【重史226】『信長公蚘』

密宀にお 倧芁 抂略

1/3 抂

【蚘事䞀芧】【五倧芁因】  䞭  小 信長の油断 足蹎事件
密宀にお
             →【四囜問題】 倩正十幎 目次
              【足蹎事件】 目次 1/3 2/3 3/3
             →【重史040】 【重史146】 【重史240】
              【重史014】

信長、家康を饗応す。                 →【重史040】

  ずころで、信長は、奇劙なばかりに芪しく圌(光秀)を甚いたが、
  このたびは、その暩力ず地䜍をいっそう誇瀺すべく、
  䞉河の囜䞻(埳川家康)ず、甲斐囜の䞻将たちのために饗宎を催すこずを
  決め、

饗応圹は、明智光秀。

  その盛倧な招宎の接埅圹を圌(光秀)に䞋呜した。

ここで、事件が起きた。
「密宀」、ずある。

  これらの催し事の準備に぀いお、
  信長は、ある密宀においお、明智ず語っおいたが、

信長は、絶察専制君䞻。                →【重史146】
きわめお、誇り高い男。
逆䞊しやすく、                    →【重史040】
自らの呜什に察しお、反察意芋を蚀われるこずに堪えられない性栌だった。

  元来、逆䞊しやすく、
  自らの呜什に察しお反察意芋を蚀われるこずに堪えられない性質であっ
  たので、

このこずを、他の誰よりも、よく知っおいたのが光秀だった。

䜐久間信盛を芋よ                 →【重史240】
「朝倉砎軍の刻」
信盛は、それを軜んじた故、粛枅された 。

だが、光秀は、甘かった。               →【重史040】
吊、そうする他、術がなかった。
おそらくは、土䜐の䞀件・・・・・。
吊、それが、「油断」。
ず、いうこずなのだろう。

  人々が語るずころによれば、
  圌の奜みに合わぬ芁件で、明智が蚀葉を返すず、

その䞀蚀が、信長の逆鱗に觊れた。

  信長は、立ち䞊がり、
  怒りを蟌め、
  䞀床か二床、明智を足蹎にしたずいうこずである。
                            (『日本史』)

フロむスは、む゚ズス䌚の宣教垫。      →【人物】 【重史014】
信長の身近に、同䌚の関係者がいたらしい。
おそらくは、黒奎「匥助」。              「束平家忠日蚘」  
匥助は、「本胜寺の倉」を生き延びた。
捕瞛され、京の南蛮寺ぞ。
            →「む゚ズス䌚日本幎報」倩正十幎十月二十日付

2/3 抂

【蚘事䞀芧】【五倧芁因】  䞭  小 信長の油断 足蹎事件
密宀にお
             →【四囜問題】 倩正十幎 目次
              【足蹎事件】 目次 1/3 2/3 3/3
             →【重史041】 【重史028】 【重史005】
              【重史033】 【重史016】 

だが、この事件が、䞖間に知られるこずはなかった。   →【重史041】

  だが、それは密かになされたこずであり、二人だけの間の出来事であっ
  たので、埌々たで民衆の噂に残るこずはなかったが、

フロむスは、このように芋おいた () 。

この事件が、「本胜寺の倉」のきっかけになった。

  あるいはこのこずから、
  明智は、䜕らかの根拠フンダメントを䜜ろうず欲したかも知れぬし、

光秀は、欲深い野心家である。

  あるいは〔おそらくこの方がより確実だず思われるが〕、
  その過床の利欲ず野心が募りに募り、

光秀は、倩䞋を欲しおいた。

  ぀いには、それが倩䞋の䞻になるこずを、圌に望たせるたでになったの
  かもしれない。

光秀は、蚈画的だった。
 誰にも、胞䞭を明かさず。
 ベストタむミングを窺っおいた。

  ずもかく、圌はそれを胞䞭深く秘めながら、䌁おた陰謀を果たす適圓な
  時期を、ひたすら窺っおいたのである。
                       【重史041】『日本史』

以䞊から、次のこずがわかる。

この事件が、「本胜寺の倉」の契機(匕き金)になった。

光秀は、自立の道を遞んだ。


 信長は、疑い深い。
 信長は、忍耐匷い。
 信長は、合理䞻矩者。
 信長は、䞍意を衝く。
 光秀は、信長を怖れおいた。

 ノァリニャヌノの来蚪。
 信長の「さらなる倢」。

 志向の盞違。
 利害の䞍䞀臎。

 四囜問題、勃発。
 元芪、承諟せず。
 亀枉は、暗瀁に乗り䞊げた。

 光秀は、老いた。
 光慶は、若すぎた。
 明智の将来は、暗い。

 甲斐遠埁。
 「歊田効果」
 「倩䞋垃歊」は、成る。
 その時期が、倧幅に、早たった。

 信長は、傲慢になっおいた。

 元芪ずの亀枉倱敗→責任問題。
 「足蹎事件」
 信長は、誇り高い男。
 呜に埓わぬ者には、容赊しない。

 光秀の心が、信長から離れた。

 光秀は、出来る男。
 キレ者である。
 先が芋えた。

 しかし、
 頌蟰が、間に合えば、・・・・・。
 党おが、解決する・・・・・。
 光秀は、未だ、迷っおいた。

 月日
 なれど、
 頌蟰は、終に、垰らず。
 「䞇事䌑す」
 斯くしお、
 党おが、終わった。
 光秀は、諊める他なかった。

 そこに、報せが入った。
 「信長が䞊掛する」・・・・・。           →【重史028】

 月日
 「時は今」、・・・・・。              →【重史005】

 月日(小の月 日はない)
 そしお、
 信長が、䞊掛した。                 →【重史033】
 しかも、少人数で。
 これすなわち、「油断」・・・・・。 

 光秀は、忠矩心が薄い。
 蚀い換えれば、独立心が匷い。

 党おは、子らのため。
 明智のため。

 䞭囜出陣の日は、六月䞀日。
 その前日のこず。  

結果ずしお、光秀に倩䞋が転がり蟌んで来た。
 それだけのこず。

光秀は、蚈画的だった。
 誰にも、胞䞭を明かさず。
 その機を窺っおいた。

 䞭囜ぞ出陣すれば、党おが終わる・・・・・。

 光秀は、決断した。

 さる皋に、䞍慮の題目出来(しゅったい)候お、      →【重史016】

3/3 抂

【蚘事䞀芧】【五倧芁因】  䞭  小 信長の油断 足蹎事件
             →【四囜問題】 倩正十幎 目次
              【足蹎事件】 目次 1/3 2/3 3/3

光秀は、極限状態に远い蟌たれおいた (①⑀) 。

①光秀は、粛枅を怖れおいた。

 抂                        →月日 5/7

 信長は、兞型的な戊囜歊将。            →月日 4/7
 猜疑心が匷い。

 信長は、執念深い。              →月日 4/7 5/7
 根に持぀タむプ。
 埌で、必ず、蒞し返す。

 信長は、絶察専制君䞻。
 その暩勢は、正に、右肩䞊がり。
 止たる所を知らず。

  倩正八幎1580、本願寺降䌏。
  倩正九幎1581、京郜埡銬揃え。
  倩正十幎1582、歊田滅亡。

 信長は、倩䞋の支配者であるこずを匷く意識しおいた。

 信長は、誇り高い男。 
 口答えする家臣を、決しお、赊さない。

 信長は、合理䞻矩者。               →月日 4/7
 無駄を嫌う。

 信長は、䞍意を衝く。               →月日 5/7
 「垞套手段」
 粛枅は、ある日、突然、蚪れる。
 恐ろしい男なのである。

 䜐久間信盛を芋よ               →月日 5/7
 信盛は、倧坂攻めの総指揮官。
 織田家の重臣筆頭者。  
 倧身であり、家䞭最倧の軍事力を有しおいた。

 信長は、重臣ずいえども容赊しない。
 信盛を粛枅した。

 光秀は、信長の気性・性栌を知悉しおいた。      →月日 5/7
 それ故、今がある。

 「狡兎死しお、走狗烹(煮)らる」
 
 甚が枈めば、粛枅される。
 圹に立たねば、粛枅される。
 邪魔になれば、粛枅される。

 戊いが終われば、粛枅が始たる。
 「明日は、我が身」
 このこずが、脳裏から、離れない・・・・・。

 緊匵の日々が、぀づく。

 「油断」しおはならぬ・・・・・。
 「油断」しおはならぬ・・・・・。

②光秀には、老いの問題があった。

 抂

光秀は、きわめお難しい問題に盎面しおいた。        →そ第76話

光秀は、高霢者。
幎霢は、五十九±四歳ぐらい。               →そ第77話
生幎は、倧氞四1524±四幎ぐらい。
着実に、老人に、吊、その時に近づいおいた。

嫡男光慶は、ただ、歳。
若すぎた。

六幎前(倩正四幎)の倧病のこずもある。    →【重史013】 そ第7話⑰
光秀は、それ皋、頑匷な肉䜓の持ち䞻ではなかった・・・・・。
長生きするずは、思っおいなかったのではなかろうか。

光秀の最倧の敵は、時間だった。              →そ第76話
時は、容赊なく過ぎ去っお行く。
人生の残り時間は、少ない。                →そ第77話
このこずが、光秀に先を急がせた。

光秀は、信長より、幎長。                  →そ第75
信長より、先に、死ぬ。
未熟な光慶を䞀人残しお・・・・・。
光秀にずっお、このこずが最倧の悩み。
倧きな䞍安だった。

盞互䞍信の時代。                     →そ第76話

信長は、猜疑心が匷い。
光秀を信甚しおいない。

光秀もたた、猜疑心が匷い。
信長を信甚しおいない。

光秀は、明智の将来が䞍安だった。             →そ第76話
「倩䞋垃歊」
問題は、その埌、である。

信長の「さらなる倢」。

  信長は、事実行なわれたように、郜に赎くこずを決め、
  同所から堺に前進し、

  毛利を平定し、
  日本六十六ヵ囜の絶察君䞻になった暁には、
  䞀倧艊隊を線成しお、シナを歊力で埁服し、
  諞囜を自らの子息たちに分ち䞎える考えであった。
                 【重史008】 【重史260】『日本史』

果たしお、その時、自分は生きおいるだろうか・・・・・。
光秀は、自信が無かった。

ずなれば、明智は、光慶の代。
なれど、
信長が、光慶を匕き立おおくれる保蚌など䜕もない。     →そ第76話
むしろ、その逆である。
光慶は、未だ未熟。
「圹に立たぬ」
ずなれば、
明智の領地は、召し䞊げられる・・・・・。

斯くなれば、明智は、再び、没萜・・・・・。        →そ第76話
光秀は、それを怖れおいた。
䜕ずしおも、これを回避せねばならなかった。

芪ならば、圓然のこず。
「光慶を守らねばならぬ」
党おは、子らのため。
明智のため。
光秀は、このこずに、頭を悩たせおいたのである。

そのためにも、倱敗など、あっおはならぬこず。
決しお、赊されぬこずであった。

光秀は、頌蟰の垰りを埅った。
土䜐は僻遠の地。
そうする他なかった。

間に合えば、・・・・・。
間に合わぬ時は、・・・・・。

時折、「自立」の二文字が脳裏を掠める。
斯くあれば、これたでの難題は党お解消する。
なれど、信長は、それを赊さず・・・・・。

地獄の劂き日々が぀づく。

③䞭囜出陣が間近に迫っおいた。

 抂

 甲斐の歊田は、消滅した。              →【重史170】

  䞉月十䞀日、歊田四郎父子、簟䞭(れんちゅう)、䞀門、
  こが぀こ(駒飌)の山䞭ぞ匕籠らるゝの由、
  滝川巊近(侀益)、承り、

  (äž­ç•¥)

  四郎父子の頞、
  滝川巊近かたより、
  䞉䜍䞭将信忠卿ぞ、埡目に懞けられ候のずころに、
  関可平次・桑原助六䞡人にもたせ、
  信長公ぞ、埡進䞊候。
                           (『信長公蚘』)

 信長は、浪合で、勝頌の銖ず察面した。        →【重史263】

  (䞉月)十四日、平谷(同平谷村)を打ち越え、なみあひに埡陣取り。
  爰にお、歊田四郎父子の頞、関䞎兵衛・桑原介六、もたせ参り、
  埡目に懞けられ候。

  則ち、矢郚善䞃郎に、仰せ぀けられ、飯田ぞ持たせ遣はさる。

 光秀も、浪合で、勝頌の銖を芋た。
 光秀は、信長に同行しおいる。

 これが、歊田の最期。
 信長に逆らった者の末路。
 「哀れなものよ」
 時は、滔々ず流れおいく。

 信長は、歊田の滅亡を䞖に知らしめた。
 
飯田にお、勝頌の銖を晒す。

  十五日、午の刻より雚぀よく降り、
  其の日、飯田に埡陣を懞けさせられ、
  四郎父子の頞、飯田に懞け眮かれ、䞊䞋芋物仕り候。

  十六日、埡逗留。

 敗者、斯くの劂し。
 「無念」
 その圢盞(ぎょうそう)。
 光秀の、脳裏にこびり付く。

 信長は、勝頌の銖を京ぞ送った。
 「獄門に懞けよ」
 䜿者は、長谷川宗仁。

  歊田四郎・同倪郎、歊田兞厩・仁科五郎、
  四人の銖、長谷川宗仁に仰せ぀けられ、
  京郜ぞ䞊せ、獄門に懞けらるべきの由候お、埡䞊京候なり。
                          (『信長公蚘』)

 信長は、絶察的な歊力を手に入れた。         →【重史018】
 「戊わずしお、勝぀」                →そ第74話②
 信長の勢嚁は、絶頂に達しおいた。

 これすなわち、「歊田効果」。            →【重史018】
 最早、颚前の灯火。
 信長は、容赊しない。
 毛利は、歊田ず同じ道を歩むこずになる。

  北は越埌境、東はうすいが峠・川䞭島等、信州䞭に䞀所も残らず、
  䟘蚀せしめ、萜着候、
  西䞊野、同前に候、 

  歀の劂く、卅日・四十日際に䞀偏に属するの事、
  我ながら驚き入る蚈りに候、
                (「歊家事玀」「織田信長文曞の研究」)

 最早、この囜に、信長に抗う者など、いない。

 信長の脳裏には、「勝頌の銖」。           →【重史263】

 信長には、絶倧な自信があった。            →そ第74話②
 歊田滅亡 → 「歊田効果」 → 毛利滅亡
 さすれば・・・・・、
 「倩䞋垃歊」は、成る。
 吊、成す。

 ずなれば、矜柎秀吉・・・・・。 

 䞭囜出陣の日は、近い。                →月日
 秀吉から、泚進あった。
 「小早川隆景、幞山城に入る」

 なれど・・・・・、
 信長は、動かず。
 「匕き぀けよ」
 次の報せを埅぀。
 
 信長は、出陣のタむミングを窺っおいた。

  䞭囜進発の事、来秋たるべきの凊、
  今床、小早川、備前児嶋より敗北せしめ、備䞭高山に楯籠るの間、
  矜柎藀吉郎、出陣せしめ取巻くの由、泚進候、
  重ねお、䞀巊右次第、出勢すべく候、
  由断なく、甚意専䞀に候、
                     【重史036】(「现川家文曞」)

 信長は、目的意識の匷い男。      →月日 月日 1/5
 
性急・短気。
 
先を急いでいた。

 信長は、この幎、四十九歳。              →【重史052】
 「人間五十幎」                   → 【重史169】
 信長は、この「五十幎」を匷く意識しおいた。    →月日 1/5
 それたでに、・・・・・。

 そのこずが、信長に先を「急」がせた。       →月日 1/5
 それが、「焊り」ずなり、
 そこに、「隙」が生じた。
 これすなわち、「油断」。
 「前を芋れば、埌ろは芋えず」

 光秀は、これを芋逃さず。
 そこを衝いた。
 それが「本胜寺の倉」である。

④四囜出陣呜什が発什された。

 抂

⑀「倩䞋垃歊」が成れば、次は、「さらなる倢」。

 抂


 以䞊①②③④⑀のような状況䞋で、足蹎事件は、起きたのである。



 ⇒ 次ぞ぀づく

いいなず思ったら応揎しよう