本能寺の変1582 【重史251】 「イエズス会日本年報」 №6-054 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史251】「イエズス会日本年報」 №6-054
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
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3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】
【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史251】 №6-054
①パードレ(ヴァリニャーノ)は、当所(安土)に約一ヵ月間滞在し、
②この地方のキリシタンを巡視する許可を信長に請うたところ、
③彼は、慈愛に満ちた言葉をもって許可を与へ、
④全領内希望の場所に、説教師を派遣することを許し、
⑤教えの弘布することは、彼の大いに喜ぶところであると言った
「イエズス会日本年報」
天正九年1581、四月**。 1581004**
ヴァリニャーノは、安土に一ヶ月ほど滞在した。
ビジタドールのパードレ(ヴァリニャーノ)は、当所に約一ヵ月間滞在し、
ヴァリニャーノは、信長の領内全域での布教を願い出た。
聖霊降臨祭(天正九年四月十二日)が過ぎて、この地方のキリシタンを巡視
する許可を信長に請うたところ、
信長は、それを許可した。
むしろ、歓迎している。
彼は、慈愛に満ちた言葉をもって許可を与へ、
全領内希望の場所に、説教師を派遣することを許し、
教えの弘布することは、彼の大いに喜ぶところであると言った。
(「イエズス会日本年報」)
信長には、ヴァリニャーノと語り合う時間が十分にあった。
おそらく、この頃であろう。
信長は、ヴァリニャーノから大きな刺激をうけた。
激動する世界の情勢等々。
様々な知識を得た。
そして、覚醒。
信長の心の中に、「さらなる夢」が芽生えた。
「シナ」
信長の思いは、海の向こう側にあった。
ヴァリニャーノは、そのことを見逃さない。
フロイスも、当然、そのことを知っている。
これが、天正九年1581春~初夏の状況である。
【引用】【京都馬揃え】【重史251】
【さらなる夢】
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