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ことばは、平和を願うためにもある。【週報】

8月15日を迎えるたび、「平和を願う」ということばについて考えます。

あまりにも大きくて、まっすぐで。

私が書くと、かえって薄くなってしまうような気もする言葉です。

それでも、口にしなくなれば、その願いは少しずつ見えなくなってしまうのかもしれません。

だから今年も、うまく書けないまま、ことばにしてみたいと思います。


終戦記念日に思うこと

私は、戦争を経験していません。

知っていることの多くは、本で読んだことや、映像で見たこと、誰かから聞いたことです。

そのため、「わかる」とは簡単に言えません。

けれど、わからないからといって、考えなくてよいわけでもないのでしょう。

平和というと、つい大きな話をしなければならない気がします。

けれど私にとっての平和は、もっと小さな日常のなかにもあります。

娘が、明日の予定を楽しみにしながら眠れること。

いちごのかき氷を嬉しそうに食べること。

寝る前に「この絵本を読んで」と、当たり前のように本を差し出してくること。

今日の続きに、明日があると信じられること。

そんな名もない毎日が、誰かの都合で突然奪われないこと。

平和とは、遠くに掲げる立派な理想だけではなく、こうした小さな日常を守ることなのかもしれません。

沖縄と、家族のなかに残ることば

私の母は、沖縄出身です。

そして、私が会ったことのない祖父は、

「一番恐ろしいのは人間だ」

と言っていたそうです。

母から聞いた、その短いひと言だけが、今も私のなかに残っています。

祖父が何を見て、何を思い、その言葉を口にしたのか。

私は知りません。

生きているうちに、話を聞いてみたかったと思います。

けれど、聞けなかった空白を、私の想像で都合よく埋めてはいけないとも思います。

沖縄につながる家族がいるからといって、沖縄の痛みを自分のものとして語れるわけではありません。

だからこそ、知ろうとすること。

聞こうとすること。

そして、簡単に「わかった」と言わないことを、大切にしたいです。

家族の記憶は、いつも完全な形で手渡されるわけではありません。

たったひと言。

一枚の写真。

ふとしたときに聞いた話。

残された小さなかけらを、忘れないように持っていることしかできない場合もあります。

ことばは、人を傷つけるためにも、分断するためにも使えてしまいます。

それでも、失われそうな記憶を残すためにも使える。

「忘れていない」と伝えるためにも。

そして、平和を願い続けるためにも使えるのだと思います。

今週投稿した記事

今週は、エッセイ、掌編小説、往復書簡、感想、詩、音声配信と、さまざまな形でことばを残しました。

並べてみると、扱ったテーマも、文章の形もばらばらです。

それでも、誰かのことばを受け取ることや、自分の内側にある小さな声を聞くことが、どの記事にも流れているように感じました。


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