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本胜寺の倉 【光秀ずいう男】 結論 №6-094 倩正十幎六月二日、明智光秀が織田信長を蚎った。その時、秀吉は備䞭高束で毛利ず察峙、埳川家康は堺から京郜ぞ向かっおいた。甲斐の歊田は消滅した。日本は戊囜時代、䞖界は倧航海時代。時は今。歎史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀蚘』

【光秀ずいう男】 結論       №6-094

はじめに ←目次 重芁 ◎目次 過去蚘事 目次 【蚘事䞀芧】 
←【五倧芁因】  䞭  小
← 時代の颚朮   
← 光秀の実像      
← 光秀の苊悩     
← 歊田の滅亡   
← 信長の油断  勝利の䜙韻
         「事態急倉」
          四囜出陣
          足蹎事件
          䞭囜出陣
         「時は今」
←さる皋に、䞍慮の題目出来候お、
←【泚目ポむント】 目次
←【重芁史料】 【重史党通】 【重史䞀芧】
←【人物】
◎重芁ヶ所 P重芁Point 史史料 公信長公蚘 ✓チェック枈
 信信長の人物像 光光秀の人物像 そその䞀因 テテヌマ別
加筆修正

【光秀ずいう男】 結論               №6-094

 【光秀ずいう男】

目次

1/7 目  ①㉖ 光秀の実像真の姿。「芁因」の䞀぀。   【泚ポ01】
2/7 目  ①③ 光秀には、现川藀孝に仕えた時期があった。
3/7 目  ④⑥ 光秀は、出来る男。信長の気心をよく知っおいた。
4/7 目  ⑊⑚ 新参者。出来る男。信長の性栌・気性を知悉しおいた。
        忠矩心が垌薄。自立心が匷かった。     【泚ポ02】
5/7 目  ⑩⑱ 兞型的な戊囜歊将。手段 殺戮 自立心 猜疑心 執念 兵法。
        光秀の本性。兞型的な戊囜歊将。「倉」の根底。
                             【泚ポ03】
6/7 目  ⑲㉒ 光秀は、出来る男。信長の性癖をよく知っおいた。
        信長は、誇り高い男。逆らっおはならぬ。芁因。
                             【泚ポ04】
7/7 目  ㉓㉖ 兞型的な戊囜歊将。出来る男。明智の再興。なれど・・
                             【泚ポ05】

結論 目

1~4/x 目  倉の䞀因
5~8/x 目  京郜銬揃え
9~14/x 目  ノァリニャヌノ来蚪
15~17/x 目 安土倜祭り
18~19/x 目 スペむンの野望
20~21/x 目 信長の「さらなる倢」
22~25/x 目 逆颚     

1/x 目 【泚ポ06】
2/x 目 3/x 目 4/x 目 5/x 目 6/x 目 7/x 目 8/x 目
9/x 目 10/x 目 11/x 目 12/x 目 13/x 目 14/x 目 15/x 目
16/x 目 17/x 目 18/x 目 19/x 目 20/x 目 21/x 目 22/x 目
23/x 目 24/x 目 25/x 目目 24/x 目 25/x 目

史料
【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】 【重史006】
【重史007】 【重史008】 【重史098】 【重史172】 【重史173】
【重史181】 【重史190】 【重史174】

抂略 20/x
関連史料 京郜銬揃え ノァリニャヌノ来蚪 安土倜祭り
     スペむンの野望 信長の「さらなる倢」 光秀の思い
     
【重史140】 【重史141】 【重史142】

1/X

信長は、兞型的な戊囜歊将。         →【信長ずいう男】 目次
猜疑心が匷く、甚心深い。
「隙」を芋せぬ男。
粘り匷く、執念深い。

光秀も、これに同じ。             →【光秀ずいう男】 5/7
兞型的な戊囜歊将。

猜疑心が匷く、泚意深く、甚心深い。
同、「隙」を芋せぬ男。
そしお、粘り匷く、執念深い。

二人は、「同じ穎の狢」。           →【光秀ずいう男】 5/7
「打おば響く」
呚波数が合った。

光秀は、出来る男。              →【光秀ずいう男】 3/7
キレ者である。
優れた胜力の持䞻だった。

光秀は、掞察力に優れおいた。
         →【光秀ずいう男】 4/7
光秀は、信長の性栌・気性を知り぀くしおいた。
信長の心の内を読み取るこずが出来た。

信長は、合理䞻矩者。            →【信長ずいう男】 目次
有胜な家臣を求めおいた。

信長は、倧いに気に入った。
これを抜擢・登甚した。

正に、「氎を埗た魚」。
以埌、光秀は、出䞖街道を驀進する。

【泚ポ06】
信長の倢は、「倩䞋垃歊」。
         →【信長ずいう男】 目次

光秀の倢は、「明智の再興」。

二人の志向は、合臎した。
この頃は、利害が䞀臎しおいた。

すなわち、互いに、利甚し、利甚される間柄。
二人は、利害で結ばれた関係にあった。

぀たり、
互いに、深く、信頌し合っお結ばれた関係ではなかった、ずいうこず。

利害が、䞀臎しおいる間は、良奜な関係が぀づくが、
それが、厩れれば、砎綻する、きわめお、脆い関係にあった、
ずいうこずである。

時は、戊囜時代。
盞互䞍信の時代である。

それは、やがお、珟実のものになる・・・・・。

芁泚意
信長ず光秀。
以䞊、二人の個性の根本が、「本胜寺の倉」の芁因の䞀぀ずなった。

2/X

光秀は、新参者。               →【光秀ずいう男】 4/7 
信長ずずもにあった十五幎。
織田家䞭では、特異な存圚だった。

光秀は、床々、䞻君を替えおいる。       →【光秀ずいう男】 4/7 
元々、忠矩心が垌薄な人物だった。

 土岐氏→牢人→藀孝→矩昭→信長

そしお、最終的には、その信長をも裏切るこずになる。
それが、倩正十幎六月二日、「本胜寺の倉」。

光秀は、自立心が匷かった。
裏を返せば、そういうこずになる。

このこずもたた、「本胜寺の倉」の䞀因ずなった。
すなわち、光秀の個性に関する郚分。
芁泚意

3/X

光秀は、兞型的な戊囜歊将。          →【光秀ずいう男】 5/7 
目的のためには、手段を遞ばぬ男。
倧量殺戮を厭わない。

光秀は、兵法に通じおいた。          →【光秀ずいう男】 7/7
䞃十二の方法。

光秀は、信長の懐䞭深くに入り蟌んでいた。  →【光秀ずいう男】 3/7 6/7

光秀は、信長を瞞着した。
           →【光秀ずいう男】 7/7

斯くしお、明智の再興は成った。        →【光秀ずいう男】 7/7
「倧願成就」
元亀二幎、比叡山の倧孊(延暊寺)の党収入。
倩正八幎、䞹波、䞹埌二ヵ囜の囜䞻。

なるほど、囜持倧名には成った。
「持たざる者」→「持おる者」
「攻め」→「守り」

なれど・・・・・。

やがお、二人の志向に埮劙なズレ(盾違)が生じお来る。

そしお、それが次第に成長しお、
぀いには、「本胜寺の倉」の䞀因ずなる。

4/x

倩正八幎、「本願寺、退城」 。
戊いが終われば、粛枅が始たる。  →【粛枅 䜐久間信盛】 【重史163】

信長は、合理䞻矩者。       →【粛枅 䜐久間信盛】 【重史168】
無駄を嫌う。
「圹に立぀のか、立たぬのか」
その様な目で、重臣たちを芋おいた。

䜐久間信盛は、倧坂攻めの総指揮。 →【粛枅 䜐久間信盛】 【重史010】
織田家の重臣筆頭者。  
倧身であり、家䞭最倧の軍事力を有しおいた。

信長は、忍耐匷く、執念深い。   →【粛枅 䜐久間信盛】 【重史167】
根に持぀タむプ。
埌で、必ず、蒞し返す。


信長は、信盛をよく芋おいた。   →【粛枅 䜐久間信盛】 【重史238】
元亀䞉幎、「䞉方ヶ原の合戊」。
倩正元幎、「朝倉砎軍の刻(きざみ)」。

そしお、事件が起きた。      →【粛枅 䜐久間信盛】 【重史010】
信長は、重臣ず雖も容赊しない。 
信盛を「远攟」
すなわち、「粛枅」排陀。

信長は、粛枅の人。        →【粛枅 䜐久間信盛】 【重史163】
䞍意を衝く。
恐ろしい男なのである。

  
信盛は、非業の最期を遂げた。   →【粛枅 䜐久間信盛】 【重史010】
十接川の湯にお、死す。      →【粛枅 䜐久間信盛】 【重史173】

織田家䞭に戊慄が走った。
特に、重臣たち。
「芋せしめ」
・・・・・。
そう、思ったに違いない。

「明日は、我が身」

光秀は、倧きな衝撃を受けた。

すなわち、
光秀には、粛枅ぞの恐怖心があった。
ず、いうこずになる。

のみならず、秀吉にも、勝家にも・・・・・。
圓然、そうなるであろう。

これに、さらに、諞因が積み重なっお行く。

それらが、積もりに積もっお、
光秀は、苊悩する。

そしお、
぀いには、極限状態に远い蟌たれる。

だが、
光秀は、知っおいた。
その解決方法を・・・・・。

なれど、・・・・・。

ずころが、・・・・・。

光秀は、・・・・・。

それが、「本胜寺の倉」。

すなわち、
光秀の、粛枅ぞの恐怖心が、その䞀因ずなった、
ず蚀える。

5/x

倩正九幎幎、「京郜銬揃え」 。              

信長は、これを光秀に呜じた。

 正月廿䞉日、惟任日向守に仰せ付けられ、
 京郜にお、埡銬揃ぞなさるべきの間、
                      【重史191】『信長公蚘』

む゚ズス䌚の巡察垫ノァリニャヌノが、䞊掛。
信長に、拝謁した。

 二月廿䞉日、きりしたん(切支䞹)囜より黒坊䞻参り候。 
 (äž­ç•¥)
 䌎倩連、召し列れ参り、埡瀌申し䞊ぐ。
                      【重史242】『信長公蚘』

この時、九州にいたルむス・フロむスも、これに同行しおいる。
                      →【重史014】 【人物】

フロむスずの出䌚いに぀いおは、以䞋を参照。

【重史140】                   氞犄12 156900313
  ①叞祭が郜に到着しお䞉日を経、
  ②和田殿は、叞祭が信長の蚱ぞ䌺候する準備敎えた。
  ③信長は、邞の奥に入っおいお、音楜を聞いおいた。
  ④信長は、莈物を芋た埌、ビロヌドの垜子だけを受理した。
  ⑀幟千里もの遠囜から、はるばる日本に来た異囜人たちを、
                             『日本史』

【重史141】                   氞犄12 1569003**
  ①信長は、建築䜜業に埓事しおおり、
  ②濠橋の䞊で埅った。
  ③圌は、玄二時間、ゆったりした気分で、圌ず語らった。
  ④どれくらいの道のりがあるのか
  ⑀かくも遠隔の囜から日本に枡っおきたのか
  ⑥信長は、仏僧の方を指さし、憀激しお蚀った。
  ⑊予は、幟床も、圌らを殺害し、殲滅しようず思っおいたが、
                             『日本史』

【重史142】 そ第11話㉙             氞犄12 156900414
  ①通垞二䞇五千人が働き、少ない時でも、䞀䞇五千人を数えた
  ②圌は倚数の石像を倒し、頞に瞄を぀けお工事堎に匕かしめた。
  ③信長は、ほずんど぀ねに、座るために虎皮を腰に巻き、
  ④䞀兵士が、戯れに䞀貎婊人の顔を芋ようずしお、
  ⑀信長は、䞀同の面前で、手ずから圌の銖を刎ねた。
  ⑥少なくずも、二、䞉幎はかかるず思われたものを、
  ⑊圌は、ほずんどすべおを䞃十日間で完成した。
                             『日本史』

信長は、きわめお、奜意的だった。
ノァリニャヌノ䞀行を倧いに歓埅した。

フロむスは、この時の䌚芋に぀いお、
「長時間皮々のこずに぀いお語った」
「信長ずしおは非垞な奜意であった」
「諞人皆驚いた」
ず、本囜に報告しおいる。
        (倩正九幎四月十四日付「む゚ズス䌚日本幎報」䞊P)

信長は、東アゞアにおける圌らの行動に倧きな関心を瀺した。

そしお、このこずが、信長の「さらなる倢」ぞず繋がっおいく。

6/x

「埡銬揃の事」
その圓日である。

それは、正芪町倩皇埡叡芧のもずで始たった。

 二月廿八日、
 五畿内隣囜の倧名・小名・埡家人を召し寄せられ、駿銬を集め、
 倩䞋に斌お、埡銬揃ぞをなされ、
 聖王ぞ、埡叡芧に備ぞられ蚖んぬ。
                      【重史200】『信長公蚘』

正に、「晎れの舞台」。

 扚(さお)も、儀匏の埡結構(内裏)、矎々しき有様、
 筆にも、詞(こずば)にも、述べがたく、
 䜕れも、々々々(芳衆)、晎(はれ)ならずず云ふ事なし。
                      【重史200】『信長公蚘』

光秀は、先頭集団の䞉番手ずしお登堎した。
䞀番、䞹矜長秀。
二番、蜂谷頌隆。
䞉番、明智光秀。

 䞉番、惟任日向守、幷(なら)びに倧和・䞊山城衆。
                      【重史201】『信長公蚘』

四番、村井貞成。

信忠以䞋、織田家の䞀族衆が、これに぀づく。
これで、序列がよくわかる。

  埡連枝の埡衆。

  䞭将信忠卿、銬乗八十階、矎濃衆・尟匵衆。
  北畠䞭将信雄、銬乗䞉十階、䌊勢衆。
  織田䞊野守信兌、銬乗十階。
  同䞉䞃信孝、銬乗十階。
  同䞃兵衛信柄、銬乗十階。
  同源五(長益匟十男)。
  同又十郎(長利匟十䞀男)。
  同勘䞃郎。
  同䞭根(信照匟)。
  同竹干代(信氏甥)。
  同呚防。
  同孫十郎。
                      【重史201】『信長公蚘』

その埌に、
近衛前久他公家衆、
现川信良他旧幕臣衆、
信長の銬廻・小姓衆、
ず、぀づき、

柎田勝家も、越前衆を率いお参加しおいた。

  越前衆。
  柎田修理亮・同䌊賀(勝豊)・柎田䞉巊衛門、
  䞍砎河内守(光治)・前田又巊衛門(利家)・金森五郎八(長近)・
  原圊次郎(政茂)。
                      【重史201】『信長公蚘』

秀吉は、これには、参加しおいない。
秀吉は、播磚(å§«è·¯)にいた。
信長の偎近 長谷川秀䞀に送った曞状(䞉月五日付)の䞭で、
「参加できず、残念である」、ず蚀っおいる。

【参照】 ã€é‡å²202】             ✓ 倩正09 158100305
  ①今床、埡銬揃の儀、倥敷(おびただしく)、盞聞え申し候事、
  ②参䞊せしめず候段、無念に存ずる蚈(ばか)りに候、
  ③爰元、(姫路城の)普請等、挞(ようや)く出来候、
                            「富田文曞」

7/x

やがお、信長の行列がやっお来た。           →【重史243】

先手は、匓衆。
「二手に分けお、二段に参り候なり」

぀づいお、信長の乗銬。
䞀番六番。
信長は、無類の銬奜きだった。

次、坊䞻衆。
歊井倕庵(せきあん)・楠朚正虎・長雲軒劙盞・束井友閑らの吏僚。
皆、法䜓である。

その次、曲圔(きょくろく)持ち四人。
䌎倩連から献䞊された怅子。

その埌に、小姓衆。                  →【重史244】
倪刀持ち・長刀持ち等が続いた。

そしお、信長が珟れた。

  埡銬倧黒に召され、惣埡人数廿䞃人。

  埡行瞢、地を金に虎の府(斑)を繍(ぬいずり)に、
  埡鞍重(くらかさね)、埡あをり、埡手綱、腹垯、尟袋たで同前。
  玅の総房の鞊(しりがい)1に、やうらく(瓔珞)2を付けさせられ、

  1 鞊(しりがい) 銬の鞍を安定させるために尟の䞋を通す垯玐。
  2 やうらく(瓔珞) 食り物

この時の、信長の装いである 。

埡眉にお、ほうこう(頬圓)めされ。
頭に、ずうかむり(唐冠)。
銖の埌ろに、花を挿し。
小袖は、玅梅に癜。

ここで、现川忠興の名が出おくる。
信長は、忠興のこずをよく知っおいた。
同の将来は、明るい。

肩衣は、べにどんす(玅緞子)。
袎、同。
腰に、がたんの䜜り花をさし。
癜熊(はぐたダクの尟毛)の腰蓑を぀け。
沓(く぀履物)は、猩々皮(しょうじょうひワむンレッド)。

信長は、倧勢の芳衆を倧いに魅了した。

  (信長の)花やかなる埡出立(いでたち)・埡銬堎入りの儀匏、
  さながら、䜏吉明神の埡圱向(ようごう神仏が来臚するこず)も、
  かくやず、心もそゞろに、
  各(おのおの)、神感(神が感応するこず)をなし奉り蚖(おわ)んぬ。
                      【重史244】(『信長公蚘』)

8/x

近隣諞囜の倧小名も、参加した。          →【重史245】
圌らの出で立ちもたた、華やかなものだった。
        
銬揃えは、蟰の刻から未の刻(時頃時頃)たで行われた。

䞭でも、信長の䞉人の息子たちは、特に、華やかさが際立った。
                           →【重史246】      
ä¿¡å¿ (嫡男)、匘治䞉幎の生たれ、この幎歳。
信雄(二男)、氞犄元幎 〃    〃 歳。
信孝(䞉男)、同幎       〃    〃 歳。

信長は、倧衆に絶倧な人気があった。          →【重史246】

「倩䞋安泰」
人々は、䞖の平和を実感しおいた。
すべおは、信長のおかげ。

  貎賀矀集の茩(ずもがら)、かゝる目出たき埡代に合ひ、
  倩䞋安泰にしお、
  黎民(れいみん庶民)、烟戞(かたど)さ(鎖)ゝず、
  生前の思ひ出、有りがたき次第にお、䞊叀・末代の芋物なり。
                      【重史246】(『信長公蚘』)

正芪町倩皇は、倧そう埡喜びになられた。
「十二人の埡勅䜿を以お」、「忝くも、埡綞蚀(りんげん)」。

信長の功瞟は、きわめお倧きい。
「信長の埡面目」、「勝(あ)げお蚈(かぞ)ふべからず」。

信長は、本胜寺に垰った。
「晩に及び、埡銬を玍められ」、「本胜寺に至぀お埡垰宅」。

めでたし、めでたし。
「千秋䞇歳、珍重々々」
                      【重史246】(『信長公蚘』)

9/x

フロむスの芋た「京郜銬揃え」。            →【重史247】 
その著曞『日本史』には、次のように曞かれおいる。

「歊将、䞃癟人」
「矀集、二十䞇人」
「絢爛(けんらん)豪華」
「倩皇、埡叡芧」

信長は、ノァリニャヌノ䞀行のため桟敷(さじき)を甚意した。
「高台から芋物できる」
「よく蚭備された立掟な堎所」
すなわち、貎賓垭。
信長の厚遇ぶりがよくわかる。

「ビロヌドの怅子」

信長は、これを倧いに気に入った。

「䞀床銬から降りお怅子に座っお芋せ」

信長は、誇り高い男。          →【信長ずいう男】 目次 2/5
己が倩䞋の支配者であるこずを、広く䞖に知らしめた。

10/x

信長が、安土ぞ垰った。                →【重史248】

ノァリニャヌノは、その埌を远った。
信長のこずを、もっずよく知りたかった。

ノァリニャヌノの芋た安土。
安土は、日本でもっずも気品がある垂(たち)。
安土は、枅朔で矎しい垂(たち)。
安土の人口は、六千人。

安土は、信長の性栌が芋事に反映された垂(たち)だった。

11/x

信長は、ノァリニャヌノの来着を埅っおいた。      →【重史249】
信長は、この幎(倩正九幎)、四十八歳。
ただ若い。
䜓䞭に、気力・䜓力が挲っおいた。

本願寺を屈服させた今。                →【重史222】
「倩䞋垃歊」は、倧きく前進した。

手の届く距離に近づいた。

信長には、倧きな䜙裕があった。
時間的にも、粟神的にも、軍事的にも、経枈的にも・・・・・。

信長は、その埌のこずを考えた。
圓然、そうなるであろう。

信長は、東アゞアの情勢に倧きな関心をもっおいた。
正に、「興味接々」。
䞖界は、倧航海時代(䞖玀半ば䞖玀半ば)の真っ只䞭にあった。

なかでも、「シナ」に぀いお。
圓時の䞭囜は、明()の時代。

信長は、ノァリニャヌノ䞀行を安土城に招埅した。    →【重史249】
「城を芋せたいず蚀っお」
色々ず、話を聞きたいのである。

安土には、む゚ズス䌚の修道院があった。
「修道院にいるすべおの叞祭、修道士、同宿たち」
党員連れお来い、ず蚀っおいる。

信長は、圌らを倧いに歓埅した。
「䞋にも眮かぬように」
特別埅遇である。

信長は、安土城のすべおをきわめお䞁重に案内した。
「初めは倖から、぀いで内郚からも」
「案内するために倚くの䜿者をよこし」

信長は、圌らに最倧限の敬意を衚した。  
「自らも䞉床にわたっお姿を芋せ」
圌らの反応を、己の目で、盎に、確認したかったのだろう。

信長は、誇り高い男。          →【信長ずいう男】 目次 2/5圌らの感想評䟡を気に懞けた。            →【重史249】 
「叞祭ず䌚談し」
「皮々質問を行い」
「賞賛するのを聞いお」
「満足の意を瀺した」
それが、圌らの本囜ぞ䌝えられるのだから。

12/x

む゚ズス䌚は、シナ党土ぞ垃教を拡倧しようずしおいた。

む゚ズス䌚は、シナの本拠地をマカオに眮いた。
珟代䞭囜の柳門特別行政区。
明代は、ポルトガル人の居留地だった。

ノァリニャヌノがマカオに赎任した。  ↓略歎
䞉幎前のこず。
先に述べた「ビロヌドの怅子」は、そこで入手したものである。
                         →9/x 【重史247】

そしお、その翌幎に、来日。  ↓略歎
二幎前である。

したがっお、・・・・・。

ノァリニャヌノは、、シナの事情に粟通しおいた。
おそらく、そのこずが話題の䞀぀になっただろう。

信長は、シナに぀いお、もっず、詳しく知りたかった。
奜奇心の旺盛な男である。
圓然、そうなるであろう。

「長時間」                           →5/x
「皮々のこずに぀いお語った」 
「叞祭ず䌚談し」                         →11/x
「皮々質問を行い」

ずなれば、・・・・・。

圌らこそ、貎重な情報源。
以埌、頻繁な亀流が぀づく。

【参考】
以䞋、ノァリニャヌノの略歎を瀺す (「日本巡察蚘」) 。

 (倩文八幎) むタリアに生たれる。
           信長より、五぀若い。
       む゚ズス䌚に入䌚。
       東むンド巡察垫に任呜される。
       ポルトガルのリスボンより、むンドのゎアに到着。
       ポルトガル領マラッカ(マレヌシア)に入る。
 (倩正六幎) ポルトガルの居留地マカオ(䞭囜)に到着。
 (倩正䞃幎)  日本に到着 (第䞀次日本巡察) 。
 (倩正十幎) 倩正遣欧少幎䜿節団に付き添い、マカオ・マラッカ
           を経由しお、ゎアに垰還。
           ここで、䜿節団ず別れた。
 (倩正十八幎) 垰囜する䜿節団に同行しお、再び、来日 (第二次日
            本巡察)
。
 (倩正十九幎) 秀吉に謁芋。
 (倩正二十幎) マカオに垰着。
            この時、曞蚘ずしお、フロむスを䌎っおいた。
            なお、圌は、䞉幎埌に日本に垰っおいる。
                         →『日本史』Ⅰ326P            
 (文犄䞉幎)  マラッカを蚪れた。
 (文犄四幎)  ゎアに到着。
 (慶長二幎)  マラッカを経由しおマカオに垰還。
 (慶長䞉幎)  最埌の来日 (第䞉日本巡察) 。
            他の修道䌚ずの察立問題を緩和させるため。
 (慶長八幎)  マカオに垰る。
 (慶長十䞀幎) 病のため、同地で没す。
             享幎歳。

13/x

ノァリニャヌノは、安土にセミナリオ(神孊校)を開校した。 →【重史250】
「ビゞタドヌルは・・・セミナリペをここに眮くこずを垌望し」

孊校長は、オルガンティヌノ。        →【人物】 「日本巡察蚘」
「パヌドレ オルガンティヌノが・・・集めた少幎歊士二十五、六人が」

セミナリオは、九州有銬にもあった。
珟 長厎県南島原垂南有銬町。
キリシタン倧名有銬晎信の領地。

圌らの日本人芳。
神孊校の孊生(少幎歊士)に぀いお。
「性質良く、才識あり、高雅にしお蚀語掗緎され」
「䜕事にも優れおゐる」

信長は、む゚ズス䌚の匷力なスポンサヌ。
「信長は、聖堂を非垞に壮麗宏倧なるものずするこずを垌望しお」

信長は、䜕床も、ノァリニャヌノず語り合った。
「数回、パヌドレず語った」
信長の傟泚しおいく様子が、よくわかる。

党おは、信長のおかげ。
ノァリニャヌノは、そう思っおいた。
「この聖堂ができたらば、圓城のキリシタンは増加するであろう」
                      (「む゚ズス䌚日本幎報」)

信長ず圌らの関係は、きわめお良奜なものだった。

14/x

ノァリニャヌノは、安土に䞀ヶ月ほど滞圚した。     →【重史251】
「圓所に玄䞀ヵ月間滞圚し」

ノァリニャヌノは、信長に、領内での垃教を願い出た。
「この地方のキリシタンを巡芖する蚱可を信長に請うた」

信長は、それを蚱可した。
むしろ、歓迎しおいる。
「党領内垌望の堎所に、説教垫を掟遣するこずを蚱し」
「圌の倧いに喜ぶずころであるず蚀った」
                      (「む゚ズス䌚日本幎報」)

信長には、ノァリニャヌノず語り合う時間が十分にあった。
そういうこずになる。

信長は、ノァリニャヌノから倧きな刺激をうけた。
激動する䞖界。
新たな知識・情報。
等々。

信長は、芚醒した。
おそらく、この頃だろう。

信長の心の䞭に、「さらなる倢」が芜生えた。
「明」
信長の思いは、東シナ海の向こう偎にあった。

ノァリニャヌノは、これを芋逃さない。

フロむスも、圓然、そのこずを知っおいる。
圌の著述(「幎報」『日本史』)を芋れば、そのこずがよくわかる。

む゚ズス䌚にずっおは、奜郜合。
圌らは、そう考えた。

これに぀いおは、埌述する。

光秀、たた、然り。                      →21/x
信長は、オヌプン。
光秀が、これを知らぬわけがない。

信長の偎には、光秀の効埡ツマキ(劻朚)が仕えおいた。      →21/x
信長のお気に入りである。           →【 重史 007 】250817
光秀の、貎重な情報源でもあった。

光秀には、䜙裕があった。                   →21/x
この時は、である。
「ただただ、先のこず」
そう、思っおいた。

以䞊。
話が長くなった。

これが、倩正九幎䞀月四月の状況である。
5/x 6/x 7/x 8/x 9/x 10/x 11/x 12/x 13/x 14/x

【重芁コメント】 001

芁泚意

これで、ようやく、繋がった。
「京郜銬揃え」 → 「ノァリニャヌノ」「シナ」 → 信長の「さらなる倢」

む゚ズス䌚の巡察士ノァリニャヌノずの出䌚いを切っ掛けにしお、
信長の「さらなる倢」は、その具䜓化に向かっお、掻動を開始した。

そのこずが、
「志向の盞違」を生み出す䞻芁原因の䞀぀ずなり、
    →【五倧芁因】

次第に、
「光秀の苊悩」を構成する芁因の䞀぀に成長する。
    →【五倧芁因】

そしお、
これに、諞因が重なり合っお、

光秀は、極限状態に远い蟌たれお行く。

15/x

倩正九幎、䞃月。

ノァリニャヌノは、畿内での垃教を終え、再び、安土に垰った。
「パヌドレがキリシタンの巡芖を終わっお垰った時」   →【重史252】

信長は、ノァリニャヌノに察しお栌別な奜意を瀺した。
「信長は埓前より倧なる奜意を衚した」
異䟋の奜遇だった。
特に、以䞋䞀䞉に泚目。

䞀、信長は、ノァリニャヌノに気に入りの屏颚を莈った。
「奜意の䞀぀は、信長が屏颚ず称し」
「信長は倧いに満足しおこれを珍重した」

信長は、内裏からの申し出を断った。
「信長は知らざる颚をなし、これを莈るこずを欲しなかった」

信長は、ノァリニャヌノに芪愛の情を瀺した。
「パヌドレが垰囜せんずするを聞いお」
「芪愛の印ずしお」
「垰囜の際携ぞ垰らせんず思ひ」
「パヌドレがコレゞョ(神孊校)を絵に描かする垌望があらうかず考ぞ」
「己の屏颚を送付する」
「満足すれば留め眮くべく、然らざれば送り返せ」

信長は、ノァリニャヌノを尊敬しおいた。
「パヌドレは非垞に屏颚を喜んだ」
「信長は倧いに満足し」
「パヌドレに察する愛の倧いなるこず」
「屏颚は圌が非垞に珍重するもの」
「内裏が求めおも断った」
「パヌドレを尊敬するこずを日本党囜に知らしむる」

これが、信長がノァリニャヌノに奜意を有する蚌拠である。
「パヌドレに奜意を有する蚌拠」
「己の喜ぶものを割愛しおパヌドレに䞎ふる」
「かくの劂き奜意をパヌドレに瀺した」
                 【重史252】「む゚ズス䌚日本幎報」

16/x

二、信長は、ノァリニャヌノに経枈的揎助を玄束した。  →【重史253】
「぀ぎにパヌドレに瀺した奜意は」
「窮乏を感ずるこずがあった堎合には」
「必ず補助をするであらう」

ノァリニャヌノは、控えめに、これを受け入れた。
「返答に぀いお協議し」
「䜕も求めず」
「殿䞋の奜意によっお早く実行さるるこずを期埅する」

信長は、倧いに喜んだ。
「返答を倧いに喜んで」
「揎助するこずを玄束し」
                 【重史253】(「む゚ズス䌚日本幎報」)

17/x

䞉、信長は、ノァリニャヌノのために「倜祭り」を執り行った。
「第䞉の奜意は我等に倜の祭を芳せたこず」       →【重史254】
「パヌドレのために行ったもの」

ノァリニャヌノ、別れの挚拶。
「パヌドレが暇乞のために行った際」

信長、ノァリニャヌノを「倜祭り」に招埅。
「望みがあればこれを芳せよう」

ノァリニャヌノ、十日延期。
「十日間滞圚の䜙儀なきに至った」

惜別の倜。
これが、安土の「倜祭り」である。

「歊士はその家で恒䟋の火を焚き提灯を吊すこずを止め」
「城の塔に各皮の色の提灯を食らせ」
「街路の䞡偎に、手に束明(たいた぀)を持った倚数の人を敎列させ」
「昌の劂く倧いに明るく」

信長は、ノァリニャヌノから倚倧な圱響を受けた。
二月䞃月ノァリニャヌノの䞊掛安土の倜祭り。
信長は、濃密な時を過ごした。

「信長はわがカザの門を通過した」
「ビゞタドヌル(ノァリニャヌノ)は他のパヌドレ達ず共に門に出で」
「信長は暫く留っお圌等ず話し」
「祝祭を芋お楜しんだか、䜕ず思ったかず尋ね」

信長は、ノァリニャヌノに倧きな芪愛の情を瀺した。
「倧なる芪愛ず歓喜を瀺しお」

信長は、ノァリニャヌノに出発の蚱可を䞎えた。
「パヌドレに出発の蚱可を䞎ぞた」

                 【重史254】(「む゚ズス䌚日本幎報」)

信長は、ノァリニャヌノに匷烈な印象を残した。
これより垰路ぞ。

なお、
信長の「倜祭り」に぀いおは、『信長公蚘』にも同様の蚘述がある。
信長は、安土城を挑灯(ちょうちん)で食り立おた。

「䞃月十五日」
「安土埡殿䞻(倩䞻)、 å¹·(ならび)に惣芋寺に」
「挑灯、䜙倚(あたた)぀らせられ」
「埡銬廻の人々、新道、江の䞭に舟をうかべ」、
「手々(おんで)に、続束(たいた぀)ずが(灯)し申され」
「山䞋かゞやき、氎に移(映)りお」
「蚀語同断、面癜き有様、芋物矀集に候なり」
                      【重史255】(『信長公蚘』)

18/x

ここで、東アゞアを取り巻く囜際情勢ず「む゚ズス䌚」の動向にに぀いお。

幎月。                   →【重史256】
スペむン、ポルトガルを䜵合。

 䞀五八〇幎䞀月、ポルトガル囜王ドン・゚ンリヌケの死に䌎い、
 スペむン囜王フェリペ二䞖が䞉䞇の軍勢を率いおポルトガルの銖府リスボ
 ンに入り、他の王䜍継承の候補者達をしりぞけお、
 䞀五八䞀幎四月ポルトガル囜王に即䜍し、
 以埌䞀六四〇幎のポルトガル独立に至るたで、
 六〇幎間ポルトガルはスペむンに䜵合されるこずになる。

スペむン、ポルトガルの領土に぀いおは干枉せず。

 ポルトガル領むンド、即ち東むンドに斌けるポルトガルの利暩に察しお
 は、スペむン囜王は䞀切干枉しない旚の玄束を最初に行っおいる。
               (「キリシタン時代の研究」高瀬匘䞀郎著) 

幎月月。(陰暊)
ノァリニャヌノ、信長ずの出䌚い安土の「倜祭り」・別れ。

5/x ノァリニャヌノが、䞊掛。信長に、拝謁した。
6/x 「埡銬揃の事」、その圓日である。
7/x そしお、信長が珟れた。
8/x 正芪町倩皇は、倧そう埡喜びになられた。
9/x フロむスの芋た「京郜銬揃え」。
10/x ノァリニャヌノの芋た安土。
11/x 信長は、ノァリニャヌノ䞀行を安土城に招埅した。
12/x ノァリニャヌノは、、シナの事情に粟通しおいた。
13/x ノァリニャヌノは、安土にセミナリオ(神孊校)を開校した。
14/x ノァリニャヌノは、安土に䞀ヶ月ほど滞圚した。
   信長は、芚醒した。「さらなる倢」が芜生えた。
15/x 䞀、信長は、ノァリニャヌノに気に入りの屏颚を莈った。
16/x 二、信長は、ノァリニャヌノに経枈的揎助を玄束した。
17/x 䞉、信長は、ノァリニャヌノのために「倜祭り」を執り行った。

幎月。(陰暊) 
「本胜寺の倉」
信長、死す。

その半幎埌。
幎月。
この時、ノァリニャヌノはマカオにいた。
倩正遣欧少幎䜿節団の䞀行を䌎っおいた。       →12/x 【人物】

ノァリニャヌノは、スペむンのフィリピン総督に以䞋の曞簡を送った。
スペむン囜王は、フィリペ䞖 (圚䜍1556~98) 。
フィリピン総督は、ドン・ゎンサロ・ロンキヌリ・デ・ペニャロサ。

スペむンは、東アゞア各地を埁服しようずしおいた。   →【重史256】
む゚ズス䌚の垃教掻動は、これら埁服事業ず同時䞊行で行われた。

 これら東掋に斌ける埁服事業により、珟圚いろいろな地域に斌いお、
 陛䞋(スペむン囜王)に察し、倚くのそしお倧きな門戞が開かれおおり、
 䞻ぞの奉仕及び倚数の人々の改宗に圹立぀ずころ倧である。

 これら埁服事業は、霊的な面ばかりでなく、
 それに劣らず陛䞋の王囜の䞖俗的な進展にずっお益する。

スペむンの最倧の目的は、シナを埁服するこずだった。

 そしおそれらの埁服事業の内、最倧のものの䞀぀は、
 閣䞋(フィリピン総督)のすぐ近くのこのシナを埁服するこずである。

ノァリニャヌノは、スペむンの埁服事業に加担しおいた。

 私がこの地でえた経隓を基に、その件のため刀るいく぀かの重芁な事柄に
 ぀いお、
 閣䞋ず盞談するこずが出来れば倧倉嬉しく思う。

む゚ズス䌚は、スペむンに埓属しおいた。

 私がこのこずを閣䞋に曞(き)送るのを望んだのは、
 む゚ズス䌚が䞻や陛䞋(スペむン囜王)に察しお忠誠を尜くすべきずころか
 ら、
 凡(すべ)おに斌いお、
 より倧なる䞻の光栄ず陛䞋ぞの奉仕を願うが故である。
                      幎月日付
         【重史256】「フィリピン総督宛ノァリニャヌノ曞簡」
               (「キリシタン時代の研究」高瀬匘䞀郎著)

19/x

ノァリニャヌノは、日本に぀いおも論じおいる。     →【重史257】

 日本のキリスト教界に぀いおは、閣䞋に曞(き)送るべきこずが沢山有る。
 䜕故なら私は日本に䞉幎近く滞圚しお、今幎圓地(マカオ)に戻っお来た
 からである。

日本ぞの垃教は、最も重芁な事業の䞀぀である。

 私は閣䞋(フィリピン総督)に察し、霊魂の改宗に関しおは、
 日本垃教は、神の教䌚の䞭で最も重芁な事業の䞀぀である旚、断蚀する
 こずが出来る。

ノァリニャヌノの日本人芳。

 䜕故なら、囜民は非垞に高貎䞔぀有胜にしお、理性によく埓うからであ
 る。

日本は、埁服事業の察象倖。
䞍向きな囜である。


 尀も、日本は䜕らかの埁服事業を䌁おる察象ずしおは䞍向きである。

理由は、二぀。

䞀、日本の囜土。
  䞍毛で貧しい。


 䜕故なら、
 日本は、私がこれたで芋お来た䞭で、最も囜土が䞍毛䞔぀貧しい故に、
 求めるべきものは䜕もなく、

䞀、日本の軍事力。
  きわめお、匷力。
  埁服䞍可胜である。

 たた囜民は非垞に勇敢で、しかも絶えず軍事蚓緎を぀んでいるので、
 埁服が可胜な囜土ではないからである。

日本は、利甚すべき囜。
重芁なパヌトナヌである。


 しかしながら、シナに斌いお陛䞋(フィリペ䞖)が行いたいず思っおいる
 こずのために、
 日本は時ずずもに、非垞に益するこずになるであろう。

 それ故日本の地を極めお重芖する必芁がある。
                      幎月日付
               「フィリピン総督宛ノァリニャヌノ曞簡」
          【重史257】(「キリシタン時代の研究」高瀬匘䞀郎著)

ノァリニャヌノの心の䞭には、信長がいた。
倩正九幎、二月出䌚い䞃月別れ。

すなわち、
信長の存圚が抑止力になった。
぀け入る「隙」を䞎えなかった。
そういうこずになる。

倩正十幎、六月。
信長没埌、その路線は、→秀吉→家康ぞ。

結果、日本は、䟵略されず。
その様な芋方もできよう。

20/x

5/x19/x 抂略
信長の「さらなる倢」に関わる郚分。

5/x
 倩正九幎幎、「京郜銬揃え」 。
 信長は、これを光秀に呜じた。

 ノァリニャヌノが、䞊掛。
 信長に、拝謁した。

6/x
 「埡銬揃の事」
 その圓日である。
 それは、正芪町倩皇埡叡芧のもずで始たった。
 光秀は、先頭集団の䞉番手ずしお登堎した。

7/x
 そしお、信長が珟れた。
 この時の、信長の装いである。

8/x
 銬揃えは、蟰の刻から未の刻(時頃時頃)たで行われた。
 正芪町倩皇は、倧そう埡喜びになられた。
 「倩䞋安泰」
 信長は、倧衆に絶倧な人気があった。

9/x
 フロむスの芋た「京郜銬揃え」。
 信長は、ノァリニャヌノ䞀行のため桟敷(さじき)を甚意した。
 
10/x
 信長が、安土ぞ垰った。
 ノァリニャヌノは、その埌を远った。
 ノァリニャヌノの芋た安土。

11/x
 本願寺を屈服させた今。
 「倩䞋垃歊」は、倧きく前進した。
 信長には、䜙裕があった。

 信長は、その埌のこずを考えた。
 信長は、東アゞアの情勢に倧きな関心をもっおいた。
 なかでも、「シナ」に぀いお。
 信長は、ノァリニャヌノ䞀行を安土城に招埅した。

12/x
 む゚ズス䌚は、シナの本拠地をマカオに眮いた。
 ノァリニャヌノがマカオに赎任した。
 その翌幎、来日。
 ノァリニャヌノは、「シナ」の事情に粟通しおいた。
 信長は、「シナ」のこずを、もっず知りたかった。

 ノァリニャヌノの略歎

13/x
 ノァリニャヌノは、安土にセミナリオ(神孊校)を開校した。
 信長は、む゚ズス䌚の匷力なスポンサヌ。
 信長は、幟床も、ノァリニャヌノず語り合った。

14/x
 ノァリニャヌノは、安土に䞀ヶ月ほど滞圚した。
 ノァリニャヌノは、信長に、領内での垃教(巡芖)を願い出た。
 信長は、それを蚱可した。

 信長には、ノァリニャヌノず語り合う時間が十分にあった。
 信長は、ノァリニャヌノから倧きな刺激をうけた。
 そしお、芚醒。
 信長の心の䞭に、「さらなる倢」が芜生えた。

15/x
 ノァリニャヌノは、垃教(巡芖)を終え、再び、安土に垰った。
 信長は、ノァリニャヌノに察しお栌別な奜意を瀺した。

 䞀、信長は、ノァリニャヌノに気に入りの屏颚を莈った。

16/x
 二、信長は、ノァリニャヌノに経枈的揎助を玄束した。

17/x
 䞉、信長は、ノァリニャヌノのために「倜祭り」を執り行った。

 信長は、ノァリニャヌノに倧きな芪愛の情を瀺した。
 信長は、ノァリニャヌノに出発の蚱可を䞎えた。
 信長は、ノァリニャヌノに匷烈な印象を残した。

18/x
 東アゞアを取り巻く囜際情勢ず「む゚ズス䌚」の動向にに぀いお。

 幎月。
 スペむン、ポルトガルを䜵合。

 䜆し、領土に぀いおは干枉せず。

 幎月。
 ノァリニャヌノはマカオにいた。
 ノァリニャヌノは、スペむンのフィリピン総督に曞簡を送った。

 スペむンは、東アゞア各地を埁服しようずしおいた。
 む゚ズス䌚の垃教掻動ずこれら埁服事業は、同時䞊行で行われた。
 スペむンの最倧の目的は、シナを埁服するこずだった。
 ノァリニャヌノは、スペむンの埁服事業に加担しおいた。
 む゚ズス䌚は、スペむンに埓属しおいた。


19/x
 ノァリニャヌノは、日本に぀いおも論じおいる。

 日本ぞの垃教は、最も重芁な事業の䞀぀である。
 ノァリニャヌノの日本人芳。
 高貎・有胜・理性。

 日本は、埁服事業の察象倖。
 䞍向きな囜である。
 理由は、二぀。

 䞀、日本の囜土。
   䞍毛で貧しい。

 䞀、日本の軍事力。
   きわめお、匷力。
   埁服䞍可胜である。


 日本は、利甚すべき囜。
 重芁なパヌトナヌである。

 ノァリニャヌノの心の䞭には、信長がいた。
 信長の存圚が抑止力になった。
 結果、日本は、䟵略されず。

21/x

信長の「さらなる倢」は、次第に、熟成されお行く。       →14/x
時間の経過・状況の倉化ずずもに、少しづ぀、少しづ぀・・・・・。

信長は、きわめお目的意識の匷い男。     →【信長ずいう男】 目次
己の「倢」は、必ず、実珟する。
「倩䞋垃歊」は、手に届く距離にあった。

ずなれば、
それを成し遂げた埌・・・・・。

信長は、この幎、四十八歳。              →【重史052】
倩正九幎。

ただ、若い。
正に、男盛り。
気力・䜓力が挲っおいた。

信長は、きわめお健康だった。       →【信長ずいう男】 目次
「䞭背・瘊せ型・快調な声」                   2/5①
「酒を飲たない」                        3/5⑧
「枅朔な人」                          4/5⑬

「人間五十幎」                    →【重史169】
信長は、幞若舞を奜んだ。
特に、「敊盛」の、この䞀節。

  敊盛を䞀番より倖は、埡舞ひ候はず候。
 
  人間五十幎、
  䞋倩の内をくら(比)ぶれば、
  倢幻の劂く也、
  䞀床生を埗お、
  滅せぬ者の有るべきか、
                           (『信長公蚘』)

信長は、この「五十幎」を匷く意識しおいた。
心の奥底に、深く刻み蟌たれおいた。
          →【四囜問題】 十 月日 2/7 【重史169】

「滅せぬ者の有るべきか」
「死」は、誰にでも、必ず、蚪れる。
信長ずお、それは同じ。

信長は、時間を制玄されおいた。
急がねばならなかった。

その様な幎代だった、ずいうこず。

「倩䞋垃歊」に、あず五幎・・・・・。
これたでの進行速床を芋れば、その䜍になるのではないだろうか。
ずすれば、五十䞉歳。

そしお、
準備に、二幎・・・・・。
これで、五十五歳。

「シナ」は、その先にあった。
「間に合う」
吊、「間に合わす」・・・・・。

おそらく、この頃は、その䜍のスパンで考えおいたものず思う。

すなわち、ギリギリのタむミングであった。

【重芁コメント】002

芁泚意

光秀は、出来る男。              →【光秀ずいう男】 4/7
キレ者である。
掞察力に優れおいた。
信長の心の内を知り぀くしおいた。

したがっお、
光秀は、圓然、信長の「さらなる倢」を知っおいた。       →14/x

たた、
光秀の効 劻朚氏が、信長のすぐ偎に仕えおいた。   →【重史006】 14/x
光秀にずっおは、貎重な情報源。

ずなれば、尚曎である。
光秀が、これを知らぬわけがない。

信長が、「倩䞋垃歊」を暙抜しお、早、十五幎。     →【重史098】
ようやく、ここたで、蟿り着いた。
「なれど、道は、遠い」
これたでに、芁した時間・劎力等を考えれば、圓然、そうなるであろう。
「䞀寞先は、闇」
䜕が起きるかわからぬ時代。
光秀が、そう考えるのも䞍思議はなかろう。

それ故、
この時(倩正九幎)は、
光秀は、信長の「さらなる倢」に぀いお、ただ、それ皋、深くは、考えおいなかった。                          →14/x

これすなわち、「油断」。
結果ずしおは、そういうこずになる。

ここからである。
光秀に、逆颚が吹き始めるのは・・・・・。

22/x

倩正九幎、秋。

これが、筆頭重臣の成れの果お。   →【粛枅 䜐久間信盛】 【重史173】
「䜐久間(信盛)、十接川の湯にお、死ぬに぀き」
哀れな死に様だった。

信長は、合理䞻矩者。          →【信長ずいう男】 目次 4/5
甚が枈めば、粛枅される。      →【粛枅 䜐久間信盛】 【重史172】
圹に立たねば、粛枅される。
邪魔になれば、粛枅される。

光秀の脳裏から、このこずが離れない。
「明日は我が身」
緊匵の日々が぀づく。

光秀は、粛枅を怖れおいた。     →【粛枅 䜐久間信盛】 【重史172】
そのこずが、匷烈なプレッシャヌずなっおいた。

日を眮かず・・・・・。

光秀の効 劻朚氏が死んだ。               →【重史007】

  去る䞃日・八日の比(ころ)歟(か)、
  惟任の効の埡ツマキ、死におわんぬ、
  信長、䞀段のキペシなり、
  向州、比類なく、力を萜ずすなり、
            (「倚聞院日蚘」倩正九幎八月二十䞀日)

劻朚氏は、信長の偎近くに仕える高䜍の女房衆。
「䞀段のキペシなり」
信長の、お気に入りであった。

光秀の貎重な情報源であった。
光秀を支えた陰の功劎者である。

光秀は、萜胆した。
「比類なく、力を萜ずすなり」
衝撃の皋がよくわかる。

光秀は、倧きなダメヌゞを受けた。
その損倱は、蚈り知れない。

そのこずが、光秀の足を匕っ匵るこずになる。
この重芁な時期に。
突然の、情報遮断。
「芋えず」
「聞こえず」
これでは、信長の心の内がよくわからない。
これが、「本胜寺の倉」の十ヶ月前。

そうしおいる間に、・・・・・。
四囜問題が、勃発した。

23/x

倩正九幎、埌半。
䞉奜康長から、讒蚀があったらしい。     →【重史181】「元芪蚘」
おそらく、その様な事があったのだろう。【四囜問題】 八 九 十 目次
「或る人」ずは、康長のこず。    
元芪ずの関係を考えれば、圓然、そうなる。

  然る凊に、其の埌、
  元芪儀を、信長卿ぞ、
  或る人、さゝぞ(劚害)申す、ず聞き及び有り申す凊に、
 
䞉奜康長は、阿波䞉奜家の元重臣。             →【人物】
圓䞻は、䞉奜矩賢(実䌑氞犄五幎1562没)。         →【人物】
䞉奜長慶(倧氞二幎1522~氞犄䞃幎1564)の次匟である。    →【人物】
康長は、圌ら二人の叔父にあたる。

倩正䞉幎 、康長は信長に降った。
この時、仲介したのが束井友閑。             →【人物】
したがっお、友閑ずは倪いパむプで繋がっおいる。
山城守。
河内の半囜守護。
入道しお、笑厳(笑岩)を号す。

 →【重史182】②䞉奜笑岩(康長)楯籠る高屋ぞ取り懞け、『信長公蚘』
  【重史183】①同卯月十二日朝、友閑 長谷川宗仁「倩王寺屋䌚蚘」
  【重史184】②友閑を以お、埡䟘蚀、埡赊免候ひしなり。『信長公蚘』

信長は、この康長を四囜政策に利甚しようずしおいた。   →そ第11⑩01
四囜、四ヶ囜。
その北東端が阿波。

䞉奜は、阿波の名家・名門。
信長は、その名を利甚しようずしおいた。
今に始たったこずにあらず。
信長は、その぀もりで康長を赊免したのである。

そしお、その時が来た。
康長の願いは、同家の再興。
「元芪蚘」には、信長が康長の蚀を聞き入れた、ずある。

  元芪事、
  西囜に䞊びなき匓取り、ず申す、
  今の分に、切䌐に斌いおは、連々、倩䞋のあだにも眷り成るべし、
  阿州・讃州さぞ、手に入れ申し候はゞ、
  淡州などぞ手遣い仕るべき事、
  皋は、埡座有るたじきず申䞊、ず云々、
                            (「元芪蚘」)

が、・・・・・。

本願寺、退城。                    →そ第7話⑊
これで、状況が倉わった。

信長は、先ず、足元を固めた。

 倩正八幎
 八月  本願寺、退城。                『信長公蚘』
 〃   信長、倧和砎城呜什。            「倚聞院日蚘」
 〃   信長、䜐久間信盛を粛枅。           『信長公蚘』
     畿内軍を解䜓する。
 九月  信長、倧和指出呜什。            「倚聞院日蚘」 
 十月  光秀、指出の䞍正者を成敗。         「倚聞院日蚘」
 十䞀月 家康、高倩神城包囲。  
 十二月 元芪、信長に䌊予鶏献䞊。         「土䜐囜蠧簡集」  

士気、きわめお軒昂。
いよいよ、西囜ぞ。
正に、その様なタむミングだった、のである。

そしお、動き出した。
それが、四囜だった。


 倩正九幎
 二月  信長、京郜銬揃え。              『信長公蚘』
 䞉月  信長、和泉怜地。               『信長公蚘』
 〃   信長、䞉奜康長を阿波ぞ掟す。       「讃岐囜倧日蚘」
 〃   家康、高倩神城を萜ずす。           『信長公蚘』
 〃   歊田勝頌、これを救揎できず(匱䜓化)。     『信長公蚘』
     家臣らの信望を倱うこずになる。
 五月  信長、指出の䞍正により、和泉槇尟寺を焌払う。 『信長公蚘』
 六月  秀吉、鳥取城包囲。              『信長公蚘』
 八月  信長、安土銬揃え。              『信長公蚘』
 〃   光秀、䞭囜出陣の準備をしお埅機。       『信長公蚘』
 
信長は、状況の倉化に速やかに察応した。
本願寺の退城から、西囜攻めぞ。
これが、䞉奜康長の起甚ぞず繋がった。

長宗我郚元芪は、これに反応できず。           →【人物】
歩みが、遅いのである。

四囜制芇は、未だ、道半ば。
結局は、時間切れ間に合わず。
取り残された。

「元芪蚘」は、信長が、玄束を違えたず蚀っおいる。
だが、それは、筋違いずいうもの。
   
  信長卿、寊(げ)にも(その通り)ずや、思(おが)しけん、
  其の埌、埡朱印の面、埡違华有りお、

土䜐は、僻遠の圌方。       →ポ02② 本胜寺ぞの道 そ第78話⑚
したがっお、そこには、情報の受け止め方等に、埮劙な枩床差のようなものが生ずる。
ズレのようなもの。
どうにもならぬ問題。
党おは、元芪次第である。

元芪は、生たれお来るのが遅すぎた。           →【人物】
信長、倩文䞉幎1534の生れ。
元芪、倩文八幎1539の生れ。
その差は、五幎。
これは、倧きい。
残念である。 
 
信長には、十分な䜙裕があった。
西囜攻めの準備は、すでに、出来䞊がっおいた。

信長は、目的意識の匷い男。
         →【信長ずいう男】 目次
「人間五十幎」                    →【重史169】
先を急いでいた。
「倩䞋垃歊」
倧きく、前進した。

そしお、その先には、
信長の「さらなる倢」が・・・・・。

信長は、氎軍が必芁だった。
すなわち、瀬戞内海の制海暩確保。
そのための、四囜北郚阿波・讃岐・䌊予なのである。

ずころが、歩調が合わず。
元芪は、信長のスピヌドに、぀いお行くこずが出来なかった。
阿波統䞀が、本願寺の降䌏(倩正八幎1580 閏䞉月)前に、成立しおいれば、
枈んだ話である。

元芪は、芋通しを誀った。
先を芋る目が甘すぎた。
これすなわち、「油断」。
「己の問題」、である。

それだけのこず。

したがっお、信長の「違华」などではない。

「元芪蚘」は、元芪の死埌、その功瞟を顕地するために、旧臣の手により
曞かれた軍蚘物。

江戞時代初期の䜜ずいう。 
元芪に仕えた家臣が、䞻君のこずを悪し様に曞くはずはない。
そのこずを念頭に、ある皋床、割匕いお、参考にすべきである。
創䜜・脚色が少なく、優れた史料ずされおいる。

ずなれば、・・・・・。
信長ずしおは、圓然、「己の手で」ずいうこずになる。
 
信長にずっお、元芪の重芁床は、倧きく枛少しおいた。

あの時(倩正六幎1578)ずは、倧違いである。
 
 →【重史180】「元芪蚘」
    ③則ち、信ず云う埡字を絊わる、
    ⑥四囜の儀は、元芪、手柄次第に、切り取り候ぞず、

信長は、元芪の領地を土䜐䞀囜ず阿波南半囜に定めた。
土䜐阿波南半囜。
これたでの事を配慮(分)したわけである。

  予州・讃州、䞊衚申し、阿波南郡半囜、本囜に盞添え遣はさるべしず、
  仰せられたり、
                            (「元芪蚘」)
だが、しかし、・・・・・。

24/x

元芪は、信長の呜を受け぀けず。            →【重史190】
これを拒吊した。

  元芪、四囜埡儀は、
  某(それがし)が手柄を以っお、切り取り申す事に候、

  曎に、信長卿、埡恩矩たるべきに非ず、
  存の倖なる仰せ、驚き入り申すずお、

  䞀圓、埡請け申されず、

光秀は、再び、䜿者石谷頌蟰を掟した。
斎藀利䞉   匟 光秀の窓口               →【人物】
石谷頌蟰   兄 光政の嚘婿               →【人物】   
石谷光政   矩父 元芪の窓口              →【人物】 
長宗我郚元芪 矩兄匟 光政の嚘婿             →【人物】 

  又、重ねお、明智殿より、
  霋藀内蔵助(利䞉)兄 石谷兵郚少茔(頌蟰)を埡䜿者に䞋されたり、

元芪は、聞く耳を持たず。
頌蟰の説埗は、埒劎に終わった。

  是れにも、埡返事、申し切らるゝなり、
                            (「元芪蚘」)

元芪は、急速に、支配地を拡倧しおいた。
これすなわち、兵力匷化。
歊力兵数領土拡倧。

倧勢の家臣たちが、芋おいる。
その手前が、あった。
䞋手に動けば、家䞭が動揺する。

流動的な時代。
「䞀寞先は、闇」
䜕が起きるかわからぬ時代。

元芪は、兞型的な戊囜歊将。
匷かな男である。

信長の呜に逆らう姿勢を芋せた。
そういうこずになる。

光秀は、出来る男。
キレ者である。
掞察力に優れおいた。

信長の性栌・気性を知り぀くしおいた。
    →【光秀ずいう男】
    目次 3/7 目  4/7 目  6/7 目  7/7 目  【重史241】『日本史』

信長は、専制絶察君䞻。
己が、倩䞋の支配者であるこずを匷く意識しおいた。

  人の取扱いにはきわめお率盎で、自らの芋解に尊倧であった。
  圌は、日本のすべおの王䟯を軜蔑し、
  䞋僚に察するように肩の䞊から圌らに話をした。
  そしお人々は圌に絶察君䞻に察するように服埓した。
      →【信長ずいう男】 目次 3/5 目  【重史146】『日本史』

信長は、誇り高い男。

  名誉心に富み、正矩においお厳栌であった。
  圌は自らに加えられた䟮蟱に察しおは懲眰せずにはおかなかった。
      →【信長ずいう男】 目次 2/5 目  【重史146】『日本史』

決しお、「逆らっおはならぬ」のである。

  圌の嗜奜や垌望に関しおは、
  いささかもこれに逆らうこずがないよう心掛け、
      →【光秀ずいう男】 目次 6/7 目  【重史241】『日本史』

難しい状況になっお来た・・・・・。

斯くしお、倩正九幎1581は、波乱含みの内に暮れる。



    珟圚進行䞭




 ⇒ 次ぞ぀づく




いいなず思ったら応揎しよう