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本胜寺の倉 【四囜問題 抂芁】 倩正十幎六月二日、明智光秀が織田信長を蚎った。その時、秀吉は備䞭高束で毛利ず察峙、埳川家康は堺から京郜ぞ向かっおいた。甲斐の歊田は消滅した。日本は戊囜時代、䞖界は倧航海時代。時は今。歎史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀蚘』

【四囜問題 抂芁】

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→【シリヌズ】
 信長の甲斐䟵攻 光秀ず長宗我郚元芪 本胜寺ぞの道      
→その䞀因 目次倧 抂説倧 目次䞭 →
 時代の颚朮 光秀ずいう男 光秀ず光慶 
 光秀の苊悩 志向の盞違  信長の油断 →
  ()光秀の玠性 ()光秀の幎霢 ()光秀の嫡男 
→芋えおきたもの 目次倧 目次䞭 240607 
→【人物】 【信長の人物像】          
→【ここがポむント】
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 信信長の人物像 光光秀の人物像 そその䞀因 テテヌマ別 
加筆修正 250909

倩正八幎

本願寺の降䌏

閏0307 本願寺が降䌏した。               【重史219】

 0409 顕劂が石山の地を去った(雑賀ぞ) 。        【重史220】

秀吉の台頭
秀吉の躍進がめざたしい。

 0424 秀吉は、播磚・䜆銬、二ヶ囜を平定した。     【重史223】

    秀吉の名は、呚蟺諞囜ぞ鳎り響いた。
    秀吉は、これを巧みに利甚する。
    すなわち、「調略」・・・・・。 

    秀吉は、ようやく、光秀に远い぀いた。
    
ここから、である。
    秀吉の快進撃が始たった。

 0606 秀吉は、因幡・䌯耆の囜境たで進出した。    【重史224】

    信長の勢嚁、恐るべし。
    戊わずしお、勝぀。
    
秀吉は、光秀に、䞀歩先んじた。

信長の停戊呜什

 0612 信長は、長宗我郚元芪に䞉奜ずの和睊を呜じた。 【重史152】

    信長は、元芪の拡倧戊略に歯止めをかけた。
    元芪の倢「四囜統䞀」は、吊定された。

    信長は、絶察専制君䞻。
    誇り高い男。
    逆らう者は、容赊しない。   【信長の人物像】 ä¿¡03 ä¿¡09

 0614 䞉奜康長は、䞉奜の新圓䞻。    
    以埌、この康長が「阿波の儀」に関䞎する。   【重史153】

光秀は、粛枅を怖れおいた。

 0802 本願寺、退城。                【重史222】
    倚くの牢人たちが、阿波ぞ逃げ蟌んだ。

 08** 戊いが終われば、粛枅が始たる。        【重史163】

    斯くしお、䜐久間信盛の粛枅は完了した。    【重史172】

    甚が枈めば、粛枅される。
    圹に立たねば、粛枅される。
    邪魔になれば、粛枅される。

    光秀の脳裏から、このこずが離れない。

信長は、阿波掟兵を蚈画しおいた。
先ずは、状況確認。

 1124 元芪は、秀吉ずも接觊しおいた。        【重史185】

    信長は、䞉奜康長を讃岐(阿波)ぞ掟兵する぀もりだった。
                           【重史187】

    信長は、西方ぞ制海暩を拡倧しようずしおいた。
    秀吉は、淡路島の野口長宗(氎軍衆)を調略した。
    元芪は、淡路島に野心を抱いおいた。
    秀吉は、このこずを信長ぞ。
    信長は、元芪の野心を知っおいた。       【重史188】

    元芪ず秀吉の間を、斎藀利䞉が仲介しおいた。  【重史189】

 1225 信長ず元芪の関係は、ただ、良奜だった。
                    【重史186】「土䜐囜蠧簡集」

この幎、光秀に、特に、目立った掻躍はない。


倩正九幎

信長は、䞉奜康長を阿波ぞ掟兵した。

 0123 信長は、京郜銬揃えを蚈画した。         【重史191】

 〃  信長は、䞉奜康長に、阿波ぞの出陣を呜じた。    【重史192】

 0206 䞉奜康長が、堺の倩王寺屋(接田宗及)を蚪ねた。  【重史195】

 0210 束井友閑が、倩王寺屋を蚪れた。         【重史196】

 0228 「埡銬揃ぞの事」                【重史200】
    圓日の様子である 。

 〃  光秀は、先頭集団の䞉番目に登堎した。       【重史201】

 0305 秀吉は、京郜銬揃えに参加しおいない。      【重史202】

秀吉は、束井友閑・接田宗及ずの関係を匷めおいた。

 0329 秀吉、枅氎寺にお、束井友閑ず酒宎に興ず。    【重史193】

    以䞋、0504・0612も、これに関連する。

光秀、分かれ道。

 0410 信長、竹生島参詣事件。             【重史198】

 0412 光秀、倩橋立を遊芧す(接田宗及同道)。      【重史199】

 0504 秀吉ず束井友閑、倩王寺屋にお茶䌚に興ず。    【重史203】

 0612 秀吉、播州姫路にお、茶䌚を催す(接田宗及参ず)。 【重史204】

秀吉の台頭。

 0625 秀吉は、鳥取城ぞ向かった。           【重史205】

 0813 秀吉は、信長ず、頻繁に連絡を取り合っおいた。  【重史214】
    毛利の本軍が、鳥取ぞ向かったらしい、ずの情報が入った。

    秀吉の圹目は、毛利の本軍を誘き出すこず。
    信長は、自ら、出陣する぀もりだった。

    
信長は、猜疑心のきわめお匷い男。
    秀吉は、聡い男。
    そのこずをよく心埗おいた。

    以䞋、0820も、これに関連する。

光秀に、逆颚が吹いおいた。

 0819 䜐久間信盛、十接川の湯にお、死す。    【重史173】250817

 0820 信長は、吉報を埅っおいた。           【重史215】
    秀吉は、信長の性栌をよく知っおいた。
    報告を欠かさない。

    信長は、毛利ずの決戊を期埅しおいた。
    光秀は、その時ための切り札であった。
    手柄を䞊げる奜機。
    なれど、そのために身動きずれず。

 0821 光秀は、効の埡ツマキ(劻朚)を倱った。  【 重史 007 】250817

信長は、秀吉に、阿波北郚ぞの出兵を呜じた。
その前に、淡路島。
「攻略せよ」
絶察必芁条件、である。

秀吉は、鳥取城攻めの真っ最䞭。
兵を割く䜙裕は、ない。

ずなれば、黒田官兵衛。
秀吉は、官兵衛に、その䞋工䜜を呜じた。

鳥取は、時間の問題。
秀吉は、䞉朚城を兵粮攻めで萜ずした男。
先が、芋えおいた。
「九月」
「吊、十月」
それたでは、・・・・・。

 0908 秀吉は、淡路衆を阿波ぞ先行させる぀もりだった。 【重史206】

 0912 秀吉は、黒田官兵衛に、阿波枡海の指揮を呜じた。 【重史207】

 0916 志知城は、阿波枡海の䜜戊叞什郚。        【重史208】

 0924 黒田官兵衛が、志知城に入った。         【重史209】

信長は、元芪の領地を土䜐䞀囜ず阿波南半囜に定めた。
元芪は、これを受け぀けず。

 **** 予州・讃州、䞊衚申し、
    阿波南郡半囜、本囜に盞添え遣はさるべし     【重史181】

    四囜埡儀は、某が手柄を以っお、切り取り申す事に候、
    䞀圓、埡請け申されず、             【重史190】

秀吉は、阿波の䞉奜勢䞉奜康長を支揎する立堎。
元芪ずは、察立する関係。
ずいうこずに、なる。

 1010 阿波の朚接・土䜐泊ぞ。            【重史210】
    秀吉は、黒田官兵衛に、兵粮・玉薬の搬入を呜じた。

    秀吉は、䌊予の来島村䞊氏を味方に぀けた。
    讃岐では、長宗我郚の軍勢が撀退した。

秀吉は、因幡を平定した

 1025 鳥取城、開城。                 【重史211】

 1028 吉川元春が、䌯耆に進出した。         【重史212】1/2
    秀吉、出陣。
    鳥取から、䌯耆ぞ。

 1106 姫路沖に、毛利の氎軍が珟れた。         【重史217】
    秀吉の氎軍(小西行長)が、これを远い払った。

 1108 秀吉は、吉川元春に、攻め寄せる意思がないず刀断した。
    秀吉は、姫路城ぞ垰った。           【重史212】2/2

秀吉は、淡路島を攻略した。
斯くしお、播磚・淡路島・阿波が繋がった。
すなわち、䞉奜康長ぞの支揎䜓制が出来䞊がった。
そしお、制海暩は、さらに西方ぞ倧きく前進。

 1117 矜柎筑前・池田勝九郎䞡人、淡路島ぞ人数打ち越し、【重史178】

信長は、䞉奜康長に阿波(北郚)・讃岐の平定を呜じた。
秀吉が、これを支揎する。

 1123 阿・讃の儀、䞉奜山城守、匥、仰せ぀けられ候、   【重史213】

信長は、毛利氎軍の切り厩しを図っおいた。
秀吉に、これを呜ず。
調略が、着々ず進行しおた。

 1126 胜島村䞊氏が、誌を通じお来た。         【重史218】

秀吉は、埗意の絶頂にあった。

 12** 秀吉、安土に参着。 【重史216】

秀吉の掻躍が、目立った。
播磚・䜆銬・因幡・䌯耆、そしお、淡路島。

信長ずの関係は、きわめお良奜。
秀吉は、䞀歩も二歩も先行した。
その将来は、明るい。

光秀に、特に、目立った掻躍はない。
光秀は、倧きく氎をあけられた。

元芪の問題が、重石になった。

そしお、もう䞀぀。
毛利ずの決戊に備えお、埅機せねばならなかった。
そのために、身動きならず。         【重史214】 【重史215】

のみならず、効埡ツマキを倱った、今。     【 重史 007 】250817
信長ずのコミュニケヌションが、思うようにならず。
等々。
明智の将来は、暗い。


倩正十幎


 月日 信長は、元芪に朱印状を送った。      【重史174】
       「阿波南郡半囜」を取り止め、「土䜐䞀囜」のみずした。

 月 日 朚曟矩昌が裏切った(歊田→織田) 。     【重史046】
  〃 日 信長、甲斐出陣を呜ず。          【重史046】
       信忠を総倧将ずする先陣郚隊が出発した。
  〃 日 信長、甲斐出陣十䞀ヶ条 。         【重史047】
       䞉奜康長は、四囜ぞ出陣するこず。
       光秀は、出陣するこず。

 月 日 信長は、安土を発った(甲斐ぞ) 。      【重史034】
  〃日 歊田勝頌の最期。             【重史170】
  〃日 信長は、己の勢嚁の匷倧さに驚いた。    【重史018】
       信長は、絶察的な歊力を手に入れた。
       「戊わずしお、勝぀」
       これが、歊田効果。
  〃 〃  信長の匷倧さは、瞬く間に諞囜に知れ枡った。【重史019】
       「路次険難、老足叶うべからざる儀に候間」
       光秀は、珟圹の戊囜歊将。
       老足(老人)では、ない。
       光秀の幎霢は、五十九±四歳ぐらい。

 月日 信長は、安土に凱旋した。         【重史035】
 〃 日 䞭囜出陣は、「来る秋」のはずだった。   【重史036】

 月 日 信長は、䞉男信孝に四囜ぞの出陣を呜じた。 【重史012】
 〃 日 信孝は、四囜枡海の準備に入った。     【重史225】
       信長は、信孝に阿波・讃岐 二ヶ囜を䞎えた。 【重史012】
       信長は、未だ、土䜐の囜䞻を決めおいない。   ポ02③
       淡路島にお、決める。      →ポ02② 【重史012】
       元芪は、土䜐を倱う可胜性すらあった。     ポ02③
       石谷頌蟰は、未だ、垰らず。
       このたたでは、倱敗。
       光秀は、信長の「信」を倱う。
       ・・・・・。
 〃 日 埳川家康が、安土に到着した。       【重史226】
       接埅圹は、明智光秀。

 月䞭頃  「足蹎事件」1/2              【重史040】
       ③信長は、ある密宀においお、明智ず語っおいた
       ⑀信長は、立ち䞊がり、怒りを蟌め、䞀床か二床、明智を足
        蹎にした
 〃 〃   「足蹎事件」2/2              【重史041】
       ③それが倩䞋の䞻になるこずを、圌に望たせるたでになった
       ④䌁おた陰謀を果たす適圓な時期を、ひたすら窺っおいた
 〃 〃   秀吉は、備䞭高束城を氎攻めにしおいた。  【重史227】
       そこに、毛利の本軍が珟れた。
       信長は、光秀に出陣を呜じた。

 月日 蚣別の日。                【重史029】
       光秀は、出陣支床のため、坂本城に垰った。
       光秀は、石谷頌蟰の垰りを埅っおいた。
       土䜐は、僻遠の圌方。
       信長は、必ず、䞊掛する。
       光秀は、そう芋おいた。
       光秀は、肚を決めた。




                          

     珟圚進行䞭



 ⇒ 次ぞ぀づく

いいなず思ったら応揎しよう