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テーマとオチを決めてから小説を書きはじめる


小説をどこから書くか。

何から決めて、どこからはじめて、どういうプロセスで書くか。たぶん正解なんかないんでしょうけれども、僕の場合は最初にテーマとオチを決めます。というか書きたいテーマとオチがあるから書き始めます。

だってあれじゃん。どんな料理を作るのか決めてから料理を作りはじめるじゃん。カレーライス作ろうとしてたのに、焼き魚定食ができました、とかないじゃん(あるの?)

僕にとっての小説のテーマとは、プロットであり、あらすじです。っていうか、そうしていかないと整合性が取れないからね。

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たぶん、一番多いのはキャラクターがあって、書きながらストーリーが決まっていく、みたいな書きかたでしょう。それ、楽しいと思うんだよね。キャラクターと一緒に冒険してる、みたいな。先に何が待っているのかわからない、みたいな。ライブ型。

でも不安だ。

どうやって終わらせればいいんだ。

そう、僕がこのやり方で書けないのは『終わらせ方がわからなくなるのが怖い』からです。

商業小説でも、主人公が港で煙草吸ってたそがれている、とか、静かにお茶なんかを飲んでいるシーンとかで終わるものがたまにあります。あれってさ、終わらせ方わかんなくなったんじゃないの?とか思っちゃう。

僕は『なんだかいろいろあって、ラストシーンには主人公がたそがれている』みたいな小説が嫌いです。すっげー多い。なにあれ。おかしくない?ビシッと決まってないじゃん。ブン投げてるだけじゃん!

とか、思う。

やっぱりストン、と、読者の腑に落ちてるんだか、腑に落ちていないんだかわかりませんけども、一定の『オチ』がピシっと決まっている物が好きです。そうでないものを僕は『余韻目的小説』と呼んでいます。余韻は小説の一部ではありません。あくまで読者が読後に抱く感情であります。作者がそれを織り込んで小説書いちゃダメだろ。

しらんけど。

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僕はテーマが決まればオチも決まる。と思っています。

テーマとオチって同じモンじゃね?くらいの勢いです。というか、テーマの中にオチが含まれる、かな。因果応報、自業自得。欲望があって動機があってその欲望や動機に則っていろいろと行動した結果がオチになる。当然の結末であります。

以下に、最近書いた小説のテーマというか、あらすじを書いてみましょう。

(1) あなたと出会う前の、19歳
おっかけバンギャの女の子が、意中のバンドメンバーを射止めるために、興味のない他のバンドメンバーと付き合って、なんだかよくわからん幸せを掴む話。

(2) エーデルワイス
ドM気質の男の子が、自分をいじめて欲しくて、幼馴染の彼女を巻き込んで、クラスメイトに自分をいじめさせるけど、なんだかとんでもないことになってゆく話。

(3) 疾患ファンタスティック
社会保障でラクして生きていきたい女の子が、病気をいつわって休職し、最高の社会保障を受けようとするけど、なんだかおかしなことになってゆく話。


それぞれ6万〜8万字程度の小説ですが、ほら、何が起るか、どんなエピソードがあって、どんな展開になっていくか、だいたい想像がつくじゃないですか。とりあえず『なんだかヘンなことになってゆく』のです。

このように、テーマとは『作者の創造力を喚起させるためのもの』でもあるわけです。話を作りやすく、広げやすくするためのものであって、しっかりとしたテーマであればあるほど、途中のエピソードも、オチもピシッと決まりやすくなります。これがしっかりと機能していないと、なんというか、ふらふら、ふにゃふにゃとした、何が言いたいのかよくわからん話になりがちなのであります。

こういう書きかたですと、必然的にキャラクター作りが最後になります。こう言ったらナンですが、正直、キャラなんか誰でもいいや、みたいな感じです。

主人公は『欲望の化身』になるので、読者に共感を抱かせるのが難しくなるのですが、歪んだ煩悩をもつ人間のマヌケさにユーモアという色を塗っていくことで、一定の理解を促す形でキャラクターを形作っていくように努力します。でも、まぁ、1ミリも共感できんな、的なキャラクターになることも多いのですが。しかし、それはそれで『動物園に珍獣を見に来た』的な感覚で読んで頂けているようなので、アリかなー、と。

いや、アリなのかな?

わからんなあ。